
昨日あんなことを呟いたら、山道具に詳しい「裏番長」の異名を持つFさんから、さらに情報が寄せられた。それによれば、山道具には幾つかの「三種の神器」があって、まずザック、靴、雨具。これらは昔と変わらないが、他にも3種ほどの「三種の神器」を紹介するネット記事が添えられていた。
この中の1種で、地図とコンパス、ヘッドランプ、ツエルトというのがあった。ヘッドランプは納得がいったが、地図とコンパスはいいとして、ツエルトと来た日には少し首をかしげた。確かに地図やコンパスは重要ではあるが、しかしそれが正しく読めなければ闇夜で文字を見るようなもの、せいぜいコースタイムの参考に役立つ程度だろう。また、ツエルトは簡単に扱えそうに見えて実際はそうではない。それより、水筒の方が大事だろうに。
そして別の三種の神器には、やはりストックがまずあり、サポートタイツ、アミノ酸と列挙され、これらを三種の神器というなら最早なんでもござれで、ヘルメット、サングラス、気圧計、高度計、傷薬・鎮痛剤から最近の便利な用具が、まさかの酸素ボンベまで含めて続々と登場しそうだ。当然、山用品の製造会社やそれらを販売する店はほくそ笑む。
きょうも昔話になるが、山は金がかからないから、というのが登山を始めた理由だという人が結構いた。会社の作業衣、帽子に地下足袋などという登山者も見た。「三人寄れば山岳会」なんてことも言われ、大学山岳部に伍して社会人山岳会が隆盛を見せた時代でもある。
それが、ハイカラでおしゃれな格好をした登山者が目に付くようになり、便利で快適の法則に加え、格好良さもまた大事にされるようになった。ひところ「山ガール」などという言葉を耳にし、買ったばかりの短いスカートとタイツの組み合わせばかりを見せられた。かなり年配の女性も、そういう格好をしていた記憶がある。
山も次第に都会化する。それに対して、昔がイイなどと言う気は毛頭ない。あの頃の方が山岳事故も多発したし、新聞記事にもなって社会問題化した。思い出せばいろいろあって、キリがない。
当時の高度成長とは裏腹に、その波に乗れなかった若者が都会には多数いて、そういう人たちの中には山は救いでありであり、天国であると、酒のようなことを言う人もいた。「都会に暮らす田舎者が、週末ザックを背負い山に行くのは典型的な俗物だ」と揶揄されても、それでも山へ行けて嬉しかった。この嬉しかったという気持ちには少し後ろめたさもあり、人の目を盗んで逃げ出したような気分と近かった。
今、山に来てそんなふうに思う人などいないだろう。あのころの山は、まだまだ里からも街からも遠かったような気がする。山は趣味かと聞かれれば、それよりもっと重いと捉え、抵抗を感じたくらいだから。
本日はこの辺で。Fさん、了解しました。