本当は改革者であるはずだった。
しかし結果的には、破壊者になってしまったのが先だって亡くなったロシアの政治家ミハイル・ゴルバチョフであった。ペレストロイカで有名だが、ソ連を壊す結果となった最大の要因はグラスノスチ(情報公開)だと思う。
ソ連建国以来、隠し続けてきた社会主義の闇が一気に露呈してしまった。いや、内心は分かっていたが、それを口に出来なかったのがソ連という国であった。
ところが国の改革を志したゴルバチョフが、その闇を事実上公開してしまった。すると、70年以上にわたり押し隠してきた不満が、次から次へと湧き出てしまし収集が付かなくなった。
その混乱を治めるために登場したのがエリチェンであり、彼は一気にソ連を解体してしまった。ゴルバチョフは不本意だったと思う。ソ連を改革して再生するつもりだったのに、結果的にソ連を解体する契機を作ってしまったのだから。
それゆえ仇敵たる西側社会では、ゴルバチョフに対する評価は好意的である。だがゴルバチョフが何より愛する母国では、正直評価が低いのが実情だろう。
これは覚えておいて欲しいのだが、ロシアの民は自分たちこそがギリシャ、ローマの伝統を継ぐ世界帝国の後継者だとの意識が根底にある。実際、ロシアの東方正教会はは、滅亡した東ローマ帝国はモスクワにて引き継がれたと主張し、それを当時のモスクワ大公イワン3世が認めている。
これ以降、ロシア帝国はローマに倣い双頭の鷲を紋章として活用している。ただし、この第三のローマはモスクワという主張は、当時も今も西欧では認められていない。だがロシアの地では、東方正教会があくまでローマの権威はモスクワが引き継いだとしている。
不思議なことに、社会主義国であったソ連邦においては、宗教の権威は否定されたはずだが、民衆の意識には根強く残っていた。だから、社会主義ソ連の惨状を世界に公開してしまったゴルバチョフに対しては、辛口とならざるを得ない。
実のところ、ロシアの大衆はソ連の社会主義国家の惨状を誰よりも知っていた。知ってはいたが、それを非難することの危険性も分かっていた。だから皮肉を口にする程度に収めていたが、それでも世界帝国ローマの後継国としての誇りは捨てられなかった。
褒められた警句ではないが、やはり「ウソを付くなら最後まで」なのだと思う。
改革すれば再生すると信じていたゴルバチョフは、その意味で愚か者であり、裏切り者でもあった。本当は誰よりもロシアを愛していたと思いますけどね。