入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’23年「冬」(17)

2023年01月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今は色彩の乏しいこの小さな峠を越えると、眼下に天竜川の流れる伊那谷の一部が拡がり、背後には経ヶ岳を中心に据えた西山の風景が待っている。これから北へ向かって歩いていく道も、その後に畑中の道を引き返してから最後に歩く天竜川の堤防も見えて、距離の半分を来たかと一息をつく。この散歩は距離で約6.5㌔、歩数で1万歩、時間にして1時間40分くらいになる。
 
 途中には幾つも目安にしている場所があり、とりあえずはそこを目標に歩く。「ああここまで来たら、この山道を下り、瀬澤川の橋を渡り・・・」などと記憶が案内役となり、先行する。
 ところが、時々そういう目安にしていた場所にもう着いたのかと思ったり、さらには通り過ぎてしまってからそのことに気付いたりする。5分、10分程度の距離であれば、何かを考えながら歩いていればそういうことになるのだろうが、それでも自分の歩行速度を改めて意識し直すことになる。

 昨日歩いていて思ったのは、これが人生にも当てはまりはしないかということだった。20代で考えていた30代、30代で考えていた40代、漠然としてだが未来にあったはずの時間がいつの間にか過ぎてしまっていたという焦り、なかっただろうか。
 50も過ぎれば、こういう思いはもっと強く襲ってきて、省みて一体自分は何をして来たのかと、はなはだ自虐的な気分に陥ったりする。都会にいたたまれず、あっちの生活を捨てたのはその辺に理由があったのだと言ったら、犠牲になった人は何と言うだろうか。

 以前に呟いたことがある。自分の人生で一番良かったのは60代だと、そして今もそれが続いているのだと。山の牧場で牛の尻を追い立て、多数の鹿を罠にかけて殺し、天気予報を罵り、入笠の自然だけは褒め讃えて、いつの間にか16年が過ぎてしまった。
 もっとゆっくりと過ぎてくれれば良かったと思うくらいで、牧守稼業に格別の不満はない。里の暮らしにも今以上望むことはない。この16年間をもう一度繰り返せるとしたなら、喜んでする。
 
 散歩に譬えれば、もう、目安にしていた大方の場所を通り過ぎてしまったはずだが、だからと言って悲観などしてない。昨日も、一昨日も歩き、その後は黙って30分座った。これまでの1時間半は長過ぎると知り、短縮したら集中が強まって、無色の時間に少し色が付いたような気がする。
 
 本日はこの辺で。

 

 
 

 
コメント
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