入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’22年「冬」(11)

2022年01月14日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                                  Photo by Ume氏

 きょうは朝から灰色の曇り空に雪が舞っている。大雪にでもなれば厄介なことになると雨量・雲量の予報を見たら、それほど心配することはなかった。長野県の県単位の予報は雪でも、明日になれば県の中部、南部は青空が拡がるだろう。
 
 今では学校でそういう言葉を教えないだろうが、われわれが小学生、いや中学生のころでも、「表日本気候」、「裏日本気候」というふうに我が国の気候を二大別して教えていた。
 伊那は標高が700㍍位あり、気温は低いが降雪量はそれほどではなく、表日本気候に属していたと記憶している。雪も降って橇遊びなどを近くの里山でやったが、以前に下駄スケートの思い出を呟いたように小学校に上がると、冬はもっぱらスケートに熱中したのも、そんな気候のせいだった。
 人によっては「表」と「裏」に差別的な響きを感ずるかも知れないが、思いがけずこんな懐かしい言葉が口を突き、冬ごもりの炬燵の中で遠くへと行ってしまった子供のころを思い出した。
 あのころは冬は寒いのが当然で、だから家に帰り一度は炬燵の中に潜り込んでも、外から聞こえてくる声に抗えず、空腹を抱えても出て行ったものだ。やっていたのはもっぱらソフトボール、グランドは田圃だった。用具などなかったからバットは稲掛け、はぞに使った棒切れで、そのころはグローブにはまだ手が届かず誰もが素手、そのためにしもやけ、アカギレなぞは当たり前、かすり傷として耐えた。
 さらにもう少し大きくなると卓球にも夢中になった。夜毎に古い公民館に併設されていたチサンジョ(稚蚕所)の卓球台に群がり、時にはその所有者だった青年会員に見付かり、お小言を頂戴したことも懐かしいと言えば懐かしい。こうして思い返せば正に腕白、よく動き回った。(1月13日記)

 子供の外で遊ぶ声がしなくなって久しい。聞くところによれば、このごろはここらでも少子化の影響で、子供のための催しを中止するようなこともあるのだとか。正月といえばわれわれの子供のころは凧揚げだったが、今年もそんな風景はついぞ目にしなかった。注連飾りを集めどんど焼きはやったようだが、それだって大人が協力し、現場に付き添ってできたことで、子供たちが率先してしたわけではないようだ。
 時代は変わる。それは仕方ない。それでも、一昨夜もいつもの散歩をしていて、ふる里の風景と記憶は表裏一体であることを、天竜川の冷たい川音を聞きながら身に沁みて感じた。今の子供たちが大きくなった時、果たしてどんなふる里像を思い描くのだろうか。
 本日はこの辺で。明日もUme氏の写真をお楽しみに。
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