都合が悪くなったら逃げるって、どういうことだ。
先週末、関東地方を直撃した台風19号は東北地方を抜けて、各地に甚大な被害をもたらした。
私自身は被災することなく無事であったが、今回はやたらと緊急警報がうるさかった。どうやら多摩川が氾濫したようで、緊急避難を促す警報がスマホを何度も鳴らしていた。
多分、あのあたりだろうなと見当はついた。同時に心配にもなった。たしか、あそこの堤防工事は10年以上、ストップしたままであるからだ。
奥多摩から発して東京湾に流れる多摩川は、古くから大雨の時には氾濫することがあった。そのため、堤防などが作られているので、最近は滅多に氾濫することはなかった。
しかし、バブル後急速に宅地開発が進み、従来は湿地帯、あるいは草ッ原であったところまでもが住宅地に変貌した。同時に二子玉川周辺が急速に高級住宅地化するようになり、セレブなお方々がお住まいになられるようになったらしい。
そのせいで、妙な住民の対立が起きていた。湿地帯や原っぱは大雨の時の緩衝地の役割を果たしていたが、そこが宅地化した以上、どうしたって洪水の危険性が高まる。
古くからの住人には当然のことであり、行政に対して多摩川やその支流である那珂川における新たな堤防を作ることが求められた。もとより災害防止の観点から新堤防の計画は粛々と進められる予定であった。
だが、新しい住民たちから反対の声があがった。曰く、景観を損ねるとか、堤防が新たに出来ると、浮浪者の違法テントなどが増えるといった意見が出て、堤防工事反対の住民の会が作られるようになった。
折しも、二子玉川に大規模なタワーマンションが建築されて、今まで以上にセレブ化した住宅地となったので、景観論争は住民を巻き込み、けっこうな騒動となった。
そうなると行政は及び腰になり、計画は停滞し10年以上塩漬けとなっていた。そこへ今回の台風19号の襲来である。
結果論であるが、多摩川の世田谷周辺では40年ぶりの洪水が起こり、マンションの電源は止まり、高層階の住人は階段を使わざるを得ない惨状である。対岸である川崎側では一階部分が水没したマンションも出て、死者が出る始末である。
あの堤防を作っておけばとの嘆きの声が出るのも、致し方ないと思う。そんな矢先、堤防計画に反対の声を挙げていた住民団体のHPが削除された。驚いて閲覧しようとすると、確かに削除されている。
なに、これ。この無責任な行動は、なんなのさ。
別に災害の補償をしろとは云わないけど、謝罪、せめて反省の弁ぐらいあっても良いと思う。10年にわたるあの反対運動はいったいなんだったのさ。
まったく、朝っぱらから不愉快なニュースです。
甘ったれるな、と言いたい。
古来より、政治家とか貴族のような権力者を批判することは命がけであった。
文字通り死を賭しての批判であり、そのために批判者のみならず家族までもが虐殺されることだって珍しくない。これは近代までと言いたいが、実際には21世紀の今日であってもあり得る現実である。
賢人プラトンはギリシャの権力者に文句はあっても、直接は言えず、替わりに架空の国を例に出して間接的に批判した。王に対する批判は、何時の時代でも命がけであり、それゆえに諧謔やジョークが発達したぐらいである。
近代になり人権思想が生まれ、ようやく言論の自由が謳われるようになった。でも、それが守られないことも多く、多くの勇気ある批判が、暴力により踏みにじられた。
ところで日本に於いて言論の自由、表現の自由が公にされたのは、太平洋戦争の敗戦のおかげである。理想に燃えるアメリカの学識者たちが、本国でさえ実現できていなかった自由を、日本に於いて実現してしまった。
本来、言論の自由、表現の自由は権力者との血なまぐさい争いの末に勝ち得た成果であり、だからこそ真剣に尊重されねばならないはずだ。しかし、日本では戦争に負けたことにより与えられてしまった。
そのせいだろうが、本当の価値を知らずに、安易に自由を振り回す風潮が顕著である。
自由とは、実に安易なもので、振り回すのは勝手だが、当然にその結果を受け止める覚悟が必要である。人を傷つける自由を行使すれば、それが自分に跳ね返ってくることを覚悟する必要がある。
ところが、人を傷つける自由を行使しておきながら、その覚悟の無い甘ったれが横行している。
その典型が、現在騒ぎになっている「あいちトリエンナーレ2019」であろう。表現の自由を行使しておきながら、その結果多くの人に嫌われるのは嫌らしい。死を覚悟して王や将軍に諌言をした人々の苛烈な覚悟とは比較するのも馬鹿らしい醜悪さである。
自由とは好き勝手できる権利ではない。好き勝手すれば、その結果を受け止める覚悟を要する崇高な行為である。覚悟なき自由は、幼稚であり、醜い。
本来は名古屋の地に、芸術の新風を吹かせようとしたイベントであったのだが、安直な自由が横行する醜悪なイベントに堕してしまった。あんな幼稚なイベント、私は絶対に足を運ぶことはないですね。あれは芸術ではなく、単なる反日宣伝です。
表現の自由を貶めるな!
本気で天皇の写真を焼くことを表現の自由の一端だとしたいのならば、それを不快に思う人々からの攻撃を受け止め、傷つくさまを公表してこそ、真の表現の不自由展に値する。その覚悟のない甘ったれぶりは、単に不愉快で下種なだけです。
なし崩しが一番良くない。
もう二十年以上前から問題になっていたのが、在留外国人の医療費問題である。日本に短期滞在している外国人が、日本の病院等で治療を受けた場合、当然だが保険証がない以上、窓口で100%支払わねばならない。
だが、持ち合わせがなく、後での支払いを約した後、勝手に帰国してしまう外国人に病院は頭を抱えた。大企業や官庁ならば、外国人でも雇用する以上、社会保険を強制加入させている。だから、このような問題は生じない。
しかし、一か月の予定の旅行中の外国人など短期滞在の場合、それに応じた健康保険証の発行はない。もちろん旅行保険などに加入していれば話は別だが、未加入のケースは多い。
ほとんどの場合、急患であることが多く、患者を受け入れる病院でも保険証の有無よりも、患者の命を第一に考える。その結果、命は助かったものの、医療費の支払いに頭を抱える患者、医院が続出した。
もちろん、助けてもらった恩義に、しっかりと後で送金してくれる方もいた。しかし、そうでないケースが多発したから困ってしまった。しかし、国はこの問題に対して、見て見ぬふりをして誤魔化した。
困った現場が考えた末に思いついたのが、保険証の使い回しである。実際のところ外国人の側でも、親切で安い日本の医療制度の恩恵を受けたい希望は強い。だが支払いたくても手持ちがない。そこで日本で国際結婚した同国人から保険証を借りることで対応した。
病院の側でも、提出された保険証が本人かどうか疑わしいけど、支払で困るよりもマシであると考えて黙認した。双方ともに納得の誤魔化しであった。
だが、この安直な手法は長い目で見れば、日本の国民健康保険制度の根幹を揺るがすものである。ただでさえ赤字会計の健康保険である。財務省及び厚生労働省が苦々しく思っていたのは確かだ。
だから近年、本人確認を徹底するように通達を出している。だが、肝心の医療現場では、この通達はあまり積極的には守られてはいない。これを守ると、却って多額の未収入金が発生するのは自明の理である。だから現場の医師たちが反対する。
実を言えば、一番簡単な、あるいは安直な解決策は、保険証に顔写真を付けるようにすることだ。これで本人確認が容易になる。これなら使い回しはやり辛くなる。だからこそ、現場は反対する。
ちなみに海外では、クレジットカードは顔写真付であることが常識となって久しい。なぜか日本では導入されていない。日本で顔写真付なのは運転免許証くらいである。後は2割くらいしか普及していないマイナンバーカードである。
私見だが、おそらく万人が納得できる解決策はないように思う。だが、日本人の人口は減少する一方であり、そこを埋めていくのが外国人である現実がまじかに迫っている。この流れ、そうそう止まらない。
世間では人工知能だの、ロボットの導入などといっているが、これも部分的な解決にしかならない。100年後は知らないが、10年後は無理である。そして10年後には、3人に一人が高齢者であり、しかも所得の乏しい貧困層が増えている。
この歴史的にも稀な状況における唯一の解決策は、新たな労働者層の獲得である。すなわち外国人の導入に他ならない。
私はこれを必然的な流れだと考えているが、その一方でその流れに応じた対策を講じなければ、日本は荒廃するとも確信している。大人の外国人に対する日本語教室の創設や、外国人でも分かりやすい社会標識の設置など、やるべきことは多い。
外国人観光客を重視している地方では、既に試行錯誤を繰り返しながら実践していることでもある。でも、そのような施策は、日本全国に統一的に導入しなければ効果が乏しい。
歴史を鑑みれば、外国人の大量流入により社会が大きく変わり、結果として政府が唐黶A大混乱が巻き起こった例は枚挙に暇がないほどである。島国であり、世界的にも辺境の地である日本に、一気に大量の外国人が流入する可能性は低い。
しかしながら、気が付かぬうちに外国人が増えていき、摩擦が増えて双方に不満が蓄積されて、ある日限界点を突破して騒乱が起きる。この場合、予測される結果は、まず間違いなく外国人排斥である。
今のように、なし崩し的に外国人が増えていけば、そのような結果となるのは目に見えている。それは百年後の問題ではなく、ほぼ確実に30年以内に発生すると確信しているのです。
霞が関の各省庁では、内々に研究されていると聞いていますが、やはりここは政府が主導しなければ、足の引っ張り合いに終わるでしょう。にもかかわらず、この危機的な状況にたいする国民の反応は鈍い。大企業であられる新聞やTVでも、刺身のつま程度の報道しかしていない。
ある意味、憲法改正の必要さえある重要な問題なのに、まるで存在しないかのように扱われていることが、私には不安で仕方ありません。
覚えている人は少ないと思う。
「ウルトラQ」、「ウルトラマン」に続く第三弾のウルトラシリーズが実は表題の作品でした。ただ、期待ほどの人気作ではなかったようで、再放送も少なめ。そのせいで私の同世代でも覚えている人は少ない。
今だから分るが、この作品の元ネタはアメリカのスペースオペラ「キャプテン・フィーチャー」だ。私はエドモンド・ハミルトンのSFが好きだったのですが、正直当時は気が付かなかった。
そのくらい、作品のレベルに差があった。一番の違いは、キャプテン・ウルトラが、正義の味方対宇宙怪獣であったことだ。事実、私はバンデル星人などの怪獣はけっこう好きだった。対怪獣バトルがメインなのは、子供向け作品なので致し方ないのだが、円谷プロの産み出す怪獣たちとは一味違うので、記憶に残っている。
ただ、この作品はけっこう迷走したとも思っている。なかでもキャプテン・ウルトラを助ける仲間の一人であるキケロ星人のジョーがシリーズ中途で故郷の星に帰国している。実際は子供たちに人気がなかったからで、替わりに女性のアカネ隊員が入ったりしている。
実を言うと私が一番覚えているのはオープニング曲である「宇宙マーチ」。えらく軽快な曲で「シュピーゲル、シュピーゲル、シュピーゲル、1,2,3~♪」と早口で歌われている部分は未だに覚えている。作曲は富田勲なので納得である。
シュピーゲルとは、キャプテン・ウルトラが搭乗する宇宙船の名で、私の知る限り、3機に分かれて、更に合体もする初めての宇宙船である。後のゲッターロボの発想の原点ではないかと疑っている。
またこの作品は、東映が初めて取り組んだ特撮TVドラマであり、この時の経験が後の「仮面ライダー」などに活かされている。その意味でも重要な位置にある作品なのだが、如何せん人気がイマイチであり、忘れられた特撮作品となっている。
この記事を書くにあたり、ネットであれこれ調べたのだが、一番驚いたのは主役のキャプテン・ウルトラを演じていた役者さん。どこかで見た事あるなぁと思ったら、時代劇で悪役代官を演じることの多い中田博文さんだった。
どうやら、子供相手の正義のヒーローよりも、大人向けの悪役のほうが向いていたらしい。
今月2日の早朝、北朝鮮がまたしても飛翔体を発射したとの緊急速報が流れた。
しかも、この弾道ミサイルらしき飛翔体は潜水艦から発射された可能性が高いとも報じられている。
地上施設からのミサイル発射ならば、現在は偵察衛星などから事前察知が可能であるが、潜水艦からの発射はそれが難しいとされる。以前から北朝鮮は、この水中発射型のミサイル保有に固執していたことは周知のこと。
改めて朝鮮半島の危うさが確認された訳だが、ここで疑問が生じる。
軍事用の潜水艦は機密事項の塊であり、その製造技術は用意には明らかにされない。潜水艦どころか海上航行する船でさえまともに作れない北朝鮮である。果たして、本当にミサイルを水中発射させられる潜水艦の開発が可能なのか。
南コリアは世界屈指の造船大国ではあるが、実のところまともに稼働できる潜水艦の製造は出来ていない。作るには作ったけれど製造上の欠陥が多くて、まともに潜水はおろか航行さえ出来ず、ドッグに眠ったままである。
では、北朝鮮は如何にして、水中発射が出来る潜水艦を作ったのか。
元々北朝鮮は世界屈指の潜水艦保有数を誇る。ただし、その大半が第二次世界大戦中に製造された中古品であり、おそらく今では航行不可能だと思われる。冷戦初期に旧ソ連が開発製造したロメオ級潜水艦(排水量1400t)を輸入しており、これが主力艦であった。
しかし、ロメオ級は潜水能力が低く、しかも既に半世紀を超える老朽艦である。到底、この潜水艦に弾道ミサイルは搭載できない。おそらくソ連崩壊後にスクラップとして売り払われたゴルフ級の潜水艦(排水量3000t)だと思われる。
ゴルフ級ならば当初から弾道ミサイルを搭載できる仕様になっている。スクラップでの処分だというから、おそらくディーゼルエンジンなどは撤去されていると思われる。
北朝鮮は自主開発したと主張するだろうが、あの国の製造技術では潜水艦に必要な高張力鵠ツは作れない。おそらく中身を改装して使えるように改造したのだと思う。
このゴルフ級には後発で原子力エンジン搭載型もあるのだが、それを譲り渡すほどロシアは甘くない。おそらく前期型だと思う。このタイプでも潜水できるし、ミサイル発射装置も搬入できる。
だが、ロメオ級にせよゴルフ級にせよ、20世紀後半、1950年代の潜水艦である。いくら改良工事を施しても、現代の潜水艦の敵ではない。特に日本とドイツ製の通常型潜水艦は、その技術革新の進度は桁違いである。
特に日本の潜水艦は、アメリカの空母群を敵潜水艦から守る役割を担ってきただけに、対潜水艦能力はトップレベルである。軍事機密なので不確かであるが、ロシアやシナの潜水艦のスクリュー音はすべて判読できると云われている。
まして騒音の大きいロメオ級やゴルフ級なんて、簡単に察知できると想像できる。現実問題、北朝鮮が日本海を抜けて太平洋で潜水艦を航行させた実績はない。深度数百メートルを誇るアルファ級(ロシア)ならいざしらず、旧式のロメオ級やゴルフ級の潜水艦なんざ、洋上偵察機からでも発見できてしまう。
もっといえば、潜水艦を運用する実績に乏しい北朝鮮に、繊細なメンテナンスが必要な潜水艦を維持できるのか、かなり疑問である。おそらく虎の子のゴルフ級潜水艦は、浮ュて外海には出せないだろうと思う。
たしかに潜水艦から発射できる弾道ミサイルの存在は脅威である。しかし、北朝鮮の実情を鑑みればそれほど恐れる必要のあるものだとは思えない。むしろアメリカ、ロシア、シナなどの潜在的敵国から金王朝を守りたい北朝鮮の必死さをくみ取るべきだと思う。
平和を守りたいと願うならば、マスコミ様にはこの程度の軍事知識は持って欲しい。現時点では、大半のメディアが落第ですけどね。まぁ防衛省が予算獲得の手として、北朝鮮の脅威を過剰に煽っているせいもあるでしょうけど。