プロフェッショナルの仕事とは、信頼の証しであるべきだ。
仕事に期日があるのなら、その期日はなにがなんでも守らねばならない。それがプロの仕事だ。
毎週発売される週刊誌に漫画を連載することは、プロの漫画家にとって過酷な仕事であることは間違いない。だが、それをやってのけるのがプロの証しだろう。私はそう信じている。
ところがだ、そのプロの風上にも置けない輩がいる。
その代表格というのが、表題の作品の著者である冨樫義博だ。TVアニメにもなった「幽々白書」の大ヒットで知られる漫画家であるが、現在は一年のうち多くても7週間くらいしか連載しない、とんでもないプロ作家である。
本来なら表舞台から消されてもおかしくないと思うのだが、江戸時代の相撲取りよりも働かない漫画家は今ものうのうと漫画を描き続けている。
何故か?
面白いからである、続きが読みたいからでもある。だから単行本が出るたびに、ベストセラーランキングの上位に並んでしまう。
つまり私も含めて、それだけ期待している読者が多数いることを意味している。実に悔しいではないか。
しかも今回発刊された31巻では、主人公は一切登場しない。その代りにその親友キルアが大活躍である。不気味に可愛い妹のために獅子奮迅の大活躍である。さらに久々登場のレオリオが主人公の親父に一発喰らわす場面は拍手喝采もの。
待っていたんだ、こんな面白い話を!悔しいことに続きが早く読みたくて仕方がない。
嬉しいことに、今月28日には32巻が発売予定なのだ。買わずにいられるか。
ところが肝心の本編は、未だ雑誌に連載再開の兆しはない。
実にふざけた漫画家である。レオリオではないが、顎に一発パンチ喰らわせたいぐらい憎たらしい。でも早く続きが読みたいのも事実。
何故か?
まず、ストーリーが面白いだけでなく、良くも悪くも読者の予想を裏切る。前巻までの敵役であるキメラアントの王に、あのような美しくも哀しい結末を用意するなんて、いったい誰が予想しえたのだろうか。
そして絵が上手い。特に表情が上手い。今回も妹に対して無類の優しさを示すキルアの、かすかに柔らかい表情なんて絶品であった。対する兄イルミの異常さや、これまた久々登場して狂気の殺戮をみせるヒソカの表情なんて、ファンならば読み込まずにはいられない完成度。
この話の続きが読みたい。私をここまで悩ませるプロ失格の漫画家は、冨樫義博一人である。まったくもって、困ったもんだ。
三権分立であり、議会(立法)役所(行政)裁判所(司法)がそれぞれ対等であるといっても、やはり現状追認である現実は理解できる。だから選挙をやり直せ、とは私は言わない。
しかし、ここまで明白に一票の格差が生じている以上、それを是正するのは、民主主義に根幹にかかわる義務だと考える。
ちなみに過疎地である高知3区の一票は、東京の有権者である私の2倍の価値がある。つまり私の一票は高知三区に比べると0.44票の価値しかない。ひどい差別である。
もちろん国会議員にとっては死活問題であり、長年の既得権でもある選挙区を分断されるのを拒否する気持ちは私でも理解できる。理解はできても、私自身の投票権がないがしろにされている不平等を我慢できるほどではない。
やはり原則は一人一票であり、一票の格差は二倍未満、これが妥協できる限界だと思う。
ところがだ、最高裁判所の裁判官のなかには、この明白な事実に理解を示さぬ馬鹿がいる。
今回の衆議院選挙に合わせて、最高裁裁判官の国民審査が実施されます。そして、この審査の対象となる最高裁裁判官は10名。その10名はそろいもそろって一人一票の原則を支持しないことを明言している。
お願いがあります。今回選挙に行かれましたら、この非道な裁判官どもに「×」を付けてやってください。
「×」以外を書くと全て無効になります。ただ、10回「×」を書くだけで結構です。一人一票の原則を支持しない裁判官など、民主主義国家には不要です。
余談ですが、過去一度たりともこの国民審査で失格した裁判官はおりません。最高でも15%の不支持(×)でした。今、私が書いていることは、無駄というか無益な足掻きだと分かっています。
でも、あなたの投票で歴史は変わるかもしれません。それは憲法で保障された権利の行使であり、違法でも不法でもないのです。民主主義国家の一員として、当然の権利の行使に過ぎません。
ちなみにこの10名、裁判官を失職しても元の弁護士に戻れる連中ばかり。生活に困りはしません。
どうか、どうか、この自分は落ちる訳ないと冗長している怠惰な裁判官に正義の鉄槌を下しましょう。
地域差もかなりあると思うが、東京の23区に住む私には実感できる数値でもある。それどころか、仕事で東京近郊の町を訪れれば、それ以上に空き家が多い現実に気付かされる。
少子高齢化の影響でもあり、はっきり云えば土地と家が余りつつある。
この空き家の増加はゴーストタウン化の第一歩であると同時に、治安悪化の象徴でもある。この恐ろしさが広まらないことに私は苛立ちを禁じ得ない。
空き家が増える理由は様々だ。まず、家を相続する子供がいないことが挙げられる。既に持ち家があり、通勤の便を考えると、実家に越す気になれない。さりとて貸家にするのも不安だし、売りに出すのも躊躇う。こんな曖昧な理由で空き家になっているケースは少なくない。
また、相続がまとまらずに放置されているケースもある。更に困るのは、空き家の持ち主が所在不明の場合だ。おかげで電気などは止められ、固定資産税は滞納。自治体から仮差し押さえを食らっている場合もある。
人が住まなくなった家は荒れる。母が長期入院していたため、私の実家も空き家状態が長く続いているので、荒れないように時たま手入れをしている。空気が澱まぬ様に一部の窓を開けっ放しにしているせいで、埃がたまりやすい。
また水回りや、ガス、電気も時々使っておかないと、故障が増える。家の管理はけっこう手間がかかる。たぶん、少しずつ家が痛んでいると思う。一応、世田谷の閑静な住宅街なのだが、実は向かいの家も空き家だ。身近なところに、次第に空き家が増えているようで寂寞感を拭いきれない。
日本各地で似たような状況が増えている。ただ、あまり積極的に話題になることは少ない。なにしろ、そこに今、住んでいる人たちにとっては楽しい話題ではない。出来たら触れずに置きたい話題でもある。
また、不動産業界にとっては死活問題でもある。空き家が増えているという状況は、不動産業界にとって住宅価格、土地価格の下落を予感させる嫌なニュースに他ならない。だから、触れたがらない。
もちろん、これを好機と捉えて不動産購入に走る業者もいる。ただ、彼らの視点はシビアだ。再開発の余地があり、利益が出ると見込まない限り手を出さない。条件の悪い空き家なんか、目にも留まらない。
結果、空き家は増える一方であり、その空き家を舞台にした犯罪も増える一方だ。
これは空き家先進国(?)アメリカで散々起きた現象でもある。空き家が増えると、治安が悪化し、他の家まで転居してしまい、気が付いたらゴーストタウンと化し、犯罪の拠点とされる。
アメリカは、このゴーストタウンの再開発に相当苦労している。地元住民の協力と政府の法整備と行政指導、民間業者の巧みな誘導などが上手くかみ合わないとならない。
果たして日本は、どう対処するのであろう。地名は出せないが、既に空き家に外国人などが合法違法を問わず入り込んでしまった地域もある。地元自治会はもちろん、警察や消防も困惑している。
私もこの目でみて驚いたが、異国情緒が漂う不思議な活気がある一方で、路地裏などにいささか不気味さを感じたのも確か。地元の不動産オーナーに聞くと、いろいろと困った状況が出ていて、困惑を禁じ得ないと嘆く。先祖代々の地ではあるが、売却も考えているらしい。でも、収益が上がっているのも事実なので、悩ましいところであることは間違いない。
私の予測では、都市部及びその周辺では既に現在進行形であり、そう遠くない将来は農村部でも起こる現象だと思う。
現在、衆議院選挙を迎えて政策論議が喧しいが、このような住宅空洞化の問題が議論されることは希だ。
この対応には政府の力が必要不可欠だ。まず借地借家法の再改正、そして欠かせないのが都市計画法及び農地法の改正だ。経済が右肩上がりの時の状況下で作られた法律が、この住宅空洞化問題の解決の障害となっている。
社会の変化に合わせて法律も変えていかないと、事態は悪化するばかりだ。にもかかわらず、この問題が大きく取り上げられることは少ない。
既に困っている人はいるが、まだ少数だ。多分、そのような人たちが多数に上らない限り、政府はなにもしないで済ませるだろう。まァ、だいたい、そのような時は手遅れなんですけどね。
007はどこへ向かうのだろうか。
イアン・フレミング原作のスパイ小説をショーン・コネリーがボンドを演じて世界的大ヒットを飛ばし、以来何度も俳優を変えてきたのはご存知の通り。
私が原作のジェームズ・ボンドのイメージに近いと思っているのは、3代目のロジャー・ムーアと五代目のピアース・ブロスナンの二人だ。一方、従来のボンドとは、まったく毛色の異なるのが、現在ボンドを演じているダニエル・クレイグだと思う。
率直に言って優雅ではなく、むしろ粗野に近い。だが優男ではないだけに逞しさが勝る。知性的とは言いかねるが、卑屈ではなくむしろ堂々たるものさえ感じる。
従来のプレイボーイたるジェームズ・ボンドからは遠いように思うし、スパイというより破壊工作員の印象のほうが強くさえある。
グレアム・グリーンやル・カレらが描いてきたイギリスの伝統的スパイ像から、フレミングのボンドはそれほど離れているわけではなかった。しかし、映画のジェームズ・ボンドは映画がヒットすればするほど、原作のイメージからかけ離れていった。
ダニエル・クレイグ演じるボンドに至っては、まったくの別人だと云ってもいいぐらいだ。ただし、クレイグが初ボンドを演じた「カジノノワイヤル」は別格で、これは最初に製作された映画版が、どちらかといえばコメディに近かったこともあって、私としても評価は高い。
クレイグ・ボンドの二作目はあまり良いとは思わなかったが、三作目の今作は従来の007を意識しなければ良い映画だと思う。序盤の派手なアクション・シーンから従来の路線に戻ったのかと思いきや、最後は過度なアクションに走らず、むしろ重厚ささえ感じさせた。
たぶん、007の映画としては地味な部類に属するが、上司Mの好演も手伝って私の評価は高い。
20世紀のボンドが奇想天外なハイテクスパイならば、21世紀のボンドは案外ローテクが魅力のスパイなのかもしれない。そのせいか、Qの後任のハイテク・おたく青年が偉く印象的。反面、ボンド映画の華であるグラマラスな美女や特殊装備満載のボンドカーには物足りなさが残る。
今後のボンドを占う意味でも、一度は観ておいて損はないと思いましたね。
サムソンやLGといった韓国メーカーに加えて、ハイアールなどの中国メーカーから激しく追い立てられ、遂にはトップの座から陥落して久しい。
たしかに一ドル80円以下の円高は、輸出で稼ぐ企業にとって厳しかったのは当然だと思う。また円高を背景に海外から安く製品を仕入れられたがゆえに、二重苦の状況にあったことも事実だ。
しかし、私は率直に言って自業自得だと考えている。
なぜなら、私が欲しいと思う家電製品を作っていないからだ。
我が家には、古い家電製品が溢れている。良いものを長く使いたい、それが我が家の長年の習慣であった。一番古いというか、長く使っているのはガス炊飯器だが、これは30年以上の古参兵だ。ガスホースを交換する以外、まったく手間のかからない頑丈なやつだ。
実家では電気炊飯器に替わって久しいが、今は亡き母は時々ご飯を固く炊いてしまったり、柔らか過ぎたりと失敗していた。これは家電製品を使いこなせなかった母の責任でもあるが、老齢の母が使いこなせないような多機能で高性能な製品にも責任があると私は考えていた。
家電売り場の大半を占める日本メーカーの製品は、どれも様々な機能を付加された高付加価値なものばかり。やれ、スマートライフだ、IT化だと喧しいが、はっきり言います。
消費者の大半は、そんなもの欲しがっていません。
一部の若い人や、新しもの好きの中高年の方たちならば、買った当初は喜んでその高性能な多機能を楽しむでしょう。でもね、生活家電というやつは、基本が大事。時間がたてばたつほど、それらの高性能な機能は使わなくなる。
冷蔵庫は冷えればいいのだし、TVは観れればいい。電子レンジは温めてくれればいいのだし、クーラーは夏は涼しく冬は暖かければそれで十分。生活家電は、手間がかからなければ、かからないだけ使いやすい。
その点、サムソンやLG、ハイアールの製品は使いやすい。日本メーカーのような高性能な多機能性は持ち合わせていない。そのかわり、マニュアルを読まなくても、すぐに使える。だからこそ売れる。
決して安いだけが魅力じゃない。使いやすいことが何より大切。だから多機能性に使いこなせないと不安を持つ中高年は買っていく。分厚いマニュアルを読むのが面唐セと思う若者だって買っていく。
売り場に残るは、高性能で多機能な日本製ばかり。しかも案外と故障が多く、修理費は論外に高いため、結局買い替えざるを得ない。消費者の家電メーカーへの不満は募るばかりだ。
もちろん多機能、高性能を使いこなす日本人ユーザーだっている。いるけど少数だ。だから結果的に大量に売れ残る。日本の家電メーカーは、この一部のマニアックともいえる優秀なユーザーばかりみていて、多数派のユーザーを無視した。
技術者の自己満足、高性能という言葉に踊った経営者の虚栄心が、家電メーカーを腐食させた。だからこその大幅赤字であり、経営危機である。円高は本当の理由ではないことを知るべきだと私は思います。