
太陽の光は春を思わせるようでも、気温は低い。
この部屋の温度は驚くなかれ10時を過ぎてもまだ8度。ストーブの設定温度をもっと高くすればいいのだが、それをすると大量の空気が要るらしく、待ってましたとばかりにすぐフィルターの掃除をやれと注意され、燃焼が停止される。腹が立つ。
以前は素直に言う通りにしていたが、あまりに頻繁にそれを言われ、どうもこの神経質なストーブにアレコレ指図されるのが面倒になって一番低い温度設定を変えないようにしている。これだと、そういう注意をしてこない。ただし、寒い。
もう1台、よく新聞などで宣伝していた「遠赤外線両面暖房器」というのを併用しているが、これは見かけ倒しで、室内温度を上げるだけの熱量があるのかどうか疑問のままに、取り敢えずは使っている。
昨今、薪ストーブが流行している。芝平の住人のある人に言わせると、あんな寒い土地に暮らすには、石油やガスの暖房ではとても無理で、薪ストーブがなければ一冬を過ごせない、という理屈を聞かされた。しかし、芝平でなく、まだもう少しましなこの辺りでも結構使われるようになってきた。
確かに薪ストーブは暖かろう。見るからにそう思う。しかし、着火など取り扱いはどうなのだろうか。結構手がかかるような気がするし、それに薪の確保が大変だろう。あれに費やす労力を見ていたら、まさしく越冬に備えた一昔前の冬支度さながら。それに、二酸化炭素の排出に関しても、他の暖房器具と比較してどうなのだろう。
以前に、牧場の山小屋にどうかと、不要になった薪ストーブの話が下からあった。折角の厚意で断りにくかったが、是非にとは言わないまま、その話はなんとなく立ち消えた。芝平よりかもっと酷しい牧場の冬だが、大型の石油ストーブが幾台もあり、薪ストーブでなくとも冬は越せると思ったからで、その判断で良かったと思っている。それに、covid-19のせいばかりではないが、冬期の客が近年はすっかりいなくなってしまった。
寒さに慣れるべく努力しているが、やはり寒い。それでも、あまり春を待つという気にはならない理由は、いつの季節であれ、ゆっくりと過ぎていって欲しいと願う気持ちが、より強くなってきたからだろう。橇遊びやスケートに興じていたころの、子供心でそう思っていたのとは違うが。
本日はこの辺で。