入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’24年「冬」(37)

2024年02月14日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

        山カッチャンの古い写真を真似て
 
 そんな年齢で、誰もいない冬の牧場や、山小屋へなんか行って何をするのかとか、淋しくないかと聞かれたりすることがある。下にいても一人だから同じだと応えると、「何か面白いことでもあるんですか」と、その返事では納得がいかないらしく、さらに質問が続く。
 
 昨日呟いたように、吝嗇な小商人(こあきんど)のように、1歩でも無駄な歩行をしまいと雪の斜面に登路を選ぶ。一息つきながら、クヌギの林に点在する動物たちの足跡を見ながら、傷を負ったオヤジ(クマ)はどうしているかと案じる。広大な白一色の雪原に自分だけの足跡を描き、一杯の清冽な水を有難く飲む。何か特別なことがあるわけではないし、これらのことが、充分な対価となるのかどうか、自分でもよく分からない。
 
 夜を迎え、ビールと日本酒では足りず、ウイスキーのお湯割りを飲みながら考える。若干の別な可能性や分かれ道らしきを思い出しつつ、もしこんな晩年でなかったら一体何をしていたのかと。
 しかしやはり、なるべくしてなったという結論に落ち着く。それらの選択しなかった道を、いくら好意的に空想しようとしても、虚構の旅人である自分は知らない世界の他人と同化して、想像力が続かない。
 ということは、恐らく現状を受け入れる気持ちがあるのだろう。これ以上の不幸も御免だが、これ以上の幸いも要らないという心境に。

 春になり、雪が融ければまた牧場の仕事が始まる。いつの間にか今年で18年にもなる。それを空費した年月と思うか、意義のあった年月と思うかは、時々によって変わる。
 雪原を登っていって、大きな青空と出会い、さらには白銀の峰々や大地の景色と対峙する。白一色の放牧地が、やがて新緑に変わる風景を想像すれば、のんびりと牛たちが草を食む様子も目に浮かぶ。
 
 あんな厳冬期の牧にあっても、自分が牧守だという意識から離れることはできなかった。なぜそんな季節外れの牧場へ出掛けていくのかという問いへの答えは、その意識をしっかりと確認しておかないと、持続力に不安を感ずるからだと言ったら、納得してもらえるだろうか。
 明日15日で今年度の猟期も終わる。本日はこの辺で。


 


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