ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

笹子トンネルの事故に思うこと

2012-12-20 12:09:00 | 社会・政治・一般

この二年九か月、週末はいつも母の見舞いに費やしていた。

休んだのは、仕事が繁忙期である3月の確定申告直前の週末だけなので、3回だけだ。概算だが130数回、通ったことになる。たいへんだったとは思うが、そこは怠け者の私である。実はけっこう怠けていた。

幸い、母の入院していた病院は、東京西部の青梅の山の中にある。ここから中央高速を使えば一時間かからずに甲府の温泉へ行ける。そんな訳で、母を見舞った帰りに、甲府の温泉で息抜きをすることが多かった。

その中央高速で大きな事故があった。

東京から甲府盆地に抜ける中央高速道にはトンネルが多い。中でも一番長いのが、今回事故が起こった笹子トンネルだ。なにしろ全長4、7キロメートルある。その長いトンネルを平均時速100キロあまりで駆け抜けるのだが、ここで火災事故があったら嫌だなと思っていたのは私だけではあるまい。そのトンネルで事故は起きた。

なにしろ天井が次々と落ちてくるのである。事故にあった人たちは、さぞかし怖かっただろうと思う。あげくに火災が発生して、煙と炎熱のなか、必死で助けを求めたであろうことを思うと、道路公団の罪は重い。

私が驚いたのは、コンクリートの板天井をボルトで吊るしていたことだ。おいおい、コンクリの吊り天井だったのか。てっきりトンネルの柔構造を支える横板としての天井だと思い込んでいた。

そりゃ、吊っているだけなら落ちることもあるわな。どうやら、通風機能をメインにした考えのようだが、安全が第一ではないのか。ただでさえ地震大国の日本であり、しかもコンクリの質だって劣化しているのは現場も承知のはず。

ただ、それしたって100メートル以上にわたって天井が次々と落ちるなんで、やはり異常だと思う。徹底的な原因究明と、安全対策を求めたい。なぜって、このトンネル、私も良く使う。東京と山梨を結ぶ高速は、この中央高速だけだ。迂回路はあるにはあるが、遠回り過ぎる。

しかも、高速の下の道路は国道20号線。これは甲州街道といって江戸時代からの道路だ。片側一車線の山間を抜ける道であり、住民が暮らす街を抜ける道路だけに渋滞が起きやすい。

早く中央高速を復旧してもらわねば、物流を大きく阻害する。実際、既にトラック業界などは対応に大わらわだと聞く。また、首都圏からの観光客を迎える山梨、長野の観光地は、事故以来予約のキャンセルが相次ぎ大打撃だ。

道路のような社会的インフラの事故は、その影響が甚大であることが良く分かる。

これを「コンクリから人へ」と方針転換を掲げた民主党政権のマイナスの遺産だとする向きもあるようだが、それは違うと思う。むしろ小泉・竹中構造改革における公共事業削減の影響が大きい。

一度作った建造物は、絶えずメンテナンンスが必要なのだ。それは原発も同じこと。止めれば、廃止すれば良いといったものではない。原発にせよ、高速道路にせよ、それがあることのメリットあってこそであり、欠陥は是正し、絶えずメンテナンスをして安全に気を配ることが肝要だ。

完全ならざる人間がやることに絶対はありえない。100%安全なんて、口にするのも愚かしい現実逃避だと思う。100%はあくまで理想の目標と割り切り、少しでも完全に近づくように,小さくとも地道な努力を重ねる事こそが王道だと思う。

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8年目を迎えて

2012-12-19 12:04:00 | 日記
忙しすぎて忘れていたが、先月の末でこのブログも7年を超えて8年目に突入してた。

よくぞ続いたものだとの感慨もあるが、正直言うと危機感の方が強い。なんとはなしにだが、記事の中身が薄っぺらになっている感が否めない。もっと云えば勉強不足、思索不足、推敲不足。

大きな原因の一つは不況だ。つまり売り上げが下がっているために、仕事を増やさざるを得ない。以前なら断っていた仕事も受けているし、新分野への開拓も既に始めている。労多くして、なかなか実りが上がらないのだが、攻めの経営なくして未来なしだと信じて奮闘している。

おかげで読書の時間を大きく削られている。必然的に考える時間さえ減っている。新聞を熟読する時間さえとれずにいる。以前からやっていた三紙(朝日、産経、日経)を比較しての時間なんか、とれるはずもなく、情報量に大きく不足を感じている有様だ。

もともとTVの前で、じっと座っているのが好きではない。仕方ないので映画を鑑賞する時間を増やすようにして、少しでも世間並みの情報量を確保したいと思っている。もちろん映画自体を楽しむことも大事だ。ただでさえ頭が疲弊しているので、娯楽映画に偏りがちだが、他に娯楽らしい趣味を持ち合わせていないので勘弁して欲しい。

実際問題、読書も娯楽ものに偏っている。どうしても気楽な趣味に走ってしまう。だから最近、新しい知識の発見に喜んだり、驚いたりする機会が減っている。これは結構寂しいものだ。

元々読書日記として始めたつもりで、気が付いたら目標の1000冊レビューも来年中には実現しそうだ。でも、中身が薄ければ価値のない数字になりそうで浮「。元々読書を数字で測る気はない。読んで、如何に心に残ったのがが大事だと考えている。

ここ二年ほど、どうしても趣味に走っているのは事実であり、このままでは1000冊なんて目標は意味のない数字合わせに過ぎなくなっている。これではいけないと思う。

世の中には、まだまだ私の知らない事、知るべき事、知っておいた方がイイことって数多あるはずだ。住み慣れた知識の枠に安住するのではなく、未知なる世界に足を踏み入れる気概こそが大切なもの。

この気概をなくした時こそが、人生からリタイアして引退生活に入るときだと信じている。

8年目に入りましたが、本読みとしての気概を新たにしたいと痛感しました。自戒の意味を込めて、新たに始めるつもりでこの先も頑張っていこうと思います。
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プロレスってさ 橋本真也

2012-12-18 12:16:00 | スポーツ

恐怖に耐え抜いた凄みに、当時は気づかなかったことを残念に思う。

80年代のプロレス・ブームの最後を担ったのが、新日本プロレスの闘魂三銃士と呼ばれた、武藤、蝶野、そして橋本真也であった。スマートな武藤、がっちりした蝶野と比べ、ぽっちゃりした橋本は一番気が強そうに思えた。

猪木の唱えたプロレス最強伝説を頑なに信じ、異種格闘技戦にも堂々名乗りを上げる姿に、喧嘩好きの暴れん坊と見て取る人は多かったと思う。元々は柔道出身だが、プロレス入り以降、急速に蹴り技に目覚め、体重を乗せたキックを得意にしていた。

その橋本がボクシングのトニー・ホームと異種格闘技戦を闘った。結果はトニーの連勝であった。たしかに橋本の蹴りはトニーを追い詰めはしたが、ボクサーが放つ的確なパンチをディフェンスする技術を持たない橋本は、何度もリングに倒れた。

倒れても、倒れても、再び挑もうとする姿勢にファンは熱狂的な声援を送っていたが、正直言えば私は醒めて観ていた。明らかに橋本にはディフェンスの技術が不足していたからだ。

ボクサーのパンチは的確に急所を狙ってくる。プロレスラーのように、分厚い筋肉をわざわざ叩くようなことはしない。つまりプロレス的対応をしていたら、勝てる訳がない。にもかかわらず、橋本はプロレス的戦い方に拘った。

だから、あの頃私は橋本の無謀な戦い方を唾棄していた。

そういえば、その頃からだろう。毎週TVでプロレスを観る習慣があった私が、次第に観なくなってきたのは。既にK1が始まり人気を博しており、猪木のカリスマ性が喪われて、プロレス人気は失墜した。

格闘技興行の世界でも、プロレスは主流ではなくなり、リアル格闘技といえる立ち技打撃系のK1と、総合格闘技系のUFOなどに人気を奪われてしまった。

思えば、格闘演劇であったプロレスが、リアルな格闘技に近づこうとしたがゆえに、プロレス本来の魅力を失ったのだと思う。皮肉なことに、かつては見世物的要素が強すぎると非難されたアメリカのプロレスは、むしろエンターテイメント性を前面に押し出して、熱烈な人気を博していた。

私もプロレスから距離を置くようになり、冷静にあの頃を顧みることが出来るようになった。だから、今後悔している。

あの頃、本物のヘビー級ボクサーであるトニー・ホームと対戦していた橋本は、自分が勝てないことを自覚していたはずだ。しかし、プロレス最強神話を信じているファンに、戦う姿勢を見せるために敢えてリングに上がっていたはずだ。

殴り倒されると分かっていながら、橋本真也はリングに上がる。いったい、どれほどの恐怖に耐えていたのだろう。その怯えをみせることなく、あくまで果敢に戦う姿勢を押し通した彼の勇気が、今にして分かる。

やっぱり鍛え抜かれたプロレスラーは凄いと思う。ただ、プロレス最強伝説の信奉者であった私は、橋本がプロレスに泥を塗ったと思い込み、嫌ってしまった。私の見方こそが未熟であったのだ。

残念なことに、橋本選手は既に故人であり、もう彼の雄姿を見ることは適わない。実に残念だと痛感しています。

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人は見た目が9割 竹内一郎

2012-12-17 12:45:00 | 

アピールすることが上手でない。

まず喋りがダメ。早口な上に聞き取りづらい発音なので殊更悪い。三枚目で愛嬌なしの無愛想なのはともかく、太り気味で小柄で、しかも落ち着きがない。そのうえお洒落音痴で、外見を着飾ることに関心が薄い。だから人は見た目が9割なんて題字を見ただけで、ちょっとうんざりする。

うんざりするだけで、あまり改善する気がないのは、怠け者の性分であることが大きい。だいたい、外見で高い評価をされた覚えがないので、なにを今さらと達観しているせいでもある。

だが、読んでみて良かったと思う。この本で書かれていることは、外見の美醜とか、お洒落の勧めではない。言葉以外の手段によるアピール手法について述べたものだ。これは、なかなか勉強になる。

ちょっと驚いたのは、人間が他者にアピールする手段の内、言葉が占める割合は7%だということだ。すなわち他者とのコミュニケーションにおける主たる役割は、言語以外の要素であるという。

まさかと思ったが、この本を読んでいるうちに、相応に納得できた。たしかに外見的アピール(服装や身振り手振り)はインパクトが大きいし、声の高い低い、音量、音色なども重要な要素だと思う。

私自身、自信を持って話せる場合、低く落ち着いた声となる。当然に態度も落ち着いたものとなり、相手に安心感を与えるのだろう。一方、予想外、想定外の事態や質問などで動揺している場合、私は見事に無様な態度をとりやすい。声は上ずり、落ち着きなく、あたふたする。

私って、えらい分かりやすい人間なのだなと痛感した。そう思うと、他者とのコミュニケーションにおける言葉の役割は1割未満という著者の主張も理解できる。

しかし、冷静に顧みてみると、これだけ喋り下手で外見に無頓着な私が、顧問税理士として顧客からそれなりの信用を勝ち得ているのは、言葉以外の要因があるからなのだろう。

妙な言い方になるが、私はいささかドンくさく、他人を上手に騙すタイプには見えないらしい。また、スマートに見えない分、愚直で信頼は出来ると思われてもいるらしい。

良いのだか、悪いのだか分からないが、それが今の私なのだろう。

ちなみに表題の書で云う「見た目」とは単なるファッションや外見的美醜を指すのではない。言語以外のアピール能力全般を示している。他人と会う機会の多い人は、一度参考までに読んでみても悪くないと思います。

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反省なくして復権なし

2012-12-14 12:10:00 | 社会・政治・一般
ようやく始まった衆議院選挙だ。

いささか政治に醒め気味の私だが、新聞紙面だけは一応目を通しておく。相変わらずというか、落ち目の民主党をかばうが如き論調を目にすることが少なくない。

理念(マニフェスト)を徹することの出来なかった覚悟のなさや、小沢一郎の資金問題などを取り上げて、奇妙なほど民主党を擁護しているのが可笑しい。

民主党が失政を重ねた原因の一つに、その失政を知りつつ見逃したマスコミの怠惰がある。かつて自民党から政権を奪った細川・連立政権に厳しく当たり過ぎて、結果再び自民党を政権に戻してしまったことへの反省らしい。

どうもマスコミ様におかれましては、自分たちが厳しく失政を追及しなければ、民主党政権は持つとお考えであったらしい。

思いあがるな、と言いたいね。

寄合所帯で統一性もなく、党内の主導権でさえ不安定な民主党が政権をとれたのは、自民党に失望した有権者の期待があったからこそだ。民主党のマニフェストを信じて、民主党に投票したのではない。失望した自民党に対するお灸であり、新しい可能性に賭けてみた。それが前回の衆議院選挙における民主党等の歴史的大勝であった。

しかし、民主党政権はその有権者の期待に応じようとしなかった。彼らがやろうとしたのは、長年マスコミともども声を上げ続けた少数意見の実現であった。多くの有権者が求めていたことではなく、常に少数の者が求めていたことを実現しようとした。

それが沖縄米軍基地の県外移設であり、在日外国人ぶっちゃけ在日コリアの権利を優遇することを公認することであった。その誘い水として、子供手当のばら撒きをやったり、高速道路を1000円にしたりと税金を無造作に放り出した。

官僚たちの支配脱却を口にしながら、結果的には官僚に頼り続け、役所は焼け太りである。景気回復を口にしつつ、やったのは生活保護世帯の増加だけ。脱デフレをいくら叫べど、日銀の小手先の誤魔化しに騙され続け、デフレを更に悪化させた。選挙が始まってから、ようやく市況悪化を公表するこ狡さばかりが目立つのが民主党政権だった。彼らは何をやったのか。

その結果についてはご存知のとおり。事業仕分けでも財源は見つからず、資金不足で子供手当は、むしろ家庭の税負担を増加させた。高速道路は元の料金に戻っただけならともかく、中央高速の笹子トンネルの事故で顕在化したようにメンテナンス不足が露呈する有様である。

外国の侵略行為に対して「事態を遺憾に思う」と知らん顔をした間抜けな政府のおかげで、侵略を認めてもらったと小躍りしたシナとの関係悪化は、この国防に対する無関心さが根幹にあるのを忘れて欲しくないものだ。

そして、なによりそれを是認し続けたマスコミの放漫こそ弾劾されるべきなのだ。繰り返します、この3年余の民主党政権の失敗は、マスコミの増長と怠惰あってのもの。多くの国民が望む政治ではなく、長年少数意見を主張しつづけた依怙地な善人たちに媚びた政治にこそ失敗の原因がある。

断じてマニフェストに由来する失政ではない。大多数の国民の声から耳を背けたことこそが失政の根底にある。

私の考えが間違っているとしたら、それは原発廃止を性急に主張する政治家たちが多数当選した場合だろう。現在マスコミは盛んにこの反・原発陣営の活躍を報じるが、私は疑問に思っている。声を上げない国民の大半は、原発に不安を感じつつも日々の暮らしを支える原発の必要性を認めていると私は思う。

だが、マスコミが伝えるのは原発に不安を抱く市井の声ばかりで、言い訳ていどに原発容認派の声を伝えるに留まっている。私はこれをマスコミ主導の原発廃止運動だと理解している。でも、私が間違っている可能性もある。

それも選挙の結果で判明するはずだ。

原発反対派が多数当選したのなら、私の考えは間違っていることになる。だが、容認もしくは現状維持ならば、マスコミの報道の歪みを立証したことになり、それは民主党政権をミスリードしたことへの反省がなかったことの立証にもなる。

なにより、国民の大多数の声から民主党が耳を塞いでいた証拠でもある。このことを反省なくして、民主党の復権はあってはならないことだと思います。
コメント (2)
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