ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

プロレスってさ タイガー戸口

2015-07-02 11:59:00 | スポーツ

今、思い出しても不運としか言いようがなかった。

1980年代初頭、全日本プロレスはジャイアント馬場がNo1であり、No2がジャンボ鶴田であった。そしてNo3の地位に甘んじていたのがタイガー戸口であった。

在日韓国人であり、柔道でも十分な実績があった戸口は、日本プロレス期待の新人であり、アメリカ修行時はキム・ドクとして活躍した。実力は筋金入りであり、アメリカの大型プロレスラーにも見劣りしない頑丈な体躯と、激しい闘志、立ち技から寝技まで対応できる実力者であった。

天龍が全日本入りする以前は、タイガー戸口こそがジャンボ鶴田の格好のライバルとされていた。ラフファイトだったら、案外鶴田よりも強かったかもしれない。ファンにそう思わせるだけの実力はあった。

しかし、全日本では永遠のNo3の位置であることは明白だった。だからこそ、アントニオ猪木率いる新日本プロレスへ移籍した。もちろん、最大の売りは、アントニオ猪木との一騎打ちだ。

場所は田園コロシアム、ファンの期待は高まり、全日本のナンバー3が猪木相手に、どこまで戦えるかに注目が集まった。タイガー戸口は全日本でこそNo3だが、アメリカでは全米屈指の悪役レスラーとして君臨した実力者である。

久々の大物日本人レスラーの対決に、プロレス専門誌や、東京スポーツなどの紙面は熱く燃えた。当日は部活があり、試合を見に行くことは出来なかった私だが、その日は大学の部室のオンボロTVでクラブの同期たちと観戦するつもりであった。

しかし、熱く燃えたのは日本人だけではなかった。その日の田園コロシアムの盛り上がりは、外人レスラーにも火を付けてしまった。セミファイナルは、大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントと、ブレーキの壊れたダンプカー、スタン・ハンセンとのシングルマッチであった。

アンドレもハンセンも、持てる技術、力を最大限駆使しての凄まじいファイトを繰り広げた。たいして期待していなかった私だが、この試合は座って観ていることが出来なかった。

気が付いたら、立ち上がり、叫び、腕を振り回し、足をジタバタさせて観戦に夢中になった。この試合、日本のプロレス史上に残る名試合であり、伝説ともなった試合であった。

気が付いたら、猪木対戸口のメインイベントが始まっていたが、私はさっぱり覚えていない。直前の試合の印象が凄まじすぎて、この試合をさっぱり思い出せないのだ。

あまりに不運、あまりに不遇、あまりに不幸であった。おかげで、タイガー戸口は全日本プロレス時代よりも地味な存在となってしまった。断言するが、実力は高く、テクニックあり、寝技あり、ラフファイトありの万能型の大型レスラー。

ただ、あまりに運がなかった。実力に見合わぬ不遇は、彼をすねさせ、幾つもの団体を渡り歩く流れ者にさせてしまった。弱いならともかく、強かっただけに不幸であった。

私はこの人を思い出すと、失敗には原因が、成功には運が必要だとの金言を思い出さずにはいられない。ちなみに引退後は、郷里の葛飾で後進を育てて、静かに暮らしてるようです。如何に不遇であろうと、プロレスから離れられなかったのでしょう。きっと、プロレスが大好きだったのだと思いますよ。

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選挙年齢の引き下げ

2015-07-01 11:57:00 | 社会・政治・一般

権利を行使するならば、それに伴う義務があるはずだ。

公職選挙法が改正され、従来20歳であった投票権が18歳に引き下げられた。

投票権があれば、政治家への立候補者を選択することで、自らの政治意見を立法府に間接的ながら上げることが出来る。もはや立派な大人である。

大人である以上、少年法で保護することは相応しくない。是非とも少年法を改正し、18歳以上は成人として遇して、大人と同様の権利を与えて挙げて欲しい。そして、権利がある以上、義務もある。大人と同様の義務、いや大人そのものだ。

大人とは、自分の行為に対して責任を持てる人間のことだ。学生であろうと、働いていようと、はたまた家で引きこもっていようと大人は大人。大人なのだから、選挙において自らの責任において政治的意思を表明する権利、すなわち投票権が与えらえた。

もはや少年ではない。もう大人なのだから、子供扱いしてはいけないと思う。

それはともかく、今回の法改正で気になったのは、与党も野党もともに、若い有権者たちは自分たちを評価してくれるはず、と勝手に思い込んでいることだ。18才、19才を舐めてないかい。

現在の日本は、高齢化が進み、若い世代が減っている。それは選挙においても少なからず影響を与えている。高齢者はどうしても保守的になる。だから、改革がしずらくなっている。高齢者は変化を厭う。だから、変化を求める政治家への評価は低くなる。

その結果、若い世代が政治に対して期待しなくなっている。これが問題だと、現場で実感している政治家は少なくない。自分の政策を実現するためには、若い世代の力が必要だ。それゆえ、与党も野党もこの改正に賛成した。

私に云わせれば、同床異夢である。

本当に若い世代を惹きつける政治が出来るのか。若い世代は、案外とシビアに大人たちをみる。優秀な若い人は、日本の政治がダメだと見切りをつけたら平然と海外に出ていくぞ。もちろん海外でやっていけるだけの才覚がない若者の方が多い。

しかし、この若者たちは次世代の日本を託すには、いささか頼りない。今後増える一方である長期滞在外国人の若者たちを一部の企業が優先的に雇用し始めているのは、決して偶然でも思いつきでもない。

日本の若者たちに能力がないのではなく、やる気というかヴァイタリティに欠けているのが最大の問題だ。なにせ、二十歳すぎどころか40代になっても親の扶養で暮らす子供(外見は大人でも)は増える一方だ。この堕落した日本人は、みかけ若者でも中身は保守と云うよりも頑迷な老人である。保守層の増加は必然であり、結果、革新的な政治改革には消極的となる。

そうなると、優秀な若者たちは、世の中が変わらないことに絶望にも似た気持ちを持つ。どんなにひどい政治がされても、日本以外で暮らすことを考えられない若者ではない。そのことを頭の片隅に置いておかないと、後でとんでもない目にあうかもしれない。

世の中の変化に対応して積極的に生きるのではなく、過去の因習に縛られ、保守の名目で頑迷な生き方に固執する若者たちは、あまり優秀とは言いかねるが故に、日本の未来を託すには不安だ。

選挙年齢の引き下げに、私は少し恐怖を持っています。その恐怖を共有している政治家にお目にかかったことがない。夢をみるのは自由だが、現実と夢を混同して欲しくないものだ。

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