たまにしか読みたくないのがロビン・クックだ。
私はミステリーが好きだし、ホラーだって好きだ。浮ュてドキドキしたり、意外な展開に驚いたりする楽しみを味わえる可能性が高いのが、ミステリーとホラーだからだ。
ところが、医療ミステリーの草分けとされるロビン・クックはいけない。一言で言えば、生々しすぎる。思わず怯えてしまうほどに、その作品は恐ろしい。
さりとて、その作品中にグロテスクな描写が溢れているわけでは決してない。恐ろしいのは、その題材のほとんどが、事実あるいは、それに近い現実に基づいているからだ。
実際、ロビン・クックが題材にとった違法な内臓移植や遺伝子改良、未承認薬品の無許可実験などは、現実社会で既に行われているが故に恐ろしい。
私自身が長期の入院生活を過ごし、難病治療の困難さを我が身で味わっているからこそ、最先端医療の裏側に微妙な部分が存在することを知っている。
如何に医者が真摯に努力しようと、その治療に100%はなく、常に試行錯誤と予期せぬ事態が待ち構えていることも分っている。
それが人間の限界だと思うし、人間は必ず間違える生き物であることも確かだ。実際、悪意からではなく、単なるケアミスで起きてしまう事故は後を絶たない。
ロビン・クックの作品では、医療を悪意で行ったケースや、ケアミスが組織防衛の論理で隠蔽され、気がついた時には手遅れの状態に陥る悲劇など、現実にありうる問題が題材として使われる。
不死身のエイリアンや、狡猾な異常犯罪者に対する恐怖は、日常生活からの飛躍を必要とする。しかし、ロビン・クックの描き出す恐怖は、日常のほんの僅か先に起きる可能性を有するが故に怖い。
だから、あまり読みたくない。でも、いつまでも目をそらしたままでいるには魅惑的すぎる。ミステリーとしては、格段に面白いからだ。
数ある作品のなかでも一番怖いのは、以前取り上げた「昏睡 コーマ」だが二番手が表題の作品。免疫力が若干低い私なんざ、あっという間にやられちまう。たしか映画にもなっていますが、邦題は「レベル4」でダスティン・ホフマンが主演した「アウトブレイク」とは別物です。興味がありましたら是非どうぞ。
人々の喧騒が絶えることの無い首都・東京が一番静かなのが元旦の夜だ。そして、静かな都会の夜は、時として危ない。
学生の頃、渋谷のホテルの駐車場でバイトをしていた。時給800円前後なのだが、大晦日から元旦までは倍に跳ね上がる。別に用事もなかった私は、この稼ぎ時を逃さずにシフトに入っていた。
ホテルでバイトすることの小さなお楽しみの一つは、客からのチップだ。とりわけ正月は普段よりも実入りがいい。深夜勤務の時は、元気な挨拶と配車の手際の良さ次第でチップが頂けることがあるからだ。
そんな訳で元旦の夜の勤務を終えた時には、懐はけっこう暖かかった。こりゃ、ちょっと美味しいものでも食べて帰るかなと、思案しながら深夜の宮下公園を歩いていた時だ。
前方から怪しげな2人組が足早に近づいてきたことに気がついた。ヤバイ!多分、お小遣い欲しさのチンピラだろう。考え事をしていたので、気がつくのが遅れた。嫌な予感がして振り返ると、私の背後20メートルぐらいにも、もう一人黒いフード付きコートをまとった若者がいる。多分、グルだろう。
挟まれたと気づいたその瞬間、私は迷うことなく隣接する宮下公園の駐車場の柵に飛びついた。いくらなんでも3人相手では歩が悪すぎる。金網の張られた柵を素早く駆け上って駐車場に飛び降りようとした。
飛び降りる直前、怒声を上げながら駆け寄るチンピラの一人にスニーカーを捕まれたが、無視して飛び降りた。おかげで左足のスニーカーが脱げ落ちてしまった。かかとを踏み潰していたからだ。
左足に靴がない状態で、駐車場の精算所に向けて猛ダッシュした。あそこなら、制服姿の警備員が数人常駐していることを知っていたからだ。ただ、この駐車場は広く、精算所はずっと先だ。
薄暗い駐車場を全力で走るが、スニーカーのかかとを踏み潰した状態では、どうもスピードが出ない。でも、出入り口の精算所の明かりが見えてきた。後もう少しと思ったところで、右腕を捕まれた。そのまま、もつれ合うように駐車場の床に転倒した。
とっさに身体を回転させて、相手を振りほどいて、立ち上がり再び走り出す。大声で助けを呼びたいが、息がきれてそれどころではない。
精算所まで、後50メートルほどのところで、もう一人のチンピラにタックルされて倒された。追いついてきたもう一人にのしかかられて、顔面に2発ほどパンチを食らった。もう駄目か・・・その時突如
「手前ら、喧しいぞ!」とドスの効いた怒鳴り声が駐車場に響き渡った。暗がりからヌっと巨体が現れた。薄ぼんやりと光る白色灯の下に現れた男は、どこをどうみても堅気には見えない。しかも、この寒空にやけに薄着だ。
「人のお楽しみを邪魔しやがって」と呟くと、私の上にのしかかっていたチンピラを蹴り上げた。私が上半身を起して、よくよく見ると暗がりにコートを羽織った女性の姿が見えた。しかもチラチラと裸身がコートの隙間から見える。ありゃりゃ?
「見るんじゃねえよ」と私のドテッ腹にも蹴りが入った。再び床に倒れこむが、角度がゆるかったせいで、それほどの衝撃ではない。倒れながら転がって、車と車の隙間に逃げ込む。
悲鳴と情けない声が続いているところをみると、他のチンピラたちもやられているらしい。絶好の機会だと思い、痛む腹をかかえながら、四つん這いで逃げ出す。
非常口を見つけ出して、素早く開けて歩道に転がり出る。丸井のビルの裏手あたりだった。靴は片方しかなく、顔面は腫れあがり、蹴られた腹も痛むが、財布は無事だった。
もっともショーウィンドウに写る私の姿は、惨めというより滑稽なものであった。幸い深夜であり、元旦の夜でもあったので人気はない。
贅沢な食事は止めにして、タクシー代に使うことにした。さすがにこの格好で電車に乗るのは躊躇われたからだ。タクシーの運ちゃんにあれこれ尋ねられたが、知り合いと喧嘩しただけと投遣りに答えて済ます。
私の人生のなかで、あれほど不運な正月はほかには無い。あってたまるか。未だに忘れられないね。ちなみに失くしたスニーカーは、とうとう見つからなかった。せっかくの元旦の稼ぎも、靴代で赤字で終わってしまった。
とんでもない不運で始まった年だったが、終わってみると就職は希望とおりであり、充実した学生生活でもあった。バブルが始まる直前、期待と不安が入り混じった年でもあった。
あれから早や20数年。不運と幸運は交互にやってくることに変りはない。さて、今年はどんな年になるのやら。
戦争と革命の20世紀にあって、世界中で最も愛用された銃器が通称AK47、カラシニコフ自動小銃であることは間違いない。
その数は6000万丁とも7000万丁とも言われる。ロシアで生まれた武器ではあるが、世界中の工匠で模造されただけに、その正確な数は誰にも分らない。共産シナで模造されたものを数に入れれば、おそらく延べ1億を超えるカラシニコフ自動小銃が世界中で使われたと思われる。
その魅力は、なんといっても堅牢さにある。多少の砂や埃が入っても、弾が発射できる。乱暴に扱っても、滅多なことでは壊れない。たとえ壊れても、構造が簡単で、修理も容易い。戦場でこれほど信頼できる武器はない。
だからこそ、世界中の戦場でカラシニコフは使われた。命を奪い、奪い合う戦場では、なによりも武器の信頼性が求められる。その信頼に、これほどまでに応えた武器は滅多にない。だからこそ世界中に愛好者があふれた。
数年前に朝日新聞の記者が、カラシニコフ氏にインタビューをしたことがある。新聞にも掲載され、また本にもなった。私も目を通したが、朝日の記者が「貴方の設計した銃が、世界中で人の命を奪っていることをどう思いますか?」と訊ね、カラシニコフ氏が答えに窮している様を勝ち誇ったように描いているのが印象に深い。
バカだね、この記者は。答えに窮しているのではなく、理解不能だと呆れているのだよ。平和を守るためには武器が必要だとの認識が欠落している。日本の常識は、世界の非常識と云われても仕方ないと思うね。
ロシアの民はスラブ民族だ。ご存知の方も多いと思うが、古来よりギリシア、ローマでは奴隷をスラブと呼んでいたが、これはロシアの民が奴隷として売り買いされることが多かったことに由来する。
広大なロシアの地は、その地を統一し、外敵から守られるようになったのはかなり後のことで、常に侵略される非業の地でもあった。男たちは殺され、女子供は奴隷として売り払われた。
広大なユーラシア大陸の中央部は、常に強大な騎馬民族が支配しており、その西方に位置するロシアの大地は簒奪の地でもあった。ロシアの民が、常に外敵を恐れ、外敵と戦うことを天命の如くに思うことを朝日の記者は分っていないのだろう。
だからこそ、中学校さえ満足に通えなかったカラシニコフ氏の考案した銃がロシア軍に採用された。故障が少ないが故の信頼性が、命を守るための戦いに必要不可欠であった。
もっとも、カラシニコフ氏もロシア政府も、そのAK47が自分たちに向けられるようになることまでは、考えていなかったことが表題の本から窺われる。
旧・ソ連の最高議会の評議員でもあったカラシニコフ氏は、自分は愛国者であると断言する。その愛する祖国のため、独学で工学を学び、ライバルたちと研鑽し、仲間たちと力を合わせて名器AK47を作り上げた。
ソ連が崩壊してなお、その愛国心に蔭りが生じることはなく、優れた武器を設計し、祖国防衛に役立つことこそ我が天命と断言する。
武器がなければ戦争も起きないなどと、戯言を弄する平和愛好市民たちには認めがたい考えでしょうけど、これが世界の常識です。平和を守るために優れた武器を作ることに、生涯を捧げた一市民の人生を知ることも有意義だと思いますよ。
学生の頃は、冬になるとスキーをしに長野県に車を走らせた。
正直、雪道の運転は苦手だ。タイヤに金属のチェーンを巻きつけても、雑な運転をするとはずれてしまう。おかげで、雪道をクルクル回る羽目に陥り、冷や汗をかいたことも何度かある。
閉口した私は、父に頼んでスパイクタイヤを買ってもらい、スキー行きのドライブはこれで済ませた。しかし、ご存知のとおり、スパイクタイヤは道路の舗装を破壊して、粉塵を巻き上げてしまう。そのため現在は禁止されている。
幸か不幸か、身体を壊してからは、寒いのが苦手になり、運動も禁止されてしまったのでスキーにも行かなくなった。車もあまり乗らなくなったので、雪が降れば運転しなかったので、特に困ることもなかった。
しかし、今回たまたま人の紹介もあり、正月に草津の温泉場に宿をとることになった。忙しない元旦を避けて2日から宿を取ったのだが、悩んだのが交通手段だ。
なにせ、この20年雪道を走ったことがない。だからバスか電車をと思ったが、四泊分の荷物を考えるとやはり車が望ましい。
よくよく考えると、母が長期の入院をしている病院は、青梅の山中にあり冬は路面凍結の心配がある。ガードレールのない渓谷沿いの道を走るので、スリップ事故は断固避けたい。
そんな訳で、この際思い切ってスタッドレスタイヤに履き替えてみた。温暖化で雪の心配は少ないはずだったが、年の瀬に降った大雪のせいで、草津は一面雪世界だった。でも、除雪がしてあったので、心配なく走れた。
実は草津温泉に来るのは初めてだ。近くの山なら、何度か登っているのだが、温泉場に来た事はなかったのだ。それだけに楽しみでもあった。温泉街に入ると、たちまち硫黄のような臭いが漂ってくる。
事実、初めて入ってみた草津の湯は、肌が少しピリピリするような強烈な温泉であった。泊まったホテルの湯は、さすがに臭いが抑え目であったが、温泉街の湯を廻ると、いろいろな湯場、臭いが楽しめて、まさに温泉三昧であった。
3日目に少し離れた湯場に行こうと思い立ち、車でナビの指示に従い街中を走ると、とんでもない急坂に入った。しかも、どうみても凍結してツルツルしている。事実、歩いて登っている人が滑って転倒していた。
スパイクタイヤならばともかく、はたしてスタッドレスタイヤで大丈夫なのだろうか。ちょっと不安に思ったが、ゆっくりと車を走らせると、何事もなく車は坂を登っていく。スタッドレスタイヤの性能の高さに驚かされた。
もっとも、湯場を出るとき、駐車場で軽くスリップを起したことを思うと、過信は禁物のようだ。カー用品店の方から3シーズンが限度ですと言われたように、長持ちするタイヤではないようだが、その性能の高さは凄いと思う。
この冬は雪や凍結を心配せずに、母の病院へ行くことが出来ることが分ったのは収穫だった。これまで温泉といえば、伊豆か箱根だったが、この冬は雪を浮黷クに山場の温泉にも行ってみますかね。
読者を無視するな。
表題の漫画は、現在原作者と漫画家が争っているため、連載が中断されている。実に腹立たしいというか、残念でならない。なぜなら、おそろしく魅力的な漫画であったからだ。
東大へのストレート合格間違いなしと言われた優等生が、ある日突然に両親を殺めた。親殺しのレッテルが貼られたひ弱な主人公は、少年院に送られて悲惨な日々を送る。
だが、そこで覚えた空手にのめり込んだことが、彼の人生を一転させた。体格も身体能力も人並みの主人公だが、人並みはずれて優秀な知能と、生き延びるための執念が彼を、おそるべき空手家に変貌させた。
しかし、親殺しのレッテルは重く、少年院を出た主人公は、裏社会で生き延びるしかなかった。そんな彼の目の前に現れた日本空手界の期待のエースが、彼を裏社会から日の当たる世界へ引きずり出す。
決して正義のヒーローではなく、むしろ希代の悪役でさえある主人公は、その才能ゆえに裏社会に埋もれていることを許されず、好むと好まざるに関らず、明るい日の下に引っ張り出される。
やがて主人公は香港に渡り、中国拳法を身につけ、更にその凶悪性に磨きをかける。一方、世界中からその才能を羨望される天才舞踏家は、この主人公を見て天啓を受け、格闘家へと転進し、主人公との対決を予感させる途中で作品は中断された。
予めお断りしておくと、私は具体的な状況について何も知らない。ただ、長年この漫画を読み続けてきたので、それとはなしに思うところはある。
まず、第一に考えられるのは、漫画家である田中氏の技量の向上だ。元々絵の上手い漫画家ではあったが、ストーリーに面白みが少なく、それゆえこの原作の作画者としての場を得たことで第一線に躍り出た。
そして長年描き続けるうちに、原作者とは別の想いを作品に、とりわけ主人公に対して抱くようになったことが窺われる。だからこそ、原作者と漫画家の争いが起きたのではないかと想像できる。
これは原作者である橋本氏にとっては許されざる出来事なのだろう事も分る。この作品の骨格、魅力的な主人公の人物造形などは、間違いなく原作者の才能に帰する。だから怒るのも当然だろう。
ただ、この作品、途中から方向性が変っているのではないか?長すぎるが故のものだとは思うが、当初のものとは大分変ってきたのも事実だ。
それが原作者独自のものなのか、あるいは漫画家のアレンジが効いたのか、私にはそこまでは分らない。私に分るのは、漫画家の田中氏はその後、歌舞伎や舞台に対する関心が強まり、そちらの作品を独自に描くようになったことだけだ。
これは想像でしかないが、もしかしたら担当する編集者が代わったのではないか。はっきり分っているのは、この漫画を担当している編集者が漫画家と原作者のコントロールに失敗したことだ。
どこの出版社でも、漫画は稼ぎ頭であり、売れる漫画を育てるためには、優秀な編集者の存在が極めて重要となる。単になる原稿取りではなく、編集者は漫画家の影のプロデューサーであり、アシスタントでもある。優秀な漫画家が育つには、優秀な編集者のサポートが必要不可欠なのが、今日の漫画業界だ。
この作品は、この十年ずっと注目していた傑作だけに、このままフェードアウトして欲しくない。なんとか、復活して欲しいものです。