人は上の写真を見て「牧人の休日らしくない」と言った。牛小屋で搾乳する姿でも載せればいいのだが、北方志向の気分が昨日から”延長”している。それに外に出ることのない生活で、こんな写真を撮るしかなかった。
小さなミンクの毛皮の雪靴は、アンカレッジだったかフェアーバンクスだったかもう思い出せないが、買うときヨ-ヨ-だと教えられた。どのように遊ぶかまでは聞かなかった。
「日本人か」とその土産物売りの中年女性が聞くので、「いかにも」と言ったら、「私の友達にアキ子っているけれど知ってるか」と聞かれて驚いた。彼女にとっての日本は、隣村程度の認識しかないのかと呆れた。これを書きながらもしかすればアキ子は、その土地に暮らす日本女性だったのだろうかと思ってもみたが、恐らくそれも考え過ぎだろう。
それで一緒に写っている本だが、この本を入手するには人の手を大いに煩わせた記憶がある。なにしろ1991年カナダで出版された本の復刻版である。にもかかわらず、どうしてこんな本を買ったのか思い出せない。ハドソン湾のプリンスオブウエールズ交易所から北洋への旅、というようなタイトルで、1769年から1772年にかけての記録だ。英語で書かれたこんな本で、何が知りたかったのだろう。役に立ったのだろうか。恐らく英語に音を上げて、ハイそれまでよ、だったろう。
それでも少し覚えていることがある。英国人の著者が、案内に原住民を雇うに当たり当然ながら屈強そうな男を選ぼうとした。ところが、あまり役に立たなかった。そこで彼らの要求に応じて夫人同伴を許したら、今度は見違えるほどよく働いたそうだ。また、食糧が二、三日なくてもさして気にしない彼女らも、一度それを手にすると、体調を崩しても構わず、さらに吐くほど食べたそうだ。
現在と異なり、食糧調達も大方行き当たりばったりだったろうが、それで長い旅を続けることができたのだから、湖では豊富な魚が、エゾマツや落葉松、カバの木やトウヒの森では、鹿を始めいろいろな動物がたくさん生息していたのだろう。案内人である彼らは、銃を使用せず、釣針と簡単な罠でそれらを捕獲し、また獲れ過ぎれば惜し気なく放置したと、大らかな気性についても触れている。
・・・少し入笠の森に近付いてきたかな。もう少し、カナダ北方の森の中に留まっていたい気持を断ち切って、今日はここまで。
時代遅れの山小屋「農協ハウス」の営業に関しましては、2月24日のブログなどをご覧ください。