ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

オンボロ長屋

2018-12-21 13:11:00 | 日記

私が寒いのが嫌いな理由の一つは、寒さが貧しさを思い出させるからだ。

小学生から高校までを過ごした三軒茶屋の街は、賑やかな商店街で知られている。でも、少し裏通りを行けば、古びた長屋が軒を並べる一画が幾つかあった。

板塀すらもひび割れていて、割れた窓ガラスには段ボールが貼り付けてあった家もあった。一見すると、人が暮らしているようには思えない。でも、慣れてくると分かってくる。みんな隠れて暮らしていることに。

アパートというにはボロすぎる家屋は、やはり長屋と呼ぶのが相応しかった。平屋建てで、あの当時でさえ築50年はとっくに超えていたと思う。日本家屋ではあるが、屋根に瓦はなく、代わりにトタン板が打ちつけてあった。

初めて、その長屋を見た時は、取り壊し前の廃屋だと思ったが、実はこの長屋には十数人が暮らしていることをクラスメイトから教えてもらった。信じ難かったが、彼らが言うには昼間は出てこないだけでなく、隠れているので分からないだけだと。

誰から隠れているのかと問うと、口に指を当てて、そっと耳打ちしてくれた。「借金取りからだよ」と。

そう教えてくれたクラスメイトは、家が酒屋を営んでいる。だからこのオンボロ長屋の住人たちに、酒や食い物の代金の貸しがあるので、そのことを知っていたようだ。

不思議と彼は、このオンボロ長屋の近くで遊びたがった。草が生い茂ってはいたが、遊ぶには足りる広場があったので、別に私は構わなかった。でも、他のクラスメイトには嫌がる連中もいた。なんでも、貧乏菌が移るとか言って、オンボロ長屋の住人を嘲笑っていた。

でも酒屋の息子は、そこの広場で遊ぶことに拘っていた。他にも広場があったので、転校生の私は少し不思議に思っていた。後になって、酒屋の息子が、その場所で遊んでいたのは、親の言いつけであったことを教わった。

はっきりとは云わなかったが、親からオンボロ長屋の連中が逃げ出さないように見張っていろと言われていたらしい。もっとも小学生の見張りなんて、たいして役に立つ訳ないので、実際は監視しているぞとの意思表示であったのではないかと思う。

正直に言えば、子供の私でさえこのオンボロ長屋に棲んでいる連中は、惨めったらしく思えた。いつも人目を憚るようにコソコソと動き回るのを見ると、浅ましく思えてならなかった。

中学に進学して夜遊びをするようになると、このオンボロ長屋の連中も、夜の繁華街で仕事らしきことをしているのを見かけるようになった。もっとも、あれを仕事と言っていいのか、いささか疑問でもあった。

連中は主に、飲食店から出る廃棄食材などを貰っていた。代金代わりに、その店の周囲を掃除片付けなんかしていたが、見た目がボロボロなので、深夜に店が営業終了してからやっていた。

それだけじゃない。道路で酔いつぶれた酔っ払いを介抱するふりをして、財布などを抜き取るようなこともしていたらしい。商店街の人たちに目を付けられていたので、見つかって袋叩きにされていたのを見たことがある。

それでも彼らがこの街から追い出されることはなかった。それどころか、駄賃を与えてゴミ掃除やドブさらいなどの雑用を言いつけて、彼らの生計の一助となるような親切さもあった。

子供心にも、あんな大人にはなりたくないものだと蔑んでいたので、ちょっと不思議には思っていた。あの頃は、なぜに追い出してしまわないかと思っていたぐらいだ。

それから数年たって、私はその街を離れて大学生として、山登りに夢中になっていた。その冬は九州に遠征しての長期登山であった。あれは忘れもしない宮崎県の西部の山を渡り歩いていた時だ。

いくら南国九州でも冬は寒い。標高1000メートルを超えれば、夜は氷点下が普通である。その日は避難小屋に泊まったのだが、この小屋がオンボロで、隙間風が吹き込んできて、寒いなんてもんじゃなかった。

あまりの寒さに、避難小屋の中にドームテントを張って、一夜を過ごすことにした。テントなんて布一枚だが、それでも寒さは相当にしのげた。寒さとは、体温を外気に奪われることだと知ったのもその頃だ。

だから雨と風をしのげる場所でないと、人間は寝ることが出来ないのだと痛感したものだ。つまり、壁と屋根がないと、人は暮らすことが出来ない生き物なのだ。

当時のクラブの方針で、冬の時節は雪山を避けて、里山を登ることが多かった。あまり人気がない藪山にもけっこう登った。すると自然に気が付くことがある。標高の低い山の谷筋には、意外な場所に家、あるいは家らしき建造物があった。

地図に記載はないのだが、人が住んでいる雰囲気があった。もちろん山里に住む人たちの仕事小屋であることも多い。だが、人目を憚るような場所に、ひっそりと建っている謎の建物もけっこうあった。

誰かが暮らしているのだろう。もの凄く不便な場所だと思うが、このような場所は意外と近くに水場があることが多く、藪山を彷徨う私らにはありがたい目印でもあった。多分、世捨て人の家ではないかと思っている。どうやら、私が思うよりも、世の中は複雑であるようだ。

やがて社会人になった私は、もう山には登らなくなった。長い療養生活の後、再び働き出して今日に至る。いろいろと見聞を深め、幼い時の稚拙さに頬を赤らめてしまうこともある。

子供の頃の、あの繁華街の裏手にあったオンボロ長屋のことも、やはり頬を赤らめてしまう思い出である。今なら分かる、あのオンボロ家屋にひっそりと隠れ住む人たちの気持ちが、少しだけ分る。

いかなる理由で、逃げ隠れるに至ったのかは知らないが、あのようなオンボロの建物でも、雨風がしのげる家は絶対に必要だったのだろう。あそこが、彼らの最後の拠り所であったのだと、ようやく分かった。

子供であったとはいえ、私はあまりに未熟であったようだ。その後40代の頃だが、あの場所を、たまたま訪れたら、既にオンボロ長屋はなくなっていて、そこには瀟洒なマンションが建っていた。

その時に感じた寂寥感には、思わず違和感を覚えたほどだ。別に愛着があった訳でもなく、ただの遊び場所の傍にあった家の一つに過ぎないはず。でも、あるべきはずのものが、何時の間にか無くなっていた寂しさを感じざるを得なかった。

相変わらず商店街は賑わっていたが、そこはもはや私の知る街ではなかった。華やかなれど、どこか空虚な感じがして馴染めなかった。何かが違うと思い、しばし考え込み、ようやく気が付いた。

今、私の目の前にある商店街には、店先で雑談にふけりながらも、周囲に目を光らせている店番の婆さんもいなければ、店の手伝いをしている子供もいなかった。値引き交渉をしている爺さんもいなければ、子供を背負いながら、両手に買い物袋を抱えたママさんもいなかった。

あの頃の商店街は、うるさくて、騒々しくて、お節介だった。私ら子供がうろついていると、必ず誰かが声をかけてくれた。みんな顔見知りなので、悪さなんて出来なかった。だから、ちょっと苦手であった。

今、私が見ている商店街は、綺麗な店舗、POSシステムのレジスター、監視カメラが至る所にあり、新しい時代を感じさせる。でも、どこか人間味のない、冷たい印象が否めなかった。

これでは、あのオンボロ長屋の存在が許されないのも無理ないと思った。あの頃よりも、今のほうが経済的には豊かになったのだろう。でも、人のつながりとか、人情の部分ではむしろ貧困になった気がしてならない。

年の瀬の深夜は、毎年冷え込むものだ。冷たい風の唸り声を聞きながら、あのオンボロ長屋の住人たちは、どこへ消えたのだろうと思うことがある。もしかしたら、山裾の谷筋沿いの人目につかぬ掘立小屋に逃げ込んだのかもしれない。

昔から日本では、山奥は逃亡者の避難場所であったから、きっと今もどこかにあのようなボロボロの家に隠れ潜む人たちがいるのだろう。世間の冷たい視線から逃れて、それでも生きているのだろうと思う。

冷え込む夜は、いろいろと考え込んでしまうものです。

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水道民営化

2018-12-20 12:11:00 | 社会・政治・一般

やはりアメリカの後を追うのか・・・なにかと云えば、水道事業の民営化のことである。

日本は水資源大国である。これは日本政府が努力したからではなく、暖流と寒流の交わる海がそばにある日本列島の地理的要因によるところが大きい。

もっとも古代の大帝国、都市国家が衰退した理由の一つに、水資源を失くしたことがある。その点、日本は山の森林を守ってきた(江戸時代)ことも大きい。戦前は井戸が都市部でも普通にあったが、急速な都市化とアメリカに倣った公共水道網の敷設により、全国一律で上水道が整備された。

今、問題になっているのは、この上水道設備の老朽化である。多額の公共投資として主に60年代から70年代に整備された水道管は、鉛管が主体であり、既に耐用年数を超えている。

もう、とっくに水道管は入れ替えなくてはならない時機に来ている。しかし、その経済的負担に小さな自治体は耐え切れないと予測されている。おまけに人口急減のため、水道料金という公共料金も次第に減っていくことが予測されている。

つまり縮小していく事業を維持するだけの財源が不足することが明白なのが、21世紀の日本の水道事業である。霞が関のエリート様は、とっくにこの問題に気が付いている。そして自分たちでは解決できないと自覚しているようなのだ。

老朽化した水道管設備を更新するのは、どうしたって水道料金の値上げが必要となる。しかし、公共料金である以上、値上げをすれば国民から批難の声が上がるのは必然だ。

そんな批難の矢面に立ちたくない。勉学優秀なエリート様は褒め称えられることには馴れていても、批難されることには馴れていない。そんな損な役割は御免こうむりたい。多分、そう思っている。

だからこそ、アメリカが率先して行っている公共事業の民営化は魅力的に見えて仕方ないらしい。だが、アメリカや中南米などで実施された水道事業民営化は、必ずしも成功しているとは言い難い。

むしろ水道料金の値上げに耐えかねて怒った市民たちが暴動を起こしている例もある。にもかかわらず、官僚たちには成功に見えるのは、政府ではなく、民間事業者の失敗だと切り捨てられるからだと思う。

私からすれば、責任の所在を誤魔化しているに過ぎないと思う。

ただ、その一方で老朽化した水道管の更新が大変なのは分かる。もっとも老朽化しているのは水道管だけではない。地下埋設型の電線、ガス管なども同様である。また高度成長時代に建設した道路、橋、港湾施設なども同様な問題を抱えている。

それでも、都市部に限っては、その更新はやむを得ないものとして進められると思う。その結果が水道料金などの値上げにつながることは当然だが、致し方ないと思う。

むしろ問題は過疎化が進む地方であるはずだ。たとえ工事が出来ても、それをペイするだけの収入は得られない可能性が高い。つまり水道事業は採算が合わない。高齢化が進む地域では、水道料金などの値上げを受け入れられる余地は少ないのだから、民間事業者が乗り出すとも思えない。

では老朽化問題はどうなる。

私は案外と昔の知恵が復活するのではないかと思っている。日本において上水道施設が普及したのは、昭和になってからであり、ほぼ全国一律となったのは高度成長期に過ぎない。

それまでは井戸やため池など自然の水を使っていた。高度成長期に都市部に人口が集中した結果、井戸が枯渇したのは事実だが、枯渇の原因は工業用水、農業用水の集中利用が真の原因だ。

工業団地が放棄され、耕作放棄地が増えた地方では、井戸を復活させればかなりの地域が上水道なしでもやっていけるのではないかと思っている。かなりの労力なので、高齢者にはキツイと思われるが、そこは電動汲み上げ機などを活用すれば大丈夫。

蛇口をひねれば綺麗な水が出るとは、かなり贅沢なことであったことをその時になって思い知るでしょう。もっとも、総務省をはじめとして霞が関のエリート様がそこまで考えているかどうかは、知りませんけどね。

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人買い優遇

2018-12-19 11:58:00 | 社会・政治・一般

今国会で問題になっている入国管理法の改正であるが、野党が中身がスカスカの法案だと批難しているが、まさにその通りである。確信犯的に、中身は大枠だけで、詳細が決まっていない法案である。

これは、入管事務所というか、法務省の確信的行為である。要するに大枠だけで法案を作り、細かいところは国会を通さず、役所内の施行規則などでやり繰りするための手法である。

以前にも何度か書いたが、私は安易な外国人労働者の採用には否定的だ。だが、もはや外国人労働力を使わねば、日本社会の至る所で労働力不足が生じてしまっているのが現実である。

生活習慣、思考、嗜好、宗教などが異なる人々の集団が、日本社会に入り込んで来るのだから、問題が発生するのが当然。実際、日本全国で、この既に労働力として不可欠な外国人たちと、日本社会との軋轢は生じている。

町役場、学校、清掃、病院、自治会など至る所で問題は発生し、現場の人たちは対応に苦慮している。だからこそ、日本政府は大枠を定め、今後の指針を明確にするべきなのだ。

改めて書くが、役所というものは法令に定められてた業務を遂行するがゆえに、法令に定められていない事態への対応力が低い。下手すると、過去の実績、慣行に固執して、現実的な対応が出来ないことが少なくない。

これは行政の基本的な姿勢であるのだから、政治(立法)が新しい事態に対応できるように法令を手直しする必要がある。それが今回の入管法改正であるべきなのだ。

しかし、ここで問題がある。入管に限らないが、役所というものは、自分たちが正しいとの立場で動く。自分たちが対応できない事態があっても、できるはずとの思い込みで動いてしまう。

具体的に書くと、外国人が日本で働くためには、日本の役所(入管)が満足する書類を正しく記入する必要がある。しかし、日本人でも役所に提出する書類の記入には苦労する。まして外国人には不可能に近い。

そこで活躍するのが仲介者である。ぶっちゃけブローカーである。彼らは日本の役所が満足する書類を作るが故に、役人は彼らを好む。なにせ、ブローカーの中には元・役所勤めの経験者がいることが多いのだから当然である。

だが、このブローカーたちが暴利を貪る。多少の変動はあると思うが、今も昔も外国人が日本に渡航して働くため、ブローカーへ支払う金額は最低でも100万円を超えるのが相場であるようだ。

この高額すぎる渡航費用が悲劇の温床となっている。このことは、90年代にはもう既に社会問題化していたはずだ。しかし、未だに満足のいく解決は図られていない。

原因の一つは、法務省にとってこの暴利を貪るブローカーたちが便利であるからだ。彼らブローカーは日本の役人が満足する書類を提出してくれる。書類さえ整備してあれば、満足してしまうのが日本の役所の性分である。

つまり書類さえよければ、中身は気にしない。だから外国人研修生たちが安い賃金でこき使われようと、過酷な労働環境に置かれようと、法務省には重要な問題ではない。書類こそが全てであるのが役所である。

日本という国は、先進国のみならず世界的にみても貧富の差が少なく、働く機会の多い国である。しかしながら、高齢化層の増加と、出生数の減少からもはや必要な労働力を国内で満たせない国になっている。

だからこそ、海外から良質な労働力を必要としている。しかし、ブローカーが横行して中間搾取をすることが横行しているため、せっかく来日してきた外国の若者たちが経済的苦境に陥る羽目に陥っている。

安すぎる賃金に苦しむ彼ら外国人労働者は、生きていくために予め定められた職場を逃亡するのは、ある意味必然だと思う。こうして不法滞在者が増えてしまう。この逃亡した外国人労働者は、足元をみられて安く過酷な労働に就くことが少なくない。

身も心もボロボロになった彼らが、心神に傷を負うケースは決して珍しいことではない。これが現代日本の現実である。はっきり言いますが、役所主導の外国人労働者導入は、必ず上手くいきません。現実をみずに、書類の上だけで問題を片付けようとする役人根性が、外国人労働力を歪めてしまっています。

これこそ、政治が主導するべき事案なのですが、現・安倍自公政権はこの点に関心が薄い。だからお役所任せの法案でお茶を濁しているのです。いずれ、手痛いしっぺ返しを喰らうことにならなければ良いのですがね。

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ファントム無頼 原作・史村翔 作画・新谷かおる

2018-12-18 11:55:00 | 

週末にネットでニュースを閲覧していたら、某まとめサイトの記事にウンザリした。

トランプ大統領が、最新のF35戦闘機を100機購入したと日本へ感謝を述べていたそうだ。

おいおい、である。

F35の追加発注自体は、5年以上前に防衛庁(当時)で既に検討済みの話である。当時、トランプは民間人であり、この話はオバマ大統領の了解のもと、アメリカ国防省とも納得済みの話である。もちろん一括で払う訳ではなく、たしか10年くらいに分割して支払う計画であったはずだ。

ただでさえ高額なF35戦闘機であるから、とんでもないと思う方も少なくないだろうと思う。私もたしかに高額な支出だとは思う。でも、必要な支出であることは認めている。

日本は海に囲まれた列島である。細く長い列島は、防衛には不向きな地形である。それゆえにその防衛は、水際以前、海上こそが生命線である以上、制空権の確保は絶対条件だと云える。

如何にロシアやシナ、コリアが日本侵略を考えようと、制空権さえ押さえておけば、日本列島に直接侵攻するのは難しい。だからこそ戦後、日本は戦闘機の配備には多額の予算を投じてきた。

現在の主力戦闘機であるF15は、1980年代に実戦配備されて既に40年が経過している。名戦闘機としての名声は確固たるものがあるが、如何せん現在では一世代前の機体である。

ところが日本の航空自衛隊は、未だにF4を配備している。通称ファントムと云われた歴史的な(!)機体である。あのヴェトナム戦争時に活躍したことで知られている。ちなみに1960年代に実戦配備されたご老体であり、アメリカではとっくに現役引退である。

このF4ファントムは、世界で唯一日本だけがライセンス生産していたため、メンテナンスが優良であり、今も空を飛べる。余談だが退役したアメリカの戦闘機乗りたちは、日本に観光で遊びに来る楽しみの一つが、未だに空を飛んでいるファントムを観ることであるそうだ。かくも米軍パイロットたちから愛された名機であった。

ただ、あまりに古すぎる機体であり、早急に引退させて新型機に変える必要がある。だからこそ、F35の採用が5年前に検討されていただけである。国産の戦闘機開発が脳裏に浮かぶ方もあろうと思うが、性能的にも予算的にもF35以上は望めないと思う。

ところで、このご老体であるファントムを描いた漫画といえば、表題の作品に尽きると思う。

私が始めてファントムを見たのは、多分横田基地にある奴だと思うけど、流麗さとは程遠い武骨な機体であることに驚いた。輸送機や攻撃機ならいざ知らず、戦闘機たるもの、そのフォルムは優美であるべきだと思っていただけに、ファントムの武骨さは意外であった。

でも、この武骨なファントムは、本当に頑丈で信頼性の高い名機であった。旧・ソ連のミグを除けば、ジェット戦闘機で5400機あまりも生産されたのは、このファントムだけだ。

頑丈なだけでなく、航続距離も3千キロを超えており、空中給油さえ受ければ、パイロットの体力次第でいくらでも飛べると噂されたタフガイである。電子機器も今よりはるかに稚拙ではあったが、二人乗りにすることで多機能な任務をこなせる器用さもあった。

現在の戦闘機は、コンピューターの塊でもある。実際、F35の開発が長引いた最大の原因は、コンピューター・ソフトのバグ取りであったと云われているほどだ。このコンピューターを駆使したF35の統合戦闘能力は、未だその真価は明白ではないが、理論的には世界最強を謳ってもおかしくないほど。

実戦経験がほぼないので、これ以上は語るべき情報を持ち合わせていないが、100機を超えるF35を揃えたら、当分の間、日本の制空権の確保は安心だと思う。まァ、新型機だけに故障はかなりあるとも思いますけどね。

コンピューターの塊であるF35に比して、F4ファントムは人間の技量に頼る部分が多い。それだけに、パイロットとナビゲーターに重きを置いたこの漫画は面白かった。

後数年で引退確定のご老体であるから、今のうちに飛行している場面を目に焼き付けたいものである。それが叶わぬならば、せめてこの作品を読んで楽しみたいものです。

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組立から輸入へ

2018-12-17 12:49:00 | 社会・政治・一般

どうやら政府は、次期主力戦闘機であるF35Aを、国内でのライセンス生産ではなく、アメリカからの輸入に切り替えたようだ。

これは本来、戦後の防衛計画の大きな方針変更なので、まともな国ならば国会での大論戦が交わされるはずである。しかし、平和ボケが横行している我が国では事情が違う。

民主主義国家においては、国家は国民からの税金により運営される。だから、当然にその軍事支出に関しても、国民の代表たる国会議員の間で討議されるのが、普通の近代国家である。

しかし、憲法9条様を崇めていれば平和は叶うと盲信している善良な平和愛好市民様に余計な心配はかけまいとして、政府はこのような防衛論議は役所の奥で、ひそひそと打合せ、与党の内諾を得て国会をさり気なく通過させる。

新聞やTVなどのマスコミ様も、その辺の事情はよく分かっていらっしゃる。だから、軍事知識の欠落した市民の興味を惹かないように、さり気なく、そっけなく紙面の片隅に掲載して、お義理を果たすのが作法である。

でも、私のようなヒネクレ者は、そんなお作法なんて知っちゃこったない。だから堂々と書いてしまうぞ。

まず基本から。

海に囲まれた日本列島を防衛するには、制空権を確保することが重要となる。だからこそ、戦後一貫して世界でも第一線で通用する戦闘機を配備してきた。(まァ、本音は日本列島にある米軍基地を守るためではあるけどさ)

しかし、主力となる武器を輸入に頼ることは、本来好ましいことではない。だが、アメリカに守ってもらっている以上、好き勝手は出来ない。だからこそ、アメリカの戦闘機を採用する代わりに、その機体を国内で組み立てる(ライセンス生産)ことで、国内の防衛産業を育成することを目指してきた。

単にお金の面だけ考えれば、単純に戦闘機を直接アメリカから購入したほうが安く済む。しかし、国内の防衛産業を育てるためには、どうしても製造の一部を国内で担う必要がある。

ある意味、苦肉の決断ではあるが、アメリカの軍事的従属下にある日本の立場からすると、これが精一杯であった。率直にいって、金銭的な負担を考えれば、輸入の方が安い。

しかし、武器は可能な限り国産できるようにしておくといった防衛の基本原則を捨て去らなかったことが、国内産業の育成保護にもつながっていることも確かだ。

その観点からすれば、次期主力戦闘機であるF35Aを輸入することは、これまでの防衛方針の転換とも云えるものだ。反対意見も多かろうと思う。だが、このF35を国内でライセンス生産することに固執することはないと、私は考えています。

まず国内で組み立てれば、一機当たり150億と云われてますが、直接輸入すれば数十億円程度であり、大幅に安くなる。またF35が高額なのは、機体そのものの価格よりも電子兵装が高額だからです。つまり組立そのものは、たいして高くない。

それどころか、現在の日本では、既にF2戦闘機を国内で製造しており、今さら戦闘機をライセンス生産(要は組立)する意義は低くなっている。国内で組み立てれば高額なF35を輸入して安く済ませる。その余った予算で、F2の後継機であるF3の開発予算に充当すれば良い。

おそらく防衛省では、そのような考えで従来の方針を変更したのだと考えられるのです。もっともF3の開発には、既にアメリカのメーカーが共同開発を打診してきています。

理想は国内での開発、製造なのですが、アメリカはそれを許さないでしょう。そうなるとF2同様に、アメリカとの共同開発になるであとうと私は予測しています。

忸怩たる気持ちがない訳ではないのですが、航空戦の要である電子機器、とりわけ敵味方識別装置は、どのみちアメリカ製のブラックボックスです。またアメリカが保有する世界最先端の技術である統合情報作戦システムにアクセスするためには、ある程度の共同化は避けられないはず。

日本がアメリカと軍事的に共同歩調を取る国防戦略を採用している以上、まだまだ当分は独自の戦闘機開発は難しいと痛感せざる得ませんね。

しかし、まァ、これほど重要な国防戦略の変更(国内組み立て放棄)を国会で議論しない国って、日本くらいじゃないでしょうかねぇ。

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