偽善は嫌い。
ただ、なにもしないよりマシだとの考えは分からないでもない。やっても無駄だけど、それでもやらずにはいられない心情が理解できない訳ではない。
偽善であっても、それをやること自体が悪いとも云わない。でも偽善をやったことで、それを根拠にやらない人を貶めるのは違うと思う。
偽善を全否定こそしないけど、現実は見据えて欲しいと思う。
これまで幾つもの軍縮条約が締結されてきた。またジュネーブ協定のような残虐な兵器の禁止を盛り込んだ国際的な協力もあった。まったく無意味だとは云わない。云わないけど、それで平和が守られたのかどうかを冷静に考える努力くらいして欲しい。
ヨーロッパの近代の歴史を鑑みれば、平和協定とか非戦条約の散々な結果が学べるはずだ。
一番最悪だったのは、第一次世界大戦後の平和運動だろう。毒ガス兵器や機関銃など、従来の兵器に比して残酷な殺戮兵器が使われた第一次世界大戦は、あまりに悲惨であった。
その反省から平和運動が盛り上がり、反戦活動が活発化し、それはヨーロッパ全土に広がったほどに盛り上がった。しかし、正義と善意に満ち溢れた平和運動家は気が付かなかった。
ヴェルサイユ条約で莫大な賠償金を背負わされたドイツ・ワイマール共和国は表面上、最も反戦活動が盛り上がった国である。しかし巨額の賠償金は、ドイツの天文学的なインフレーションを発生させた。
当時のドイツの庶民はドイツ・マルクの紙幣を詰め込んだリュックを背負って買い物に行かねば、パンの一切れでさえ買えなかった。そんな庶民の不満を背景に、アドルフ・ヒットラー率いるナチス党が躍進し、遂には合法的に政権をとった。
ヒットラーは平和主義を嘲笑うかのごとく、次々と強引に失った領土を取り返し、ドイツ国民の喝采を浴びた。危険を感じたヨーロッパ諸国は、ドイツに対する軍事的圧力をかけることを模索した。
しかし、これに反対する平和主義者たちの反戦運動が、軍事的圧力をかけることを躊躇わせた。この過度な平和主義への傾唐ェ、ヒットラーを増長させ第二次世界大戦の下地となったのは歴史的事実である。
初期のうちにヒットラーに軍事的圧力をかけていたならば、後のアウシュビッツの悲劇などは避けられたかもしれない。戦争を恐れるあまり、却って戦争の芽を育ててしまったのが平和運動であった。
ナチスドイツの敗北後、各地のユダヤ人収容所の残虐な事実に呆然としたヨーロッパ各国の首脳は、過度な平和運動の弊害を知り、後の国連軍による平和維持活動と云う名の軍事的圧力を認めるに至る。
さて、第二次世界大戦の最悪の落とし子であるのが、いわゆる核兵器である。あまりに強力で、あまりに悲惨な結果をもたらすが故に、パンドラの箱とまで言われた人類最悪の兵器である。
この核兵器に対する恐怖と反感から、核兵器を持たぬ国々の協力により国際的な禁止条約が締結された。
しかし、核保有国は当然に参加していないし、唯一の核被爆国である日本も条約を締結していない。これにマスコミが噛み付いているが、如何なものか。
よく現実を見て欲しい。戦争を抑制しているのは、平和を愛する気持ちや、戦争を憎む気持ちだけでは力不足である。相手から軍事的侵攻を受けないだけの軍事力を備えてこそ、自国の平和は守らると考えている国が圧涛I多数である。
なかでも核兵器を保持することは、自国を守るための究極の手段であると考えている国は少なくない。世界最貧国の一つである北コリアが、自国民を飢えさせたまでして核兵器を持ったのは、自国の平和(権力者の保全でもある)のためである。
平和の尊さを否定する気は毛等もない。しかし平和を守る手段として強力な武器を持つことは、人類が古代から信じてきた常識である。この事実を無視して、いくら禁止条約を締結しても、結局は絵に描いた餅で終わると思う。
本気で核兵器を廃絶したいのならば、核兵器を無効化する技術を開発するか、さもなければ核兵器以上の強力な兵器を開発するのが一番現実的だと思います。
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