ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

テヘランからの脱出

2018-12-14 13:33:00 | 社会・政治・一般

もう少し踏み込んで欲しかった。

先日のことだが、知人宅でTV番組を観ていた。「世界ナゼそこに日本人」という番組で、30年前に戦争中のイランのテヘラン空港からトルコ航空機で救出された日本人の事件を取り上げ、日本とトルコの知られざる関係を放送していた。

元々、まったく国交のなかった日本とトルコであるが、明治維新後、軍艦エルトゥールル号に乗って、はるばる11カ月の航海を経て日本に国交を求めてきた。その帰途のこと、和歌山沖で台風の直撃を受けたエルトゥールル号は沈没。六百人あまりの乗員は海に放り出されたが、近くの漁村の人々が、必死で救出に赴き100人あまりを助けだしている。

これが有名な「エルトゥールル号遭難事件」であり、これは今でもトルコで日本との友好関係を伝える事件として知られている。番組では、その後に遭難死したトルコ人たちの遺族に義捐金を集め、わざわざ届けにいった吉田虎二朗に着目して、彼が今もトルコで最も有名な日本人であることを報じていた。

番組自体、時間の制約もあろうことは分かる。でも、もう少し踏み込んで欲しい気持ちがあるので、今回筆を執った次第。

元々、事の発端はイランと戦争中であったイラクのフセイン大統領が、イラン上空を飛行する全ての航空機を撃墜すると宣言したことであった。つまり、民間航空機も例外なく攻撃するとの発表に、イランに滞在していた外国人は慌てふためき、急遽臨時便に乗ってイランを退去した。

しかし、平和ボケした日本人が270名ちかくテヘランに残された。既に危険な状態なため、民間航空機はテヘラン行きを拒んだ。欧米の航空会社も自国民優先であり、日本人の枠はなかった。だからこそ、トルコ航空による日本人救出は、実にありがたかった。

この事件を、日本とトルコの友好関係の証とするのは構わない。でも、十数年後に明らかになった不快な事実がある。

当時、中東に赴任した日本大使は、戦争など危険な状態になると赴任地を離れて安全な国に避難していることが多かった。だから外務省は、現地の情報を正確に把握してはいなかった。

しかも、そのことを首相官邸に正確に伝えることを怠っていた。外交官とは名ばかりの官僚たちは、自らの失態を公表するくらいならば、事実を伝えない(あるいは、知らないから伝えられない)方を選んだ。

実は日本航空は、臨時の飛行機を待機していたが、現地の正確な情報が分からず、当時の中曽根首相及び安倍晋太郎外相は、危険と不確実性を訴える外務官僚の情報に惑わされて、救出用の旅客機を飛ばす決断が出来なかった。

結局、トルコ航空が日本人救出に応じてくれたため、テヘランの日本人は無事帰国できた。これは、現地に残っていた外務省の下級官僚たちの連携プレーの成果ではある。でも、肝心の大使様は現地に不在であったので、この情報さえも日本本国に伝わるのが遅れている。

そのことが分かった時には、既に当時の責任者たちは退職している。この無責任な外交官どもの醜態に呆れたのが、安倍外務大臣(当時)の息子である晋三であった。

後年、安倍晋三が首相の座に就いて行ったことの一つに、首相官邸の情報統合機能の強化であったが、これは父の不満を聞いていたからこそだと思われる。官僚が保身のため、事実を伝えない場合があることを熟知している安倍晋三ならではであろう。

更に一言、文句を言いたい。それはマスコミ様である。あの1983年当時、騒乱のテヘランはもちろん、フセインの独裁下のバクダットに社員を常駐させていた新聞、TVはいない。危険な場所には決して近づかないのが、大マスコミ様である。

そして、もちろん外務省様の失態を報じることもしなかった。そんなことをして、記者クラブから追放されたら困るからだ。マスコミ様が外務省の不作為を責める報道をなさらなかった為、この事実が日本国民に知られるには十年以上の歳月が必要であった。

日本国民の安全よりも、外務官僚様の保身に協力することに重点を置かれる大マスコミ様は、きっと将来叙勲の対象となるのではないかと私は邪推している。

最後にもう一言。なぜ、フセイン大統領はトルコ旅客機がイランへ飛来するのを妨げなかったのか? 

トルコは中東では指折りの軍事大国である。大国イランとの戦争の最中、トルコまでをも敵に回す愚は、さすがのフセインでも出来なかった。だからこそ、トルコ航空の旅客機は、無事テヘランにたどり着けた。

マスコミ様は、決して触れないけれど、適切な軍事力は、ただあるだけで平和を守ることができる。この実例は、是非とも覚えておいて欲しいものです。

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ナポリタン

2018-12-13 13:43:00 | 健康・病気・薬・食事

最近のマイブームがナポリタン。

ご存じの方も多かろうと思うけど、日本のナポリタンは、日本独自の料理だ。もちろんパスタの本場イタリアでもトマトベースの麺料理はたくさんある。しかし、絶対にトマトケチャップを使ったパスタはあり得ない。

トマトケチャップというものは、アメリカ人が作りだしたもので、イタリア人には認めがたい調味料であるらしい。そのケチャップを使ってパスタを作るなんて、あってはならないとイタリア人は絶叫する(・・・らしい)。

でも、なんでも改良してしまう日本人は馬耳東風で好き勝手にイタリア風ということで、考えて作り出したのがナポリタンである。どうも、戦前の某ホテルで創作されたものが最初のナポリタンであるらしい。もっとも他にも最初のナポリタン説はあるようで、本当のところは謎である。

もっとも戦後の日本人にとっては、給食でナポリタンを食べなれた人が圧倒的に多いはずだ。また、喫茶店のランチメニューで初めて食べた人も多かろうと思う。かくも広く普及しているナポリタンは、日本では洋風料理としての地位は確かなものがある。

ところで、私は時々パスタを作るが、このナポリタンに関してはあまり自信がなかった。自分で何度も作ったが、美味しいと思えるナポリタンが作れた試しがなかった。でも、最近ようやく原因が分かってきた。

どうやら、トマトケチャップの酸味が原因であったようだ。私の作るナポリタンが美味しくなかったのは、ケチャップ風味のパスタに堕していたからだと思う。

だから作り方を変えてみた。まずトマトケチャップをお玉に注いで(これで一人前)、これをフライパンで炒める。だいたい2~3分くらい、赤色が少し黒っぽくなるまで炒める。この作業で酸味が飛ぶ。これを小皿に移し、次にフライパンに油を引いて細かく切ったソーセージを炒める。

軽く火が通った頃合いで、刻んだ玉ねぎ、ピーマン、マッシュルームを炒める。あっさりと炒めてから、ここで火を止める。これも他のお皿に移しておく。昨晩のうちに作っておいたパスタ麺を冷蔵庫から取り出す。

ナポリタンに使うパスタは太麺がベスト。まず一時間水に浸しておく。次に沸騰した深鍋に入れて2~3分。これだけでもモチモチの太麺パスタなのだが、これを冷ましてから冷蔵庫に一晩寝かせる。これで腰がまったくないモチモチ麺となる。

翌日、お湯に戻して(1分ほど)、笊に上げて水気を切ってから、綺麗に洗ったフライパンにもう一度油を引いて、小皿に移しておいたケチャップソースを入れる。すぐにパスタ麺を絡め、全体に回ったら今度は具材を入れて、全体的に絡めるように炒める。

最後の行程は短時間で済むが、ここでパセリを刻んでおく。お皿にナポリタンを盛った後に、このパセリを振りかけて完成である。

試行錯誤を何度も繰り返したこのナポリタンが最近の私のお気に入りなんです。なお、面倒な時は、パスタ一晩寝かせは省きます。少しモチモチ感が薄れますけど、味はそれほど変わりません。

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外国人記者クラブ

2018-12-12 11:58:00 | 社会・政治・一般

マスコミ様は批判するのは好きだが、批判されるのは大嫌い。

なかでも記者クラブについて批判されるのを嫌がる。でも、嫌がるのはTV局や新聞社など大手だけ。零細な雑誌やフリージャーナリストは記者クラブからは締め出しているので、事実上大手マスコミ様の治外法権地帯と化している。

なかでも問題が多いのが、外国人記者クラブだ。正式には、日本外国特派員協会という。

元々は、戦後マッカーサーがGHQを率いて日本に進駐した際の、情報統制機関である。その後は、外務省所管の公益法人となっている。冷戦時代には、ここの所属する記者の大半が、母国の情報機関と関係をもっていたせいか、ひどく政治的な偏向が強い。

ちなみに、それをバラしたのは、旧ソ連の諜報部員であったレフチェンコである。崩壊したソ連のせいで苦境に陥ったスパイが、西側に売り込んだ告白本がネタなので、ある程度割り引いて判じるべきだと思う。

でも、実際にこの外国人記者クラブがしでかしてきたことを思うと、やはり情報操作、煽動報道などに使われてきたと考えたほうが納得がいく。一言で云えば、反日報道のメッカなのである。

そのせいか、朝日新聞を始め左派マスコミは、よくこの記者クラブでの会見を利用して、自らの信念(反日自虐報道こそ、日本を平和に導く)を鼓舞するのに活用している。

要は外人様がこういっているのだから、やはり今の日本はおかしいんだよ、と。

この外国人記者クラブで無責任で適当な反日、自虐を目的としたおかしな日本像が世界に配信されてきた。もちろん配信したのは外国のメディアだが、それを裏で煽っていたのは、朝日新聞や岩波書店らである。

もっとも最近は、インターネットの普及に伴い既存のマスメディアの経営基盤が揺らいでいる。そのため、日本から支局を撤退させる動きも多く、外国人記者クラブに加盟するマスメディアは減る一方である。

すると、妙なことになってきた。最近外国人記者クラブで元気なのは、コリアやシナの記者である。また欧米系の記者だと、長年反日侮蔑記事を書きなれた老齢の御仁が残っているばかりである。

おかげで、ますますひどくなっている。ひどくなり過ぎて、そのままでは記事として使えないものが出てくる始末である。この外国人クラブでのおかしな記者会見は、ネットでも配信されるので、今までのような情報操作がやりにくくなっている。

実際、シリアから帰国した人質屋さんの安田記者の会見では、報じられたくない場面までネット配信されて、かえっておかしくなっている。いくら美化しようと、安田記者の言動がおかしいことは明白である。

でも、大手のマスコミ様は安田氏を過剰に庇う。だからこそ、マスコミ様は下賤なる平民どもから信頼を失していることをご自覚頂きたいものである。

ただし油断大敵というか、今後ますます外国人記者クラブは過激な反日、自虐報道を加速化させると思います。いつだって、追い詰められた少数派は過激な行動に走りがちですからね。

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天下一蹴 原作・蝸牛くも 作画・湯野由之

2018-12-11 11:46:00 | 

歴史の評価は時として残酷である。

東海一の去謔閧ニ云われた今川義元は、戦国大名として屈指の大物であった。しかし、桶狭間において織田信長に敗れたことで、その評価は低くなるのは仕方ないことではあるが、必然だともいえる。

その義元の息子である今川氏真を主人公にしたのが表題の作品である。

私見だが、戦国時代きっての不運な大名であると同時に、信じがたいほどの強運の持ち主である。

父・義元は40代で戦死している。戦国大名としては、最も脂の乗り切っている年だけに、息子にはまだ後継者としての自覚は薄かったと思う。桶狭間での父の死後以降、氏真は必死で建て直そうと努力はしたようだ。

しかし、北には戦国大名最強と謳われた武田信玄が、東には関東の雄・北条氏が、そして反旗を掲げた松平信康(後の徳川家康)の三者に攻められて、家臣の大半が散り散りになり、氏真自身も流浪の身となる有り様。

下剋上が当たり前の戦国時代であるからには、今川氏は滅び去ることが自然の流れであった。

しかし、氏真は生き残った。かつては今川家に人質とされていた松平信康に膝を屈して客将となり、父の敵の信長に謁見した時には、得意の蹴鞠を披露している。信長もさぞ呆れたのではないかと思う。

戦国大名であった父・義元とはいささか異なり、この不運な息子は文化人としてのほうが有名であった。京都の貴族の嗜みであった蹴鞠の名人であっただけでなく、俳諧にも通じ、歌人としての顔を持つ。

また生涯不敗と云われた剣豪・塚原卜伝の弟子でもあるからして、剣の腕も相当なものであったと思われる。ただし、こちらのほうは、試合などの記録が一切残っていないので、その実力は未知数だ。

あまり知られていないが、あの長篠の戦いにも徳川方の武将として参戦しているし、後年関ヶ原の戦いにも秀忠の配下として東軍方として名を連ねている。ただし、目立った武功は一切ない。

そして最後は徳川幕府の譜代大名として末席に名を連ねている。なんと、江戸時代まで生き残ってしまったのだ。ある意味、驚異的な強運の持ち主である。ただ、戦国大名としてはあまりにみっともないと思われてしまうせいで、歴史上の評価は低い。

そんな今川氏真を主人公にしたのがライトノベル作家として売り出し中の蝸牛くも氏であり、その作品を漫画化したのが湯野由之である。私は原作を読んでなくて、漫画の連載版を先に知った。まさか、あの氏真を主人公にするなんてと呆れたものだ。

掲載されている雑誌も、どちらかといえばマイナーな隔週刊の「ヤング・ガンガン」であるせいか、まだあまり知られていない。しかも、連載が始まって間もないというのに、既に休載が何度かある。

連載・・・大丈夫かな。少し心配ではあるが、今後の展開に期待したいと思っています。

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石に刻まれた時間 ロバート・ゴダード

2018-12-10 12:01:00 | 

ウソをつく人は嫌いだと言う人は、けっこう多いと思う。

ヒネクレ者の私は、そんな発言する人をわりと冷淡にみている。気持ちは分からないでもない。ウソをつかれるのは不愉快だし、ウソで傷つくのは嫌だと思うあたりは共感できる。

でも敢えて言いたい。ウソをつかずに、真実だけを口にする残酷さを覚悟しているのか、と。真実は必ずしも美しくなく、優しくもない。相手を傷つけないために、敢えてつく優しいウソもある。

でも、ウソはつきたくない。でも真実は話したくない。そんな時は沈黙を守るに限る。それが生きていく知恵だと思う。

表題の作品は、うっすらとホラーの香りが漂うが、中身はミステリーである。円筒状に建てられた石の邸宅にまつわる謎の事件に巻き込まれた主人公は、遂に真実を知ってしまう。

その時、主人公は何を語り、何を隠し、何を大切に思ったのか。

重厚なミステリーが多いゴダードの作品としては、比較的軽めだと思うので、よかったらどうぞ。

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