ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「水滸伝」 吉川英治

2006-06-18 14:21:10 | 
残念ながら、表題の作品は作者である吉川英治氏が逝去されたため、未完で終わってしまいました。無念です、残念でなりません。でも、私の脳裏には深く刻み込まれた佳作です。

吉川英治といえば、「宮本武蔵」や「平家物語」も著名ですが、やはり「三国志」が私は一番好きです。かくゆう私は、三国志フリークで20代までは、年に一度は三国志を読んでいました。多分、20回以上読み返しています。だからこそ、吉川氏の水滸伝は面白かった。水滸伝は他の小説家のものも読みましたが、吉川版には及ばないと思っています。

ところで、水滸伝を生み出した中国の歴史風土について考えると、想いは複雑です。蝗や渇水、日照り、流行病にもまして中国の民衆を痛めつけるのは、多くの場合政治権力者です。だからこそ役人の横暴に泣かされ、癒しどころのない苦しみ、悲しみのはけ口として、山賊や海賊、湖賊をヒーローと仕立てあげる。

本来、山賊なんてものは、犯罪者であり、逃亡者、流浪の民の集まりに過ぎないはず。その彼等アウトローの者たちの被害に遭うのは、多くの場合力なき民衆であるはず。にもかかわらず、その加害者をヒーローに祭り上げる。そのあたりに、中国の民衆がいかに政治権力者から苦しめられていたかが、嗅ぎ取れてしまうのです。

驚くべきことに、今でもこの事情は変わりないようです。中国に甘い事この上ない日本の新聞ですら、中国の官僚が大衆を絞り上げ、塗炭の苦しみのどん底へ突き落とす記事が出ることは珍しくありません。北京政府は、日本で中国の軍拡などが報道されると大騒ぎして抗議する癖に、中国政府役人の汚職や犯罪が報道されることには関心がないようです。当然のこととでも思っているのかな?

当面、共産中国政府の治世は、一部の期待とはうらはらに、安泰であろうと思います。しかし、その内側では水滸伝の山賊さながらに、中央政府にたて突く存在が各地に育っていくのではないかと、私は考えています。その存在の裏側には、ほぼ間違いなく地方政府が関わっている可能性は高いと考えます。

まあ、水滸伝の山賊(湖賊)はともかくも、既に中央政府の指示に面従腹背の地方政府は数多く存在します。中国に進出した外国企業は、すでにその混乱に巻き込まれているのが現状です。私は今後、中国から撤退もしくは事業縮小する外国企業が続出すると予測しています。北京オリンピックの前後がその分水嶺になるかもしれません。
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ドイツW杯序盤に思うこと

2006-06-16 09:31:43 | スポーツ
私がサッカーというスポーツには、ワールドカップというオリンピックよりも巨大な世界大会があると知ったのは、多分中学生の時だと思う。

当時は74年大会の後で、クライフやベッケンバウアーが人気だった。プーマやアディダスの鞄や靴も大流行していて、どこの学校にいっても、これらのブランド名の入っている靴や鞄には必ずお目にかかったものだ。

あの頃、ワールドカップは遠い世界の出来事で、深夜のダイヤモンド・サッカーという番組で1~2年かけて放送されていたものです。LIVEで見られる日が来ることなんて想像も出来なかった。ましてや、日本の選手の姿を見ることが出来るなんて、考えたこともなかった。

個人的には、やはりあの86年メキシコ大会が一番印象に残っています。マラドーナの、マラドーナによる、マラドーナのための大会とまで言われたW杯。マラドーナより、上手い選手、早い選手、強い選手はこれからも出てくると思いますが、あれほど爆発力のある選手は空前絶後でしょう。

強いて言えば88年ヨーロッパ選手権のR・フリットがそれに近かったのですが、フリットはワールドカップでは、ついに活躍することはありませんでした。オランダ・・・私個人としては、一番サッカーの最先端をいく国だと思っています。広くピッチを使った試合展開、一対一をベースに高度に戦術的なプレーを披露し、そのサイドバックの駆け上がりは世界一華麗。

しかし、オランダはいつも優勝候補に挙げられつつも、優勝経験はない。無敵艦隊の呼称があるスペイン同様、万年優勝候補の常連でした。

しかし、今回のドイツ大会は、もしかしたら、もしかするかも・・・。根拠は人種構成。オランダといえばフリット、ライカールト、ダーヴィッツ、クライファート、シードルフと黒人系選手を多く輩出している国です。でも、今回のメンバーは白人系の選手が大半を占めます。今までのような内紛の話は聞こえてきません。

はっきり断言しますが、オランダは人種差別には厳しい国です。公式には差別は一切なく、外国人が暮らし、働きやすい国なのは確かです。私の友人にも、オランダに永住するつもりの日本人がいるくらいです。公式には差別はない。しかし、目に見えない人種間の壁があることは聞いています。その壁は小さいが、とてつもなく高いようです。

90年イタリア大会ではフリットが監督と衝突して代表離脱。98年フランス大会では最強と言われつつ、試合中選手同士で喧嘩している有様。今回監督についたファンバステンは、代表選考で従来の主力選手を切り捨て、若手を抜擢しての予選突破。しかも、気が付いたら白人系選手ばかり。内紛の種を抱えていない今回のチームは、案外いい成績を残せそうな気がします。

もう一つの本命がスペイン。国内にカタローニャ、バスク、ガリシア、スペインと4ヶ国語を抱え、国としての一体感が欠如した代表チームで有名でした。が、今回は割りとまとまっている様子。シェフチェンコを有するウクライナを4―Oで撃破してます。こりゃ侮れない。

そして開催国ドイツ。やはりホームのアドバンテージは圧涛Iに有利。まだグループ予選が始まったばかりですが、序盤を見るかぎり、この三チームが面白そうです。
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「少女ホリーの埋もれた怒り」 ジョナサン・ケラーマン

2006-06-15 09:35:33 | 
臨床小児心理医、アレックス・デラウエアの素人探偵ものです。

若くして悲惨な子供たちの診療に多く関わってきたが故に、心が燃え尽きてしまい第一線から退いてしまった主人公。のんびり余生(まだ若いのですがね)を過ごしたかった主人公ですが、持ち前の正義感から、心の闇を解きほぐして犯罪を暴きだす。

心理学者を主人公にした推理小説はいくつかありますが、心理科の医者を主人公にもってくるところが、実にアメリカ的です。

この作品では、アメリカの市民社会の裏面、とりわけ家庭内の悲劇、虐待が取り上げられることが多く、読んでいて辛くなるほどです。裕福な家庭に潜む歪んだ愛情や、貧しさゆえに壊れていく愛情。歪んだ愛情が引き起こす、暗く陰惨な悲劇の数々。その暗さを救っているのは、主人公の前向きな姿勢です。それと相方である、ホモでマッチョな刑事(二人の関係はノーマル)と、自立した女性であるが故になかなか素直になれないGFなど多彩な友人たちが、作品に明るさ、落ち着きを与えています。

本題から外れますが(毎度ですが・・・)、このシリーズを読んでいて驚いたのが「SUSHI」、つまりお寿司。主人公はお腹が空いたからと、ダウンタウンに気軽に寿司を食べにいく場面があります。もはやアメリカ人には、寿司はタコスや中華と同様日常生活に入っているのだと感心しました。

ここ数年では、一番気に入っているアメリカの推理小説ですが、最近は続編があまり出ないのが残念です。作者ケラーマンの奥様も、フェイ・ケラーマンとして小説を書いているので、今度はそちらを読んでみようと思っています。
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「ピアノの森」 一色まこと

2006-06-14 14:24:52 | 
嗚呼~やっちまったよ、衝動買い。

ここ最近、私の部屋の乱雑ぶりは目に余る。本が溢れ積み重ねられ、足の踏み場に苦労する。レンタル倉庫も一杯だし、新たに借りたくても満杯状態。だから、本を買うのを控えていた。なるべく図書館で借りて、漫画は漫画喫茶で読む。

でもストレス溜まっていたのかな?ここ2ヶ月ほど、古本屋での衝動買いが増えていた。大半は文庫本なのだが、ついにやってまった。漫画10冊まとめ買い。それが表題の作品です。

廃刊されたアッパーズという雑誌に連載されていたが、廃刊後モーニングに移っての連載が続いています。時々休載されるのが玉に瑕だが、面白くって毎回楽しみにしています。

自ら言うのも何だが、私には音楽的才能は乏しい。歌うのはもちろん、演奏も駄目。でも聞くのは好き。何でも聞くと言いたいが、実は十代の頃はクラシックは駄目だった。どうも、まじめすぎて聞く気になれなかった。ただ、ジャズは好きで、よく聞いていた。ジャズ演奏のなかには、クラシックの曲をアレンジしてのものがあり、知らないうちに覚えていたようだった。

なかでもピアノの演奏は好きで、テープに録音して携帯型ラジカセで聞いていた。とりわけ、長期登山の時に、空が近い3000メートル級の稜線上の幕営地のテントで聞くピアノ・ソロの曲は、心に染み渡った。手に届くが如く星空の瞬く山の上で聞く、ピアノの響きは心をすみやかに晴れ渡らせた。クラシックもジャズも関係なく、いつしかピアノの音に魅せられていた。

表題の作品の主人公、一之瀬海は森の中に捨てられたピアノを、好き勝手に演奏して育った娼婦の子供です。事故で演奏することが出来なくなった天才ピアニストに出会って、正式にピアノを学び、やがてコンテストに出場して、規制の枠に囚われない演奏をしてのける。審査員の大半からは理解を得られぬまでも、観客を熱狂させライバル達の垂涎を一身に受ける。やがて成長して、目指すはショパン・コンクール。

最初は投げやりだった主人公が、やがてピアノの演奏にのめり込み、不遇な環境にも負けず、人を感動させるピアノを身につけていく様は、ある種の爽快さを感じます。漫画という絵による表現の枠があるなかで、ピアノの演奏を美しく表現しているこの作品は、現在一番気に入っている漫画です。
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村上ファンドの失墜

2006-06-13 12:50:08 | 社会・政治・一般
痛し、痒し・・・ですかね、今回の村上ファンドの事件は。

貯蓄から投資へを国策として掲げて、はや4年。法人同士の持ち合いから、不当に安い株価が維持されていたと思われる上場株の、価値上昇といった観点からすれば、村上ファンドの存在は決して否定されるべきものではない。

しかし、正直言って、村上ファンドの存在が、企業を株主重視の姿勢に変えたとは言い難い。もちろん、配当は株主優待などで、株主重視の姿勢を出した企業もあるにはある。でも、どちらかといえば、村上ファンドが起こした数々の株買占めと、売却は企業をして警戒感を強めた印象が強い。

株主よりも、企業内部の論理を重視する日本企業は、村上氏の主張に一応肯きつつも、それが我が社に及ぶと強烈な拒否反応を示した。いつしか村上氏は徒労感からか、企業への株主重視の姿勢を訴える事よりも、株の売り抜けを目指していた感が強い。

フジTVを巡る、ニッポン放送とライブドアの買収騒ぎは、当初から村上氏の描いた図面を、堀江氏がなぞった感が強かった。不自然な時間外取引と、法の隙間を縫うやり口に、反感を募らせた金融庁及び証券取引委員会の面々が、時間をかけて外堀を埋め、今回の摘発に相成った。

既に有罪を認めた村上氏ですが、非常に興味深いのは、未だ無罪を主張している堀江氏との対応の違いでしょう。どちらも当然、再起を目指しているでしょうが、さっさとけりをつけて次の方策を狙う村上氏は、本音では自分が悪いとは思っていないでしょう。へまをしたとは思っているでしょうがね。次に何をするのか?

正直言えば、もし手持ちの資金が十分あれば(実際にはないが・・・)、私は村上ファンドに託してみたい気がします。堀江氏より性質は悪いと思うけど、利益はあげてくれると思うのです。甘いかなあ~? まあ、実際には人に金を託して利益を上げるより、自分でやりたいタイプなので、やらないでしょうがね。
コメント (2)
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