入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「春」(62)

2021年05月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 カッコウの鳴く声で目が覚めた。まだ5時前でもうひと眠りできそうだったが、この頃はあの人の真似をして、曙の鳥の囀り、曇り空の落ち着いた雰囲気などを味わいながら、いい一日の始まりにしている。この後朝風呂に入り、弁当を作り、気が向けばいつでも好きな時間に山の牧場へ出発する。誰かに強いられたり、束縛されているわけでない。多分、農業に携わる老いた人々の自由気儘な田舎の暮らしとあまり変わらないだろう。
 
 お節介でも、求められていることよりか少し余計に何かする。それがささやかな主張であり、言えば自己満足である。これは他人に指示されたり評価されても駄目で、自分で納得できなければ面白くない。
 確かに、枝打ちでは癇癪を起したり、イラついたりする。脱柵を繰り返す牛には腹を立て、我が物顔で牛と一緒に草を食む鹿どもは一網打尽にしてやりたくなる。決して仕事は、牧場や周囲の自然のように牧歌的ではなく、労を楽しむところまでは実際にはいかない。しかし、それが後になって質の良い酒のように効いてくる。自己満足のうま味、ほどの良い快さになるのだ。
 


 山にはこんな恵みもある。春はタラの芽、秋は雑キノコ。ところが、それらの収穫は年々早くなるばかり、明らかに温暖化のせいだろう。二酸化炭素の大気に占める割合はたった100分の4パーセントに過ぎないと聞いたが、それのわずかな増減が自然界を揺さぶっている。(5月20日記)
 
 夜が明けてきた。雨音が激しい。それでも、もうすぐ走行距離20万キロに届く分身のような軽トラを励まし、早まった梅雨の時季を、折れることなく山へ向かうことにする。すでに今年も仕事を始めてから1ヶ月が過ぎた。弁当作りも続いている。

 いやいや、もの凄い雨と濁流、峠にたどり着くまでには側溝から溢れ出た水を無視できず、幾箇所となく浚いながら来る羽目に。例の導水棒が役に立っている箇所もあれば、最早そうではない所も。峠から池之平までの間はさらにひどく、その様子を写真に撮るのを忘れたのが実に惜しまれる。やはり、道路が濁流の通り道で、肝心の側溝は空っぽという状態がかなり目に付いた。
 写真はド日陰の手前だが、これなどはせいぜい小川で、峠の前後の山道はまさに激流、と言えば少しは状況が分かるかも知れない。上に来るほど雨脚は弱まった。
 本日はこの辺で。 
 
コメント
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