仕事を引退したら、いくつかやりたいことがある。
その一つがプラモデル作りである。子供の頃、特に小学校5年生くらいから中学1年ぐらいまで、私はけっこう熱心にプラモデルを作っていた。だが当時の私は未熟者であった。
私が好んで作ったのは、第二次世界大戦中の兵器である。もちろんゼロ戦や戦艦大和など日本軍の兵器も作った。でも一番のお気に入りはドイツ軍の兵器である。タイガー(ティーゲル)戦車の武骨な逞しさに憧れ、フォッケウルフFW190の不遇な高性能に悲嘆した。
機能美というものがあるとしたら、まさにドイツの兵器がそれであった。私のミリオタ(ミリタリーおたく)の原点がここにある。
しかし長じて兵器について詳しくなると、私の理解は表面的に過ぎ、兵器の本質から外れたものであることに気が付いた。だからこそ、次に兵器のプラモデルを作るならば、もっと本格的に作れるはずだと確信している。
だからこそ引退老人と化したヌマンタの趣味はプラモデル作りだと決め込んでいた。
ところがだ。どうも世間の目がきついことに気が付いた。兵器やプラモデル作りについて熱く語ると、周囲の目線、特に女性からの冷たい視線を感じざるを得ない。
なんでだ?
実は大人になってから30年以上、プラモデル販売店もしくは玩具売り場には近づいていない。見れば欲しくなる、作りたくなるのが分かっていたので、君子危うきに近寄らずと決め込んでいた。
しかし知人の子供の買い物に付き合うようになってようやく分かった。何故に女性たちの目線がきついのか。
なんだ、あの女性を模したプラモデルは。しかも、明らかにお色気路線丸出しである。訊けばフィギュアと呼ばれているらしい。なにを模しているのかは、さっぱり不明だが、アニメのキャラクターらしい。
よくよく見てみると漫画「ワンピース」の女性航海士のナミとか、海賊女帝ハンコックがお色気たっぷりの風情で展示されている。
これか、これが女性たちから冷たく視られた原因なのだと確信した。たしかにまともな感性ならば引くわな。ちなみに私は引かずにマジマジと見ちゃいましたよ。いや、よく出来ているわな。別に欲しいとは思いませんけどね。
こんなのが多数展示されていれば、そりゃヘンに思われても仕方ない。でも、私が作りたいのは第二次世界大戦中の兵器だぞ。なんか割り切れない。
表題の作品は、これらのフィギュアの原型が、中国の工場で作られている様子を描いた漫画です。「中国嫁日記」で一躍名を挙げた井上氏は、この手のフィギュアの原案、企画、作成にも関わっているそうで、そのあたりの裏話が紹介されています。
けっこうな市場規模があるのだと知ったのも驚きですが、それが中国の工場で作られていることにも驚いた。私はプラモデルの製作工場は、てっきり静岡だと思い込んでおりました。
なんで静岡かと云えば・・・・
やめときます。このあたり、語り出すと延々と続きますから。たしかに私には「おたく」的な傾向があるので日頃意識して抑えています。なにごとも、ほどほどが一番です。
しかし、プラモモデル作りの夢は諦めたくないなァ。フィギュアには興味ないのですがね。
あ!怪獣のフィギュアなら作りたいかも・・・
財務省は弱い者いじめが大好き。
まだ世間的にはマイナーな話題だが、いざ直面したら泣き言を吐くしか対処の仕様がない重大な問題、それが高額医療補助制度だ。
日本は国民全員が健康保険制度に加入している。自己負担は3割であり、残りは国と地方自治体が負担している。ただし高額な場合は、所得に応じて高額な部分を保険が負担する。この負担を国(財務省)が嫌がっている。
非常に厭らしいことに廃止しろとは言わない。あくまで国の負担をなくして、各地方自治体で負担してくれと言いだした。これがどんな結果となるか、具体例を挙げてみよう。
私は今年の3月に手術をしている。入院費用、手術費用、埋め込んだ医療用機器(ICD)の総額は300万を超える。これを窓口3割負担だとしても、自己負担分は100万円となる。
だが高額医療補助制度のおかげで、私が支払ったのは18万円程度だ。これは所得の金額により違ってくるが、概ね10万円前後に収まるように制度設計されている。私としては大変にありがたかった。
この制度がなかったら、100万以上を払わねばならず、とても一括では払えない。ちなみにこの高額医療補助制度では、国が四分の一、地方自治体が四分の三を負担している。
実はこの制度は国の発案ではない。元々は革新系の地方自治体が日本各地に誕生した60年代から70年代にかけて、日本社会党などの左派政治家の発案により作られた制度だ。これは有権者から非常に人気が高く、それに目を付けた厚生省が国も一定額を負担するようになった経緯がある。
当時の左派政治家も反米、反日米安保ではあったが、現実的な政策を打ち出せ、かつそれを実施できるだけの実務能力をもっていた。今とは大違いである。世界的にみても優れた制度だと思うが、年々経済規模が縮小している現在の日本では、反比例して支出負担が増えている。老人大国化している以上、それは当然のことだと思う。しかし、それが気にくわないのが財務省だ。
10年くらい前までは、この高額医療補助制度の国家負担は約1000億円程度であった。しかし、現在では3000億円を超えるとされており、今後も増える一方であると予測されている。だから、この制度をなくしたい。それが財務省の本音だと思う。だが、いきなり廃止すれば反発も大きい。なにより自民党の大票田である高齢者の支持を得られるとは思えない。
そこでまず、国家負担分を削り、後は地方自治体に任せたい。そうすれば、国政への批判を緩和できる、そう考えているのだろう。でも、東京のような資金力に余裕のある自治体は少なく、大半の自治体はむしろ高額医療補助制度を支えきれないと思われる。
つまり結果的に一部の大都市圏の自治体以外は廃止の方向へ進むと思う。あくまで廃止は地方自治体の決断だよ、そういいたげな財務省のエリートたちの薄ら笑いが透けて見える。
岸田首相はこの件に関して、なにも言ってない。どうせ慎重に検討で終わるだろう。この人、安倍や菅と異なり、役所に逆らうような荒事は嫌がる。
野党は野党で、相も変わらず森かけ桜に国葬反対で騒ぐだけ。本当に国民のことなんざ考えていない正義ぶりっ子である。まァ民主党政権時代は、財務省におんぶに抱っこだから、財務省に逆らうはずもない。
働き盛りならいざ知らず、年金暮らしの高齢者は高額な医療を受けられないようになる日は近い。そういわざるを得ないですね。
これは私の邪推ですけど、オリックスの宮内が小泉に取り入ってガン保険を認めさせたように、この高額医療も民間の保険会社に負担させる可能性が高いと思いますよ。
本当は改革者であるはずだった。
しかし結果的には、破壊者になってしまったのが先だって亡くなったロシアの政治家ミハイル・ゴルバチョフであった。ペレストロイカで有名だが、ソ連を壊す結果となった最大の要因はグラスノスチ(情報公開)だと思う。
ソ連建国以来、隠し続けてきた社会主義の闇が一気に露呈してしまった。いや、内心は分かっていたが、それを口に出来なかったのがソ連という国であった。
ところが国の改革を志したゴルバチョフが、その闇を事実上公開してしまった。すると、70年以上にわたり押し隠してきた不満が、次から次へと湧き出てしまし収集が付かなくなった。
その混乱を治めるために登場したのがエリチェンであり、彼は一気にソ連を解体してしまった。ゴルバチョフは不本意だったと思う。ソ連を改革して再生するつもりだったのに、結果的にソ連を解体する契機を作ってしまったのだから。
それゆえ仇敵たる西側社会では、ゴルバチョフに対する評価は好意的である。だがゴルバチョフが何より愛する母国では、正直評価が低いのが実情だろう。
これは覚えておいて欲しいのだが、ロシアの民は自分たちこそがギリシャ、ローマの伝統を継ぐ世界帝国の後継者だとの意識が根底にある。実際、ロシアの東方正教会はは、滅亡した東ローマ帝国はモスクワにて引き継がれたと主張し、それを当時のモスクワ大公イワン3世が認めている。
これ以降、ロシア帝国はローマに倣い双頭の鷲を紋章として活用している。ただし、この第三のローマはモスクワという主張は、当時も今も西欧では認められていない。だがロシアの地では、東方正教会があくまでローマの権威はモスクワが引き継いだとしている。
不思議なことに、社会主義国であったソ連邦においては、宗教の権威は否定されたはずだが、民衆の意識には根強く残っていた。だから、社会主義ソ連の惨状を世界に公開してしまったゴルバチョフに対しては、辛口とならざるを得ない。
実のところ、ロシアの大衆はソ連の社会主義国家の惨状を誰よりも知っていた。知ってはいたが、それを非難することの危険性も分かっていた。だから皮肉を口にする程度に収めていたが、それでも世界帝国ローマの後継国としての誇りは捨てられなかった。
褒められた警句ではないが、やはり「ウソを付くなら最後まで」なのだと思う。
改革すれば再生すると信じていたゴルバチョフは、その意味で愚か者であり、裏切り者でもあった。本当は誰よりもロシアを愛していたと思いますけどね。
これはなかなか・・・良い。
玉石混合のライトノベルには駄作も多いが、たまに面白い作品に当たることもある。もっとも私は原作ではなく漫画化された表題の作品を読んだだけだ。
でも、これは是非とも原作を読むべきだと思った。別段、作画を担当する漫画家(猫海月)さんに不満がある訳ではない。実は気になっていたことがある。本屋さんの書棚には、同じタイトルの漫画が他にもあったのだ。
調べてみたら、表題の作品はスクエア・エニクッス社のビッグガンガン誌からの単行本化であり、もう一つは小学館の漫画雑誌月刊サンデーGXからの単行本化であった。妙なことになっているが、原作者も「私も経緯は分かりません」と述べている。版権、どうなっているのだ。
この作品、アニメ化前の段階で累計発行部数1000万部を超える大ヒット作である。通常、アニメ化により発行部数が飛躍的に伸びるのだが、まだアニメ化される前にこれだけ売れた作品は稀だそうだ。
それだけに、その漫画化にも裏で相当に揉めたのかもしれない。もっとも別に裁判になることもなく、どちらの漫画も相応に売れているそうだ。私も一巻しか目を通していないので、はっきりとは言えないが似て非なる作品になっている。
表題の漫画はキャラクターの個性に重点を於いた表現になっており、絵の上手さも手伝って好印象だ。一方、小学館版はストーリーの展開に重きをおいているようで、見開きの使い方などミステリーの謎解きが分かりやすく表現されている。
やばい・・・どちらも読みたくなってきた。
そんな訳で、私は中間をとって原作を読んで、それから漫画を読むつもりである。いや~、まだまだ読みたくなる本ってあるんだね。嬉しいい悲鳴を上げたい気分です。
日本人はいつのまにやら宗教の怖さを忘れてしまっている。
私は宗教が不要だとは考えていない。宗教は人知を超えた悩みについて答えを与えてくれる素晴らしい叡智である。
古来より人間は、火山の噴火、地震による倒壊、津波による破壊、病魔に奪われる家族の命など理不尽な被害に苦しんでいた。なぜに我が子がと立ち尽くす親の涙は容易には癒せない。
天災や病苦といった人の力ではどうしようもない苦しみに対し、人は抗することが出来ずにいた。解答なき苦しみへの疑問は心を蝕む。唯一、人外の存在である神や悪魔といった概念だけが、人知を超えた難問への回答足り得た。故に神の権威をまとう宗教に、人々は苦しみへの答えを求めた。
だが神の権威をまとうが故に、宗教団体は人々の心を支配する手段となり得た。それゆえ、人を支配する政治は、神の権威をまとうことにより、絶対権威と化すことが可能であった。
人類の歴史に於いて古今東西、いずれの国でも政治と宗教は時には一体化し、時には相互に手を握り、そして多くの場合主導権争いを繰り広げた。そして、その戦いは非道で卑劣で苛烈なものである。
何度でも書くが、人が最も残酷になれるのは正義の看板の下で戦う時だ。なかでも神の正義を背負った時、人は人外のケダモノになる。それは歴史が教えてくれる。だが、このことを学校の歴史教育で教える勇気がある教師は極めて少ない。本当に少ない。
何故なら自らの正義を信じて疑わない信者にとって、宗教の怖さを知られることは、自らの正義を疑われることに他ならないからだ。そんな教師は悪魔の使いであり、学校から放逐せねばならない。実際、学校や教育委員会に苦情が入ったことはある。だから教師は宗教の怖さを教えない。
かつて日本では戦国時代、信長、秀吉そして家康と三代にわたり宗教を押し潰し、武力をもって支配下に置いた。彼らは宗教を嫌ったのではない。あくまで政治の優位性を確立させただけだ。彼らは知っていた、宗教を自由にさせ過ぎると、むしろ争いが頻発することに。
だが徳川400年の平和が、日本人から宗教に対する警戒心を奪ってしまった。平和的な宗教に慣れ過ぎて、宗教は宗派を問わず、日本では生活の中に根付いてしまった。あまりに根付き過ぎて、それが宗教であることさえ忘れている。
幼子を連れて神社にお参りし、クリスマスを祝い、葬式をお寺でやって遺体を火葬してお坊さんに弔ってもらう。まがうことなき宗教行為なのだが、不思議の当の本人は「私は無宗教です」と口にする。
無宗教って奴は、ルネサンスから宗教戦争と宗教改革を得て、血みどろで獲得した人間の理性至上主義であり、神の権威を否定する苛烈な覚悟を必要とする。だが、日本人で無宗教を口にする人に、神を否定する気持ちがある人はほぼ皆無といって良い。
ほとんどの場合、無宗教を口にする日本人は、自分が特定の宗教の信者ではないことをアピールしているだけだ。宗教を否定する気持ちなどありはしない。ただ熱心な信者であると見られることを回避しているだけの場合が大半だ。
この宗教に対する信心の薄さが、宗教に対する無知、無関心につながっている。だから宗教の怖さを認識することを避けるし、宗教の教義について真剣に考えることをしない。これは、ほぼすべての日本人に共通すると私は思っている。
だからこそ、半島で生まれた統一教会なんて代物を、宗教だと認めてしまった。
はっきり言えば、あれは宗教ではなくカルト集団だ。創設者の文の性欲と金銭欲を実現するための手段としての集団、それが統一教会だと私は断言する。
馬鹿げたことに日本で宗教の許認可を与える権限を持つ文部省は、その認可の基準を形式要件だけに限定させている。その宗教の根幹たる教義に対しては、触れようとしない。だからあの異常なカルト集団を宗教団体だと認可してしまった。
多分、その認可の背後には、それを推してくる政治屋や官僚OBがいたのだろうとも思う。金と女を使って権力者を籠絡するのは、カルト集団の基本である。
現在、そのカルト集団である統一教会と自民党との癒着ぶりを非難している野党だって、もし政権の座に居たのならば、間違いなく籠絡されていたと思う。まァ公明党と日本共産党は同質嫌悪から籠絡はされないと思うけど、黙認してきたのは確かだ。
またマスコミやら評論家やらだって、世論の流れが反・統一教会になるのを見計らってから批難の声を挙げたことに変りはない。オームの時もそうだったが、信教の自由を振り回す悪質な宗教団体に対して戦いの姿勢を保てる人は稀である。
繰り返すが、統一教会を黙認してきたのは、ほとんどの日本人が宗教の怖さと対峙することを避けてきたからだ。本当に宗教として正しいのか、その教義を疑う勇気のなさ、事なかれ主義がカルト集団に宗教の仮面を被らせることを認めてしまった。
この日本人の曖昧さは、大人しい日本人同士ならば良識として機能するが、逆に付け込まれる原因ともなる。これを自覚しない以上、これからも第二、第三の統一教会は出てくると思いますよ。