goo blog サービス終了のお知らせ 

ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

神様の食卓 ディビッド・グレゴリー

2009-10-23 13:52:00 | 
デザートは最後のお楽しみ。

あれは20代の時、身体を壊して入院したが、治る目処どころか命も危ない羽目に陥った。毎日6時間の人工透析を受けていたが、症状は改善せず、その日は急遽二度目の透析となった。

今にして思うと、あの時が一番危機的だったらしいが、私に危機感はなかった。寝たきりの生活を苦痛に思う以上に、無塩の低蛋白食がまずいことが、私にとって最大の問題だった。

昼間は人が一杯の透析室も、夜になると寂しいものだ。沢山あるベッドは皆空っぽで、私一人がど真ん中のベッドを占拠していた。付き添いの医師が2人と透析スタッフと看護婦さんだけが、夜の透析室で働いていた。

あれは夜9時過ぎだった。私の様態が落ち着いたので、ようやく夕食を食べることが許可された。運ばれてきた食事は、やはり無塩、低蛋白食であり、決して美味しいものではなかった。唯一の希望はデザートであり、その時はシロップ漬けのパイナップルであった。

私はデザートは最後に食べる主義だ。出されたものは残さず食べるのが私の矜持であり、いかに不味かろうと、断固として胃の中に放り込み、体力つけて病気が治ることを念じていた。

もうすぐお粥を食べきる直前だった。担当医のM先生がやってきて、私の食膳をみて顔色を変えた。なんと、私が楽しみにしていたパイナップルの小皿を持ち去るではないか。

「パ、パ、パイナップル~~~!」

M先生が言うことには、私は現在カリウムの血中濃度が高く、そのため心臓に悪影響が出ている。そして、パイナップルはカリウムが多く含まれているので、今は食べられないとの説明だった。

理屈は分った。でも、この失望感をどうしてくれよう。

どうも、私はこの時そうとうに情けない顔つきだったらしく、後日その場にはいなかった看護婦さんたちから「元気になったらパイナップル、おまけしてあげるよ」と励まされた。

実はこの時、透析室に立ち会ってくれた難病治療で著名なN教授は、私のこの無様な間抜け面を見て「この人は、きっと治るよ」とM先生に話していたそうだ。

単に食いしん坊なだけだと思うが、食べることへの執着心は生きることへの執着心に似ているらしい。まあ、具体的な治療法がない急性腎不全がその後治ったのは事実だが、食欲と関係があったかどうかは定かではない。

ちなみに難病と食いしん坊は治っていない。だからこそ、表題の本を美味しい食事を紹介するものだと勘違いした。つまり期待した美味しいレシピは載っていない。

この本に書かれているのは、心の糧としての神の愛であり、病んだ心を癒すレシピでもある。正直、キリスト教徒でない人には、いささかお薦めしずらい内容ではあるが、教会から距離を置くようになった私には、神と人とのありかたを再確認できる内容でした。興味がありましたら是非どうぞ。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴン 田中政志

2009-10-22 14:41:00 | 
真直ぐに、前を見つめて生きたいものだ。

思い返してみると、二十代の時はうつむいてばかりいた。かろうじて生き永らえたは良いが、治るあてはなく、ただ食べて薬を飲んで、再び寝るだけの毎日。

青い空を見るのが苦痛だった日々。ただ家に閉じこもり、カーテンを閉ざして臥せて過ごす毎日。自宅療養ってやつが、これほど苦痛だとは思わなかった。

なんで生きているのか分らない。明日も生きているとは分っていたが、明日も寝てばかりなのも分っていた。自分が生きていることの意義が分らない。

あの頃、「頑張れ」と言われるのが嫌でたまらなかった。なにを頑張るのか?原因も分らず、治療法も確定していないがゆえの難病である。頑張る?何を?

大量の薬を飲むことか、それとも寝込んでいることをか?

「頑張れ」と励ましてくれる気持ちは分るが、その具体性のなさが不愉快だった。頑張れとしか言いようがない辛さも分るが、だったらほっといて欲しいと心中密かに毒づいていた。

どうせなら、忘れ去られ、死んだ時に思い出してくれれば十分だと思っていた。生きていることよりも、死ぬことに意義を見出していた。

ただ、具体的に死ぬ方法が見出せず、ダラダラと惰性で生き延びていた日々。そんな時に読んだのが表題の漫画だった。

この漫画は科白がない。この弱肉強食の世界で、親も兄弟もなく、同類の仲間さえいないチビ恐竜のゴン。おそらくは、たった一匹の生き残りであるゴン。

だけどゴンは逞しく生きる。常に前を真直ぐに見つめ、強い相手にも臆することなく堂々足を運ぶ。弱い者いじめには厳しく当たるが、弱くとも必死で生き延びようとする生き物には優しい。

ゴンは生きる。逞しい足で大地を踏みしめ、その瞳は真直ぐに今を見据える。漫画ならではの破天荒なゴンの生き方には呆れるしかないが、読んでいるうちに口元に微笑が浮かぶ。そんな漫画だった。

心も身体も病み衰えた私が素直に笑って楽しむことが出来た漫画、それがゴンでした。海外でもけっこう人気が出た漫画だと聞いたことがあります。短編ばかりなので、軽い気持ちで楽しめます。機会がありましたら、一度お試しあれ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スペクトルマン 一峰大ニ

2009-10-21 12:17:00 | 
よくよく考えるとヘンだよね。

郷里の惑星でクーデターを目論み、失敗し追放されて、流れ着いた銀河の辺境。その太陽系第三惑星を乗っ取ろうと目論む宇宙人2人。

宇宙猿人ゴリとラー(ネーミングが安直なのはともかく)は、ヘドロンやらネズバトラーやらの公害怪獣を産み出して、地球を支配征服しようとするが、そこに現われて邪魔する正義の超人スペクトルマン。

子供の頃は、公害怪獣とスペクトルマンのバトルが観られれば満足だった。

しかし、今にして思うと設定がヘンだ。ゴリとラーを追放しておき、更に追跡して邪魔するなんて、なんと執拗な嫌がらせなのだろう。

まあ、侵略された地球人の側からすれば、スペクトルマンの応援はありがたいが、それでもそこはかとなく感じる疑問。だったら、追放ではなく収監しておけよ。迷惑きわまりない追放だと思う。

更に深読みするならば、ゴリとラーに厳罰を処したい勢力と、それを回避させたい勢力との政治的紛争すら想像できる。いずれにせよ、侵略された地球こそいい迷惑だ。

他にも公害Gメンが怪獣Gメンに組織替え(?)するなど、突っ込みどころ満載のTV番組だった。公害の調査専門官が、どうやったら怪獣退治専門職に切り替わるのか、その判断の基準を知りたいものである。

表題のマンガは、TV番組の漫画化されたもの。当時はTVを録画する機器はなかったため、私のような怪獣ファンには、こんなマンガでさえ貴重なものだった。

マンガのほうもTVに輪をかけて変なのだが、子供の頃は怪獣バトルさえ面白ければ全て善し。この年齢で読み返すと、はっきりいって笑ってしまい、更に脱力するしかない怪作です。

古本屋でしか入手できない幻の作品ですが、なぜか現在値段が高騰しているので、古いマンガの揃えがいい漫画喫茶で読むしかないでしょう。無理して読むものではないと思いますが、けっこう楽しい時間でしたよ。
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピック誘致の失敗に思うこと

2009-10-20 17:03:00 | 社会・政治・一般
私はリーダーシップに乏しい。

これは認めざる得ない私の欠点でもある。全体を俯瞰して状況を見定めたり、適切な行動指針を導き出すことなら出来る。しかし、周囲の人間の関心を自分に集中させて、それを一つの方向に振り向ける才に欠ける。

簡単に言えば、リーダーシップに欠ける。ぶっちゃけ、盛り上げるのが下手だ。これでは人はついてこない。

大変に興味深いことに、リーダーシップは学校教育では身につかない。いくら学校の成績が良くても、リーダーとはなれない。おそらくは生得の才能なのだと思う。

落ちこぼれだった中学時代はともかく、成績優秀であった高校の時は、学級委員(たしか生徒委員とか称した)をやっている。別に立候補したわけでもなく、推薦で押し付けられたのが実態だ。

一応、クラスのまとめ役なのだろうが、実際は違う。文化祭などでクラス行事をやる際、私は自分から仕切るようなことは避けた。クラスのなかで数人、いくつかのグループで中心的存在となっている奴らとの意見調整役に徹した。

彼らさえ協力してくれれば、なんとかまとまって行動できることを知っていたし、彼らからの協力を得られなければ、まず失敗することも分っていたからだ。だから根回しをすることが必要だった。

本来のリーダーの役割とは違うことは承知していたが、目的を果たすには、これしかなかった。私には本来のリーダーシップがないことは既に分っていたからだ。

私のような生得のリーダーシップに欠ける人間が、リーダー役を全うするには、内部統制が或る程度固まっている組織の中で肩書きを得るしかないと思う。限定されたリーダー役ならば、私でもなんとかなるはずだ。

そこで石原慎太郎である。この人が自民党の政治家だった頃から感じていたが、この人もリーダーシップに欠ける人だと思う。部下を擁することは出来ても、同志を集めて動かすことは下手糞だ。

頭は良いと思う。作家としての才能もある。ただ、人を動かすのが下手だ。だから政治家としては大成しなかった。いくら正論を叫んでも、人の輪の中心に祭り上げられることはなかった。

その限界に気づいたからこその東京都知事への転進であったと思う。地方自治とはいえ、行政職のトップに立つことで、自らのリーダーシップの欠如を補おうとしたのだと私は理解している。

既に都知事として長期政権を続けているが、私の目には失政続きである。複式簿記の導入など革新的な功績も残しているが、銀行税の挫折や新銀行東京の事実上の破綻、築地市場の移転問題そしてオリンピック誘致の失敗などマイナスの功績が目立つ。

全ての失敗が石原都知事のせいだとは言わないが、石原都知事がリーダーシップを取りたがることが失敗の遠因になっているのは否定しがたい。はっきり言えば、でしゃばり過ぎ。おまけにプライドが高いので、自らの失政を認めない。だから反省もしない。

たかだか地方自治体の長に過ぎないのだから、その分に応じたことをしっかりやるべきだ。東京は首都ではあるが、都知事は日本の代表ではない。

多分、勘違いしていると思う。だからこそ、石原のオリンピックは支持されなかったんだよ。政治から手を引いて、しっかりと行政の効率的運用に励みなされ。そっちのほうが向いていると思うゾ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本発!世界技術 溝口敦

2009-10-19 09:04:00 | 
いい仕事がしたいじゃないか。

単に請け負った仕事を、忠実にこなすことは最低限の義務だ。出来るならば、お客さんに喜んでもらえる仕事がしたい。その喜びに驚きと感嘆が加わるような仕事であれば最高だ。

難しいことは分っている。でも、難しいからこそ挑みがいがあろうってもんさ。難しい仕事を、その苦労をみせずに、さらりとこなすのが粋ってもんさね。

そんな職人の心意気こそが、日本の製造業を世界最高水準に高めた原動力だと思う。戦後のQC活動を評価しないわけではないが、やはり江戸時代以前より続く職人の魂こそが、日本の製造業の根幹にあると信じている。

表題の本では、有名なものから無名のものまで、日本の製造業が産み出した世界に通じる超一級の技術を紹介している。ハイテクもあるが、ローテクも多い。一見簡単そうにみえて、実は高度な技術を要するローテクだ。ここにこそ、日本の技術力の底力が現われている。

CMで宣伝されるものでもないし、ノーベル賞を受賞するようなものでもない。しかし、この地味で地道な技術あってこその日本の製造業なのだ。

個人的に意外だったのは、この本の著者がこのような仕事もしていることだ。ご存知の方もいるかもしれないが、この溝口氏は暴力団や裏金融、裏風俗や外国人マフィアなどの取材で知られた人でもある。やくざから嫌がらせを受けての裁判沙汰が新聞紙面を飾ったこともある。

私も経験があるが、職人気質の人たちから情報を引き出すのは案外難しい。本来、口が堅い裏社会の人間からも情報をとれるジャーナリストだけに、口下手で説明が苦手な人が多い職人肌の人たちからも取材が出来たのだろう。

しかも、かなり分りやすく解説しているので、技術分野の素人でも或る程度は理解できると思う。短くまとめられているので読みやすいのも高評価でき。機会がありましたら一読あれ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする