入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

   ’18年「春」 (19)

2018年03月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日春分の日、奥多摩は三頭山の遭難騒ぎには呆れた。通報を受け救助に向かった人々はご苦労なことに、救助要請者と接触できたのがきょうの未明だったとか。こんな時期、夜間の捜索など聞いたこともない。まだ詳細の分からないうちに軽々なことは言うべきではないかも知れないが、それでも呟く。
 
 まず山が奥多摩の1千500メートルそこそこの山だったこと。三頭山は若かった頃、体力錬成のために昼夜、何度か登って知っている。近くには、入笠牧場に移設したいような立派な避難小屋があったはずだ。およそ、あんな名残り雪で遭難騒ぎが起るきるような山とはとても考えられない。特にこれから桜の咲くころは、奥多摩湖に架かるドラム缶の橋を渡り、誰でも登る人気のある山だ。
 降雪のため下山が困難と判断したなら、小屋に留まればよかったし、そもそもこの日の悪天や、降雪はくどいくらい予報が出ていた。それを知って行ったはずだから当然、それ相応の準備、覚悟はできていたはずだろう。また、救助要請が午後の7時40分ごろというのは、その判断があまりに遅い。それに13人もいて、もっと早い段階から誰かが中心になって、自力での下山を考えられなかったのだろうか。金縛りにでもなっていなかったのなら、この人たちは三頭山どころか、登山そのものについて考え直した方が良い。
 その後の報道では、救助者の介添えを受け6人がまず下山、残り7名のうち2名が担架で、1名は背負われ、他の4名も救助者に付き添われながら何とか山を下りたという。ということは、3名が動けなかったということになる。年齢のことは分からないが多分、中高年だった可能性が高い。それにしてもこの散々な状況、何が起きたのかと考えたり同情する前に、あまりに登山者が弱いと言いたくなってしまう。
 ともかくも、あの程度の事態に対処できず、自力脱出ができなかったのでは、いくら非難されてもは仕方ない。耐えるしかあるまい。その上でだが、普通に考えれば真夜中に、救助隊と出会えた場所は避難小屋だろうと思うが、それもまだ分からない。担架が必要な人がいたり、凍傷の恐れのある人もいたようだから、救助されるまでには山中を彷徨していたという可能性も考えられる。
 この件では、中には自力脱出できた人もいただろうに、それのできない仲間を捨てずに行動を共にしたことは、事情は分からないが、一応評価されてもいいかも知れない。
 
コメント
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