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こうして見ると、伊那谷も広い。この辺りは「谷」と言うよりか立派な盆地と言うに相応しく、三峰川が天竜川に合流する辺りであるからだろう。中央には堂々たる仙丈岳が見え、この写真からも今冬の雪の多さが想像できる。撮影地は西山(中央アルプス)の山裾、経ヶ岳を背後にした羽広の名刹「仲仙寺」からで、初詣に行った時に撮ったという。
仙丈岳は遠くから眺める方が、実際に登ってみるよりかいいという勝手な記憶、感想を捨てきれずにいて、登った回数も多くない。多分3,4回くらいだろう。富士山も似たようなことを言われているが、あの山に関してはそういうふうには思わず、小屋を営業している期間を敢えて外した春、秋、冬に、登った回数も10回以上になるはずだ。
眺めるだけなら富士山と比べても甲乙つけがたく、仙丈の堂々とした山容を眺めながら大きくなっただけに愛着は強い。近年は北沢峠までバスが運行されるようになり、この山の人気は高まる一方のようだが、昨年は崩落があり長らく運休が続いていたという話も聞いた。
もう、最後に仙丈へ登った時がいつだったか思い出せないが、多分北岳に行ったあとだったと思う。一度広河原に下りて仲間を見送り、そこから両俣小屋を経由して仙塩尾根に出て、大仙丈、仙丈を超えて北沢峠に下ったことがあった。その時だと思う。標高では負けるが、山頂の風格は明らかに大仙丈の方が仙丈より優れていると思ったし、人気のないのも、高山植物が咲いていたのも思いがけない山の贈り物だった。ついぞ実現しなかったが、一度は大仙丈沢から登ってみようかと思ったくらいだから、本命よりか対抗の方が気に入ったということだろう。
まだ北沢、戸台間がバス運行されていたのか、運行されていても利用しなかったのかその辺の記憶も不確かなのだが、とにかくバスには乗らずに戸台川の川床を歩いたことは鮮明に覚えている。素裸になって、ほてった身体を冷たい川の澱みに浸したこともだが、加えて当時は、バスの運行に反対する気持ちが今よりか強かったはずだからだ。
こうしてきょうは仙丈の写真にはっきりとしない記憶を呟いて終わるが、牧場へ通うようになれば、開田からその姿を眺めることになる。硫黄島で玉砕寸前に内地送還になった伯父も、軍隊時代に愛用していた双眼鏡を手に、仙丈の山容を褒めていたこともこの山にまつわる記憶である。
本日はこの辺で。