散歩は夕暮れならこんな風景を眺めながら歩く。瀬澤川の川音を聞き、この先の切通しを過ぎて隣村の集落の端を通り、その集落を過ぎれば里山の裾野を歩く。そして峠を越せば、また別の集落に至る。
夜道ではこんな辺りで人に出会うことなどないが、もしそんなことがあればどちらも不審者と見做して驚くだろう。人の目を避けた夜の散歩ではあるが、そうした難しさがある。
まして夜間に墓地に出没したとあっては、幽霊で済めばいいがそれでは収まらないだろう。頭がおかしいと思われても仕方がないし、場合によっては警察のお世話になるやも知れない。そう思って、もう夜の墓巡りはやらないことにする。
子供のころの村の夜は真っ暗だった。それでも用事を言いつけられて、懐中電灯ならまだしも、提灯を下げて歩いた記憶もある。いや、江戸時代の話ではなく、昭和20ウン年のころだ。
あのころは、今と違って車に乗る人などはいなかったから、時には怪し気な灯をともした人と闇の中ですれ違うこともあった。そういう時は「お使いです」、「お使いでござんす」と声高に言ったものだが、こんな言葉はもう死語になっているだろう。用事で訪れた家では、たまには「お駄賃」と言って駄菓子の類をくれたこともあった。
当時は子供でも、近くの家やそこに住む人のことがおよそ分かっていたが、今では知らない人が増えた。特に他所から嫁いできた若い女性の中には挨拶をしない人が多く、そのくせ、何年も前から住んでいるようなデカイ顔をしている。クク。
夜の散歩の話から、大分脱線してしまった。それに、最近は入笠とは全く関係のない話になりがちで、そのせいでか、このごろこの呟きを聞いてくれる人が減ってきた。乾いた手ぬぐいを絞るようにとはよく使われる譬えだが、毎日まいにち入笠を話題にするのはまさしくそのようなもの。
それに、気を付けていても、どうしても呟いている人間の地が出てしまう。それが牧場の山小屋やキャンプ場の営業に逆効果になりはしないかと案じているが、北原のお師匠亡きあと、師が夢に出てきてはやたらと発破をかけてくれるのだ。
この独り言、初の沢の水が冷たいと薬缶に熱い湯を入れて持っていき、流れにそれを注ぐようなものかも知れない、嗚呼。
本日はこの辺で。