ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

最後の授業 アルフォンス・ドーデ

2010-10-22 10:40:00 | 
その日の朝、ボクは寝坊してしまった。前の晩に裏山の竹藪で遅くまで遊んでいたせいだと思う。だから学校へ行くのが少し憂鬱だった。きっとアラン先生は叱るに決まっているからだ。

少しうつむき加減で教室に入ると、なぜかアラン先生は優しい、それでいて少し寂しげな表情でボクに席に付くように言った。なんか妙な気分だ。いや、教室の雰囲気自体がいつもと違う気がした。

教室を見回すと、いつもより人が多い。後ろのほうに大人たちが立っている。皆、厳しい顔をしているようにみえるのが不思議だ。もちろん、いつもボクらを監視している軍服を着たブタ族の兵士も仏頂面で突っ立っている。

アラン先生は教室が静まるのを待ってから、穏やかに話し始めた。「今日のこの授業が、私が担当する最後の授業です」と。

「我々パンダ族が暮らすセンカク山は、ブタ族の強大なチャーシュー帝国の支配下に入ることが先週決まったのです。パンダ国政府の官房長官は、事態を遺憾に思うと言ったきりで何もしてくれません。ですから、もう学校ではパンダ語を教えることは出来ません」

アラン先生は、ここで目を閉じて、深く深呼吸してから、ボクらをゆっくりと見渡した。そしてよく通る声で、再び話し始めた。

「パンダ族は竹藪を失ってもパンダでいられます。しかし、パンダ語を失ったらパンダではいられません。皆さん、パンダ語は世界で一番可愛い言葉です。世界中の誰からも愛されるパンダであるためには、パンダ語を忘れてはなりません。」

静まり返った教室から、かすかに嗚咽が聞こえてくる。教室の誰もが言葉を失い、その瞳が潤むのを止められなかった。後ろに立つ大人たちのなかには、怒りのあまり震えているパンダもいるようだ。

背筋をピンと伸ばしたアラン先生は、一度天井を見上げてから、再び話し始めた。

「パンダ語の教師である私は、もう教壇にたつことは出来ません。だから、これが最後の授業となります。私が皆さんに伝えたい最後の、そして最も大切なことは、パンダ語を守って欲しい、ただ、それだけです。」

そして、黒板に向かってチョークを走らせた。書かれたパンダ文字は短く一言。

パンダ、万歳

アラン先生は、その後ブタ族の兵士に連れられて村を去った。そしてボクは新たにブタ族の名前を付けられて、遠くの国へと送られることが決まった。

ボクの新しい名前はカンカン。ヘンな名前だと思うが、それよりもボクが送られる国は遠く海の向こうだという。ボクが不安そうにしていると、ブタ族の兵士がにやりと笑って言った。

「なに、そんなに不安がるな。その島だって、いずれは我々ブタ族のものになるのだからな。だからお前は尖兵として、奴らに愛想を振りまき油断させるのが仕事だ」

その島の人たちに知って欲しい。ボクはブタ族のカンカンではない。パンダ族のシュマルなんだ。人前では話せないけれど、パンダ語のほうが得意なんだ。だって、パンダ語は世界で一番可愛い言葉なのだから。
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小沢一郎は有罪か?

2010-10-21 12:33:00 | 社会・政治・一般
小沢一郎は無罪だ。

はっきり言って好きじゃない。マスコミは豪腕政治家だというが、私に言わせれば強欲政治家に過ぎない。世評では選挙に強いというが、強いのは権勢欲であって人心を読むのに疎く、むしろ有権者には媚び笑いで十分だと唾棄している感が強い。

さすがに金を潤沢にばら撒くだけのことはあるから、先の民主党党首選挙において国会議員票は半数近く集めた。でも、金をばら撒きにくい党員やサポーターから票を得られずに負けた。選挙に強いが聞いて呆れる。

アメリカに潰された田中角栄の直弟子だけに反米感情が強いのはともかく、韓国や中国に媚びてまでして歓心を買おうとする下種な性分にはあきれ返るばかりだ。

だが、それでも敢えて言おう。小沢一郎に対する検察審議会の起訴議決は間違っていると。

少なくても現行法では、彼の罪を立証することはできない。あれは明らかに法の抜け道を活用した錬金術であるからだ。だからこそ検察庁は過去において起訴を断念せざる得なかった。

しかし世間一般の常識は違う。その一般庶民の疑いの気持ちに応えた検察審議会を賛美する声があるが、如何なものかと思う。本当におかしいと思うのならば、まず政治資金規正法の改正こそ先決であろう。

つまり検察という行政機関の問題ではなく、立法を担うはずの国会の怠惰こそが問われるべきなのだ。人格なき社団である政治団体を利用しての不動産売買を通じた政治資金調達なんて手法は、現行の政治資金規正法では罪を問えない。

なればこそ、その法律の改正こそが政府の仕事であろう。法に予定されていなかった事態を、無理やりに法で罰することは、むしろ却って法治を危うくする。いったい、マスコミや善良なる一般庶民諸氏らは、独裁政治を望んでいるのか?

このような安直な正義志向こそが、民主主義の最大の欠点だ。なんのための三権分立か、よくよく考えて欲しいものだ。批難されるべきは、やるべき仕事を放置している立法府であるはず。

そして、法治を損なうやり口を求めるマスコミと善良なる一般庶民もまた同類だと断じたい。正義を実現する、すなわち悪人を裁くのは法の定める道の下でなければならない。

法定外の方法を安直に求めると、いずれはその報いがもたらされる。いかにヒットラーが独裁者の道に駆け上がったのか、もう一度歴史を学んで欲しいものです。
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固有の領土?

2010-10-20 12:32:00 | 社会・政治・一般
地球上に、その民族、国家の固有の領土なんて存在しない。

もちろん、その地は我が国、我が民族固有の領土だと主張するのは自由だ。事実、有史以来、そのような主張は星の数ほど叫ばれたことだろう。

だが、その固有の領土は強大な軍事力により、いとも容易に踏み躙られてきた。シナの漢民族なんざ、その悲劇を幾度となく味わってきた歴史を持つ。

もとより漢民族は黄河の中流域である中原の民だ。時代により首都は洛陽であったり、長安であったりしたが、中原の地こそが漢民族の郷里であったと思われる。しかし、文明の華開いたこの地は、異民族にとって宝の山であり、幾度となく侵略の目標とされた。

それでも三国時代とその後の晋の時代までは保持できた。しかし、その後の五胡十六国時代ともなるとチベット系やイラン系、トルコ系などの西方の異民族の侵略に抗しきれず、ついに明け渡すにいたった。

その後、何度となく取り戻してきたが、常に侵略の的とされ、ついには恒久的に首都を移さざる得なかった。もっとも現在の首都である北京は、本来満州族の地であり、その満州族がシナを支配した時代(清朝)の首都であった。

その満州族を追いやり、再び漢民族の国を建国したものの、新たな首都を築く資金はなく、また旧・関東軍(つまり日本軍)から離脱した北方の軍団の力を借りたため、南方に首都を移すことも出来ず今日に至る。

かつての異民族の王都を首都につかっているシナの民のことだ。固有の領土なんて概念が通じるわけがない。

先月以来、尖閣諸島海域でのシナと日本との紛争は、民主党政権の間抜けな対応により、日本の弱体ぶりを国際社会に見せ付ける結果に終わった。

話せば分ると思っているのか、政府は「尖閣諸島は、我が国固有の領土です」とアピールしているが、そんな理屈通るわけがない。そのことを何度も思い知らされてきたシナを相手に、通じる理屈ではないことぐらい、少し歴史を学べば分るはず。

本当に我が国固有の領土だと思うのなら、軍事基地を設置し、武力により権利を守る努力をするしかない。ただ、それだけのこと。

いくら国際会議で騒いでも、相手にされるわけがない。世界中どの国だって自国の領土を守るため、身体を張って戦ってきた。その歴史的事実を直視してもらいたいものだ。
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ペイオフ発動に思うこと

2010-10-19 13:02:00 | 経済・金融・税制
役人は執念深い。

つくづく、そう思う。もちろん個人差はあると思うし、置かれた立場、社会状況などにも変るのは当然だ。それでも、先月のペイオフ発動に潜んだ役人の怨念には、薄ら寒ささえ覚えずにはいられない。

もちろん、この怨念をもたらしたのは竹中元金融担当大臣への反発であろうことは想像に固くない。規制緩和と構造改革を声高に叫ぶ竹中氏は、金融庁及び財務省に強固な反感を生み出した。

ただ、当時は小泉という国民に人気抜群の政治家が竹中氏を後見をしていたが故に、いかな役人といえども、竹中の意に反した振る舞いは難しかった。

さらに言うなら、金融庁はもとより財務省にも構造改革路線を支持するグループはかなり居て、内心の反感はあっても竹中の意向に従うふりをして、自分たちの考える路線推進を目指したことも確かであった。

それでもだ、やはり竹中主導による金融改革は役人たちの間に根深い反感を育んだと思う。だからこそ、竹中と親交の深い木村剛氏が起した日本振興銀行が狙われたのだろうと、私は邪推する。

本来、日本におけるペイオフは、銀行の合併を促すための財務省及び金融庁の恫喝手段であった。嫌がる銀行経営者に合併を強要して、財務体質の弱い銀行を救済するための手段であった。

私は日本ではペイオフは実施不可能だと考えていた。ペイオフを実施すると、銀行口座を介した企業間取引に甚大なダメージを与えてしまう。だから、アメリカでは規模が小さく、地域経済に与える影響が少ないコミュニティー・バンクぐらいにしかペイオフは発動できなかった。

ところがだ、日本振興銀行の口座は企業の決済に使われることは少なかった。だからこそペイオフが適用できたのだと思える。

では、日本振興銀行はペイオフの対象として適切であったのか。詳しい分析をしたわけではないが、バブル崩壊後の日本の金融機関と比較して、それほど突出して財務内容が悪化していると断じるほどではないと思う。もっと内容が悪かった信組、地銀はあったように思える。

だから、金融不安を浮黷ス財務省サイドは、ペイオフという恫喝を用いてそれらの弱小金融機関の合併を強行した。合併により、多くの銀行が破綻から免れたのは事実だ。

しかし、竹中の盟友である木村氏が作った日本振興銀行は潰された。木村氏の経営手腕に問題があったのは確かだと思うし、すべからく銀行は合併により救済すべきだとも思わない。

だからペイオフは仕方ないと思わないでもない。ただいささか割り切れぬ気持ちも残る。合併により救済された地方の弱小金融機関には、経営者及び経営体質に問題があったものが少なくない。

新聞などはほとんど報じないが、地方議会を牛耳るボス的政治家が背後にいた某地銀とか、裏社会とのつながりが根強く噂された某信組なんざ、本当に救済する必要があったのか私は疑問だ。

率直に言って、木村氏の日本振興銀行よりも悪質と思える金融機関を救済したことは、金融機関のためにも良くなかったと思う。にもかかわらずペイオフが発動されたのは日本振興銀行のみ。

やはり私は、今回のペイオフ発動に反・竹中感情を感じてしまいます。
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アメリカ帝国の悲劇 チャルマーズジョンソン

2010-10-18 12:56:00 | 
日本は戦利品。

ドキッとする言葉だが、これが戦勝国アメリカの本音だろう。公にされる文章などではお目にかからない言葉であることは認めるが、アメリカ人の本音としては「日本は戦利品だ」との意識は当然にあると思う。

アメリカという国が民主主義の国であることは否定しない。しかし、現在において世界最大の軍事大国であるのは事実だ。人類の過去の歴史における帝国と同じではないが、それでも新しい形態の世界帝国であるとの表題の著者の主張は、かなり説得力を持つ。

元来アメリカは軍事小国であった。ワシントンらの建国者は、軍人が権勢を盛んにしたがる現実を踏まえ、そうならないように軍人の力を抑える政策をとっている。

例えば民兵制度。これは軍が警察の機能を代行することがないように、民兵に警察機能を持たせてたアメリカ独自の制度だ。アメリカの建国者らは、かくも軍の拡張本能を怖れていた。

だが、歴史がアメリカを軍事小国であることを許さなかった。二つの世界大戦が、軍を飛躍的に拡大させた。なかでも特徴的なのは、直接戦闘に関らない軍事官僚たちが大幅に増えたことだ。20世紀のアメリカは、この非戦闘員たる軍官僚たちの拡大志向に、次第に染まっていくことになる。

結果的にアメリカは、世界各地に軍事基地を多数持つ、歴史上類を見ない軍事大国と化した。民主主義の国アメリカは、軍事力を背景とした世界帝国としての性格を持つに至った。

この過去に類例をもたない新たな形態の帝国の特徴は、被支配国に対して支配するのでなく、強い影響力を持つことにある。その影響力があることを隠すばかりでなく、自国の国民(議会対策でもある)にさえ、アメリカが軍事帝国である現実を隠す。

世界130カ国以上にアメリカ軍の施設を9百箇所以上持ち、25万人の兵士、30万近い非戦闘員による兵站支援をもって世界に君臨する。世界各国の軍人の教育を受け持ち、アメリカ軍育ちの士官、戦闘員を育て、彼らにアメリカ製の武器を買わせて、世界一の戦争商人として君臨する。

そして人道の名の下に軍事力を行使するが、やることといったら非人道的な戦闘ばかり。国際世論や、アメリカ議会がうるさくなると、民間軍事会社を利用して汚く残虐なことをやらせて誤魔化す。

しかもマスコミ対策に重点を置いているため、自国のマスコミでさえアメリカが世界規模の軍事帝国である現実に気がつかない。

いや、むしろアメリカにおいては軍事産業は、いまや自動車産業などの製造業を遥かに上回り、アメリカ社会を支える巨木と化しているがゆえに、安易な批判を受け付けなくなっている。

日本のマスコミは、巨大な軍艦、轟音撒き散らす戦闘機や戦車に気が取られて、それ以外の軍事部門を見過ごしている。世界各地に配備されたアメリカの基地の大半は、非戦闘的な設備が多い。武器の保管場所はもちろん、情報収集のための施設もまた、アメリカの世界支配に重要な役割を果たす。

覇権国アメリカのもう一つ別の姿を克明に描き出した表題の著作は、機会がありましたら是非目を通していただきたいと思います。
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