入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’22年「冬」(27)

2022年02月07日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 予定通り上に行き、2泊して昼少し前に戻って来た。実は今回の古道「法華道」を歩くのは2年ぶりのことで、それは雪が少なかった昨冬は焼き合わせまでは車で上がることができたこと、それといつも一緒だったHALが前年に亡くなったせいもあり、行きそびれてしまっていた。独り言ちることはいろいろあるが、まずはこの法華道のことについて呟いておきたい。
 
 荊口や芝平では思いの外雪が少なくて驚いた。いつもなら、諏訪神社の近くに車を駐車するのだが、無理してその少し上の「万灯」まで上がった。登り出しても古道の雪はそれほど深くなく、すでにスノーシューズを履いてはいたが、なくてもそれほど苦労しなかったかも知れない。
 古道には幾箇所も古くからの名前が残っていて、「龍立つ場」、「門祉屋敷」、「爺婆の岩」、「厩の平」と続く。そして「はばき当て」まで来て、時計を見たら1時間半ほどが過ぎていた。早くもなければ、遅くもない。その先のモミの大木が目印になるちょっとした急登を終えれば「山椒小屋跡」で、そこからはそれまでの尾根通しの登りから落葉松の樹林帯に入り、そして材木運搬に使われた古い林道に出る。
 ところが、ここからは雪の量、状態が一変して、スノーシューズを履いていても新雪並みに潜る、潜る。法華道の場合はここで一安堵することもあれば、逆に難儀が始まることもある。今回は後者になってしまった。(2月6日記)
  
 登行の単調な繰り返しの中でも、雪に埋もれた道はほぼ鮮明に記憶に残っていたし、その先のことも大体が予想ができた。アカマツの人口林、クヌギやナラの雑木林、急登を避け迂回しながら続く深く掘れた山道など、殆ど何も変わっていない。10年前が、5年前が戻ってくるようだった。
 ツボ足で一緒に登ったK氏、あるいはHALが懐いた種平小屋夫妻、そしてT君と、たまには同行者もいて、雪の深みにはまった足を1歩いっぽ抜くようにして進みながら、そうした人々を思い返すこともあった。就中、この古道に精魂を傾けた北原のお師匠のことは、いつもこの古い山道の主のように思い出す。きっと師も、弟子が師を思うように、この古道に付けられた幾つかの地名から先人を偲び、あるいは古の旅人へと思いを通わせながら、草を刈り、倒木を処理し、道標を立てながら汗を流したのだろう。
 
 牧場内へ立ち寄るのは止めて、御所平峠を越えた。いつものように雪に埋もれた地蔵様が迎えてくれたが、そこを訪れた人の足跡はなかった。雪の入笠を目指す人は多くいても、そうした人たちからこの峠は忘れられてしまったようだった。
 小屋に着いたのは出発してから4時間半近くが経っていた。雪の重みかそれとも凍結したせいか、小屋の戸が開かず、富士見側から入山した所長を屋外に待たせてしまい気の毒なことをした。(続く)
 本日はこの辺で。Fさん、こんな写真で悪しからず。かんとさん多謝。
コメント
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