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雪の上に残る動物の足跡は物語でもあるようだ。人間の知らない世界で、彼らは懸命に生きているのが伝わってくる。孤独でも、群れになっても。
鹿の足跡ならすぐ分かる。それがキツネとかタヌキ、アナグマになると、もう自信がない。もっと大きな足跡を目にすることもあるが、だから即クマかと決めつけるわけではなく、クマかも知れないが、多分違うだろうというくらいにして、敵は今は冬眠中のはずだということにしておく。
罠の狩猟免許を取ろうとした時は、こういうことも一応学んだ。それでも、免許を取ればすぐに関心は薄れて忘れてしまい、改めて雪原に残る幾種類かの動物の足跡を目にして、今度はそれらの足跡の主に試されているような気分になる。多分、出来の悪さに、奴らはきっと嘲っているだろう。
それでも、免許取得以外にもう一度だけ試験に備えて使った教本を取り出し、動物の足跡について真剣になって調べたたことがあった。愛犬アジモヘタ・アサンジ・キクが、雪の入笠に消息を絶った時のことで、今から9年も前の2014年の12月のことだった。
丁度その日が偶々クリスマスでもあり2頭の川上犬、HALとキクを連れて、敢えて第1堰堤から夜間の登行を行うことにした。飼い主の突飛な思い付きではありながらも、日ごろ退屈を持て余している2頭の犬たちは喜んで付いてきたはずだ。
峠から焼き合わせと過ぎ、この段階ですでに5時間近く歩いていたはずだが、ド日陰の少し手前の雪道で1頭の鹿の死体を見付けた。2匹中でも、特にキクは生まれて初めての獲物に狂気したように跳び付いた。それがキクの姿を見た最後となった。HALはしばらくして追いかけてきたが、キクは来なかった。
後日、捜索で決め手となる犬の足跡と、他の動物の足跡を見分けようと必死となったものの、確実にそれらを判別することができず、迷いを重ね、右往左往するばかりの未熟な猟師だったと言うしかない。可哀想なことをした。
これには捜索が手間取ったことも一因し、その原因をつくった某校山岳部の指導教諭には、今も思い出すだに腹が立つ。
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明日、また上に行く。今度は富士見からゴンドラを利用し、山頂駅からは小屋までは山スキーで行くつもりでいる。9日に下りてきて、茅野で重要な用事ができたのでそれを済ます予定だが、これだけ好天が続くと、ひょっとしたら焼き合わせ近くまでなら車で行けはしまいかと、つい、また未練がましいことを考えてしまう。
本日はこの辺で。