ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

米軍再編 江畑謙介

2011-01-17 13:07:00 | 

日米関係の咽喉下に突き刺さった小骨、それが普天間米軍基地の移設問題だ。

はっきりと公言されたわけではないが、この問題が起きた背景は、冷戦の終結と海外米軍の基地の撤退にあるのだろうと想像がつく。

ベルリンの壁が崩壊し、ソ連がロシアとなったことは、事実上の冷戦の終結を意味している。そのため、多くの海外基地をもっていたアメリカ軍は、世界各地で基地を縮小、撤退を進めている。

その動きを見た日本の一部の左派系政治学者やプロ市民たちが、沖縄にある米軍基地の撤退を求める活動をしていた。その動きを受けての、前・鳩山首相の普天間基地の沖縄県外移設発言であったのだろうと想像はつく。

木を見て、森を観ず。

たしかにソ連の脅威が減ったことで、欧州に展開していた多くの米軍基地及び設備は撤退し、縮小した。アメリカ本国でさえ数百を超える基地、設備の廃棄、縮小が実施されたことは事実だ。

しかし実態は違う。量よりも質を求めての、米軍再編。これこそが、各地で相次いだ米軍の廃棄・縮小の本質であることを表題の本が暴きだす。

兵器のハイテク化の推進と並び、それ以上に重視されているのが、21世紀の戦争に適切に対応できる軍事施設のレベルアップこそが、米軍再編の核心なのだ。つまりアメリカ政府は、冷戦後の世界を見据えて、新しい世界情勢に応じた軍事態勢の構築を進めている。

なかでも、イギリス、ガルシア環礁(インド洋)、グアム島と並び日本は、アメリカ軍の海外拠点の最重要地であるとされていることが興味深い。

その重要拠点である日本列島においても、21世紀においてもアメリカの覇権を維持できるように、新たな軍事施設の再編が計画されている。

普天間基地の移設は、その一環に過ぎず、一部の日本人が期待するような米軍撤退は在り得ない。ただ、米軍関係者にも、市街地に近い普天間に配慮しての移設を考えている向きはあるようだ。やはり、現地との無用なトラブルは避けたいらしい。

だからこそ、辺野古だった。そして、それを無知ゆえにぶち壊したのが民主党の前・鳩山総理だったから頭が痛い。もっとも当人は、周囲の度重なる教示により沖縄米軍基地の重要性を、少しは学んだようで、既に前言を魔オている。

そして一番不幸なのは、少しでも期待をし、米軍基地のない沖縄を夢見てしまった沖縄の人たちであろう。冷徹な現実を知りつつも、振り上げた拳の置き所を失して、無益な声を上げざる得ない。

沖縄のマスメディアの異常性はさておきも、全国紙たる新聞、TVも未だに反米軍基地思想にしがみ付き、沖縄米軍基地とアメリカ軍の軍事方針の変更を報じる気配さえない。

平和を求めるならば、軍事知識は必要不可欠だ。なぜ、アメリカは軍事施設の再編を行っているのか、その政治的背景には、表題の本はあまり触れていないのが難点だ。しかし、軍事面に限って言えば、今のところ最良の解説書だと思う。興味のある方は、是非ご一読を。

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菅総理の遺骨収集

2011-01-14 13:55:00 | 社会・政治・一般
面子丸つぶれ、なのだろう。

昨年末だが、なにかと評判の悪い菅総理が、太平洋戦争の戦地を訪れて、形だけとはいえ戦死者の遺骨収集と慰霊を行った。日本の大手マスコミ様(産経以外ですが)はほとんど報道しなかったので、私は知らなかった。

では、どこで知ったかといえば、ネット上のチャイナ情報だ。驚いたことに、シナの大衆は、日本の首相が軍人の遺骨収集と慰霊を自らやっていることに敬意を表していた。

もちろん、反発もあるが、大勢では戦死した軍人に対する敬意を表する菅総理を省みて、我が国の政治家はもっと軍人に敬意を払うべきだと言い張る。そして、小さな日本にシナが侵略を許した所以は、軍人に対する敬意の払い方の違いからして明らかだと、間接的に北京政府を非難する。

一般的にシナの人民は、死者に対する慰霊を極めて重んじる。はるか僻地の戦場で唐黷ス兵士の慰霊を自ら膝を屈して行う菅総理に敬意を抱くのは、自然な感情なのだろう。

ところが、我が国のマスコミ様は、日本政府の要人が靖国神社へ参拝することを悪いことだと断じている。小泉・元総理や安倍・元総理らが靖国に参拝すると大騒ぎ。

わざわざ北京政府に御注進に参上して、日本の政治家どもを叱ってくだせいと御願いしていたぐらいだ。北京政府に腰が引けている一部の日本の政治家どもが、シナ人の恫喝に恐れをなして靖国参拝を取り止める事、甚だしいのが現状だ。まったくもって情けない限りだ。

私自身は、靖国神社に参拝したことはない。だが、日本政府の要人ならば、靖国に参拝して戦死した国民の慰霊をするのは義務だと考えている。何故なら、靖国神社に弔われている人たちは、日本政府の命令で戦地に赴き、そこで戦って命を落としたからだ。

戦死者を殺したのは敵(主にアメリカ軍)だが、その戦地に追いやったのは、日本政府の命令あってこそ。嫌々戦場に引き立てられた人もいるだろうが、多くは愛する家族、友人、わが町を守るため、政府の求めに応じて戦い、死んでいった人たちだ。

政府が弔わずしてどうする。

別に難しいことではないと思う。そして、この程度の道理が分らない、分りたくないのが日本のマスコミ様であり、一部の反日自虐平和愛好家どもだ。

だからこそ、今回の菅総理の遺骨収集と慰霊を報じなかったのだろうな、日本のマスコミ様は。そんな態度だから、購読者も減るし、視聴者も減るんだよ。いい加減分ってしかるべきだと思うな。
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プロレスってさ ハルク・ホーガン

2011-01-13 12:20:00 | スポーツ

アメリカン・ドリームの体現者、それがハルク・ホーガンだ。

プロレスラーには大男が多い。なかにはホルモン異常ともいえる巨人症を抱えた者が少なくない。大雑把にいって、身長が2メートルを優に超すような大男は、巨人症ゆえか、どこか身体のバランスが悪い。

日本人ならば故・ジャイアント馬場がその典型だと思う。若いときはそれほど不自然ではないが、年をとり身体の老化が始まると、やはり巨人症の症状が顕著に出てくる。

ところが、ハルク・ホーガンは2メートルを超す長身であるにもかかわらず、きわめてバランスのいい体格であった。運動神経も人並み以上であり、その筋骨逞しさは理想的なバランスの良さであった。

しかし、恵まれた体格ゆえに、いささか不器用なプロレスラーであった。幼少時から人並み以上に巨体であったホーガンは、まず喧嘩を売られることはない。そのせいか、喧嘩上手とはいいかねた。むしろ、相手を怪我させることを恐れての手加減しているのが透けて見える。これでは人気は出ない。

それゆえ、せっかくプロレスラーとしてデビューしても、期待の大型新人でしかなく、いつしか壁にぶつかっていた。そのホーガンの転機となったのが、日本遠征であった。

ショーマンシップが強く求められるアメリカとは異なり、格闘技的技量が求められる日本のプロレス界で、自分よりも二廻り、いや三廻りは小柄な日本人レスラーたちに翻弄させられたホーガンは、ここで初めて持ち前の優れた運動神経を活かしたプロレスを覚えた。

そして、この太平洋の反対側で、本国アメリカでは過激すぎて干された不遇のレスラーが大活躍している姿を見た。それが当時、日本で人気絶頂であったスタン・ハンセンであった。

本来、日本人レスラーの敵役であるはずのハンセンは、その激しく一途な戦いぶりで、日本のプロレス・ファンのハートをつかんでいた。善玉とか悪役とかの枠を超えた、その人気ぶりにホーガンは圧倒された。そして、自分もやってみようと志し、ハンセンとタッグを組むことにした。

その後、アントニオ猪木ともタッグを組み、猪木の巧みなインサイドワークを学び、プロレスラーとしての可能性を拡大させた。ホーガンの最大の武器は、この向上心にこそある。

多くのアメリカ人プロレスラーにとって、日本は出稼ぎ場所に過ぎない。しかし、ホーガンは日本に腰をすえてプロレスを学びなおし、プロレスラーとしての実力を飛躍的に向上させた。

ただ単にデカイだけのレスラーから、激しく明るくファイトする人気レスラーに成長した。やがてアメリカに戻り、アメリカの市場に合わせて、新しいタイプのプロレスラーとして大人気を博した。

映画にも出演し、全米のみならず世界中に名を広めた。美しい妻を得て、愛する子供たちとフロリダの豪邸で暮らすホーガンは、まさにアメリカン・ドリームを実現した成功者であった。

だが、成功の陽射しが強ければ、その影も濃くなる。子供の交通事故、家を空けがちな夫への不満からの妻の不倫。そして人気者ホーガンには、常に女性がつきまとう。家庭は破綻してしまい、ついには泥沼の離婚訴訟。

つい昨年末、再婚を果たし、新しい人生に向けて一歩を踏み出したホーガンは、次に何を目指すのだろう。なかなかに目を離せない人物であるのは間違いないと思う。

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税制改正大綱

2011-01-12 09:12:00 | 経済・金融・税制
12月の中旬に発表された民主党の税制改正大綱。

冬休みを利用して、じっくりと検討してみたが、あんまり感心できないものが多い。

意外だったのが、証券税制だった。現在、上場株式を売却したことによる所得にかかる税金は、国税7%、地方税3%の10%である。

これは期限を平成23年12月に区切った時限立法であり、株式市場の低迷に活を入れるための優遇税制であった。当初より金持ち優遇との批判が強く、民主党は当初から期限を過ぎたら打ち切るつもりであった。

私どもも、ほぼ11月ぐらいまでは平成24年からは原則の20%(国税15%、地方税5%)になるものだと思っていた。ところが、いざ蓋を開けたら期限を更に2年延ばしたものとなっている。つまり、平成25年までは今の優遇税制が続くわけだ。

妙な話だと思ったが、どうも税金が倍になると株式市場が冷え込むとの声が強く、その声に押されたらしい。バカだね、民主党は。これだから頭がいいだけの素人は困る。

従来の10%から20%に税率が上がれば、税金は二倍なのだから、投資家に尋ねれば誰だって投資を手控えると答えるに決まっている。それを真に受ける辺りが、民主党の愚かさだ。

戦後、証券税制は何度か大きく変っているが、最近では平成14年の改正が一番大きかった。それまでは売却価格の5%を源泉徴収されて課税はお終いであった。売却損でも課税されるが、売却益がいくら出ても5%で済むため、投資家の多くが利用していた。

それが売却損益を計算して、利益が出たら20%、損失なら課税なしとされたのが平成14年だった。当時、証券会社が主催するセミナーなどでは投資家が熱心に税制の勉強のために集まっていた。あの時も投資が冷え込み、株式市場が大きく値を下げると警告されたものだ。

しかし、当時の自民党政権は投資家の心理をよく把握していた。税金が多少増えたぐらいでは、投資家は株を止めないと分っていた。投資家にとっては、市場が大きく動くことにこそ関心があり、税金は手数料としかみなしていない。

だから、結果的に増税になった税制改革後も、投資家の株の売り買いに影響はほとんど出なかった。投資家にとっては、活気の在る証券市場こそが重要なのであって、多少の増税なんて大して気にしないのが実態だ。

民主党がいかに投資家の心理を分っていないかが、よく分る税制改正大綱であった。

でもね、この税制改正大綱がそのまま国会を通過するかどうかは、いささか疑問が残る。予算案とことなり、この税制改正法案が国会を通るには、衆参両院での過半数が必要だ。

素人ぞろいの民主党と異なり、自民党には税制のうるさ型が多い。財務省の反民主党派の巻き返しも予想できる。はてさて、どうなることやら。
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人間以上 シオドア・スタージョン

2011-01-11 12:13:00 | 

不具者に対して、ある種のうしろめたさを感じることは本能に近い。

自分が健常者であることを神に感謝したくなるような気持ちになることでさえある。だが、時として本能は残酷だ。優れた遺伝子を残そうとする生存本能が、不具者を本質的に厭わせるのだろうか。

いや、不具者だけではない。肌の色や、髪の色、目の色など、自分の種族とは異なる同族に対して、同じ人間だと分っていても、心の内側から湧き出る違和感を抑えることが出来ない。

人種差別にせよ、不具者に対する差別にせよ、そこには理屈では解決できない深い溝を感じることがあるとすれば、それは本能に基づいたものだからだと思う。ここに差別問題の難しさがある。

しかし、もし血を分けた身内に不具者がいたとしたら、おそらくは健常な身内以上に愛情を感じることは珍しくない。自然の理不尽さに対する憤りや、不具者に対する保護者意識が燃え上がることは、しばしば見受けられる。

それでも少し距離を隔ててみると、やはり自分が不具者として生まれなかったことを感謝してしまうし、罪なくして不具を背負わされた者への哀憫を感じざる得ない。

現在、日本では不具者と呼ばれるような人たちは、一般の人たちから切り離されて生きることを強いられる。だから、街で見かけることは、極めて稀だ。表向きは、彼らを保護するためだそうだ。

だが、本当にそれでいいのだろうか。私は子供の頃、いわゆる知恵遅れの子が同じクラスにいたことがある。みんなと同じことするのが、ほとんどダメで、担任の先生には相当なストレスであったようだ。

そのせいで、夏休みを過ぎて二学期に入ると姿を消した。先生の説明では特殊学級に移ったとのこと。でも、私たち子供たちは知っていた。特殊学級に移ることを薦めたのは、他でもない担任の先生自身であろうことを。

その子のお母さんは、その子が普通の子供と一緒にいることを切望していたはずだ。私の知る限り、彼を虐めようとするクラスメイトはいなかった。彼はいわゆる「おミソ」だった。

彼と距離を置きたがるクラスメイトは確かにいたが、彼を虐めるようなことは、なんとなくイケナイ、あるいは情けないことだと漠然と思っていたからだ。

生まれついてのハンデを背負った子供がいることを、我が目で知ってしまうことは、決して悪い経験ではなかったと思う。個人の努力ではどうしようもないことがあることを、拙いながらも実感できたからだ。

私は虐められたことも、虐めたこともあるが、生まれつきのハンデを虐めの対象とすることには嫌悪感が強い。ただ、そのような事を虐めの対象とする性悪の子供(いや、大人もだが)がいることも知っている。

たしかに不具者に対する虐めは実在する。だが、だとしても今の日本のように彼らを一律に隔離することには同意しかねる。むしろ、虐めがあるなら、不具者を虐めるような輩を白日の下にさらしてしまうほうがいい。あの人は、不具の人を虐めるような卑劣なヒトだと公開してしまうほうがいい。

だから、隠してしまうのが、一番良くないと思う。彼らのような不具者を自然に社会に受容できる社会のほうが、ずっと健全だと思う。彼ら不具者に優しくできない社会なんて、そのほうがおかしいと思う。

表題の作品は、その不具者らが超能力を身につけ、人類を超越した存在として登場している。それゆえ、発表当時かなりの話題となったSF小説の傑作だ。

現世人類が進化の頂点にたったのが数万年前であることを思えば、いつかは新たな優生種が登場するのだろう。彼らが人類のなかから進化して登場するのか、それとも他の種から登場するのかは分らない。

この作品でえがかれているように、もし人類のなかの出来損ないと思われている不具者から新人類が登場するとしたら、神はなんと皮肉屋であることか。

いつかは分らない、でも必ずや主役交代の日は訪れるはずだ。

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