入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「春」(50)

2021年05月05日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 赤羽さんが差し入れてくれた本とは「山」という題名で編者は作家の北杜夫、出版社は(株)作品社である。初版は1983年に出て、5年足らずの間に11刷とあるからかなりの人に読まれたのだろう。そのころなら、この方面の本にも関心があったはずだが全く同書のことは知らなかった。
 編者の北杜夫がそれなりに山と縁が深かったこと知っていた。京都府岳連のディラン峰遠征隊に隊付の医師として参加し、その体験を作品にしたのが「白きたおやかな峰」で、これは読んでいる。ところが先日、この山名を思い出せずに苦労した。

 同書には中西悟堂の「入笠山の探鳥」も掲載されている。入笠とあれば読まないわけにはいかないし、古い入笠の様子を知ることができるだろうと、期待した。
 さすがに「日本野鳥の会」の創始者であるだけに野鳥の名前はよく出てくるが、どうも富士見から入笠山に登り、若宮に下ったことまでは分かったもののどういう経路だったかが判然としない。「尾根伝いに鐘打平へでると」とあるから、とすると今のゴンドラの架かっている尾根辺りを辿ったのだろうか。
 それから草原を南に進み、入笠を目にしてその山容を褒めながらしばらく進むと「入笠はやや右手にかくれて、甲斐駒の一部と鋸山の突起が見え出す」だと。一体どこだ。古い登山道は東から北方へ迂回しながら反対側の牧場へと続いていたのだろうか。牧場では馬を見たり写真を撮ったりして、そこから30分くらいの時間をかけて山頂に至っている。
「山上二時間。上った道を牧場の所へ下り、さらに一町ほどもどれば、御所平峠への道が右に岐れる」とあり、「もどりはこの道を山裏づたいに富士見駅に下る」となって、読者はついに道に迷ってしまう。
 想像するに、著者一行は入笠山の西側の山腹をまいて南に向かい、今の小黒川林道へ至る辺りから、現在は通行できない第5牧区を抜け仏平へ達し、さらにヒルデエラ(大阿原)を右手に見ながら石堂越えでも下ったのだろうか。それにしてもこの一行は健脚である。

 入笠山や牧場の歴史を調べてみたいと思いながら、それを充分に果たせないまま15年が過ぎてしまった。今では資料も散逸したり失われ、かつての登山道やその他の道がどうなっていたのか、伊那側の法華道以外はよく分からない。牧場の管理運営もその主体が変わり、詳しいことは誰も知らないし、そんなことには興味もないだろう。
 遅まきながら、もう少し昔のことを調べてみたい。

 先述の「山」には30人の随筆が収められていて、まだ中西を含めて3,4人くらいしか読んでない。ゆっくりと味わいたいから、急ぎたくない。本日はこの辺で。

 
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