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年末年始好天に恵まれ、山の事故も少なかったのではないだろうか。昨日3日も、まずまずの天気だった。気温は7時半ごろでも零下12度まで下がり、羽毛服を着たまま寝ていたが、朝方背中がスウスウしていた。
暮れの31日から1名が3泊、元旦に2名が加わり2泊、その人たちも帰っていった。3人を見送って、小屋と管理棟の点検を済ませ、帰り支度をして牧場へ登った。
林道からできるだけ足跡が見えないように気を遣い、凹状の雪面に登路を選びながら行く20乃至30分ほどの急な登りである。
青空とずっと続く眩い雪原、2カ所ほど急登するがスノーシューズはよく効いて、それほど潜らない。中間部にある赤松の木を目指して登っていくのだが次第に視界が広がり、雪も締まって来る。
上部に目を向けると、早く来いと言うように見慣れたミズナラの木や牧柵が見えて来た。さらに登ると、そのまま凹部を進むか、少し右に方向を変えるかといつも迷う場所に来る。今回は右に折れた。
上に出ると北アには陰鬱な雪雲がかかり、眺望はそれほど良くなくて意外だった。風で雪面には風紋ができ、そういう雪面は固くてスノーシューズは歯の深さしか入らず、金属の枠がかろうじて残るだけだ。
昨冬は同じ場所で、登ってくる時に残したそんな足跡を帰路に見付けて、妙な感慨を覚えたものだった。自分のためだけに残しておいてくれた証とでも思えたのだろう。
緩やかな雪面を塩場まで行けば、そこからはもう下るばかりで登ることはない。周囲の景色に目をやることもなく、先を急いだ。
下りでも自分の残した足跡の続くだけの林道、そしてそれに続く山椒小屋跡までの落葉松の林は単調に尽きる。これが雪のない6月のころなら、山道にクリンソウが咲いて周囲の風景、味わいもまた変わってくると、雪のないこの古道を途中まで入れても二度しか歩いていないのだが、そんな記憶を思い出し、甦らせながら歩いた。
登りでは厩の平でスノーシューズを履いたことを雪の上に残る足跡が教えてくれ、やっとそのことについて頭の混乱が止んだ。下りはそのまま履き続け、爺婆の石と門祉屋敷の中間点でようやく脱ぐことができた。一瞬、スケート靴を履いた時のような足元の不安定感はしばら歩くと治ったが、冬しか履かない木靴のような山靴にはいつまで経っても愛着が湧かない。
そこまでくればもう先も見え、龍立つ場を過ぎてさらに下って、北原のお師匠が残した道標の傾きを直したりする余裕も出てきた。初めてこの古道を登った時に道を間違えた思い出の場所だ。
車を停めておいた場所に着いたのは13時半だった。下りは約1時間半少々、携帯の万歩計は8009歩、4.8㌔。いつも下りはこのくらいの時間だが、5キロ程度でこんなにもかかるのかと思ったりした。
本日はこの辺で。