昨日の続きになるが、今と比べてあの時代の何が良かったのか考えてみた。貧しかったことは事実だったが、それでも全体の雰囲気がおおらかで、今より窮屈ではなかったと思う。父兄が教師と対等、いやそれ以上の態度で学校側に苦情など言ったりしたのだろうか。
今はやってはいけないことが教える側にも、教えられる側にも多過ぎる。不登校になる子供が出ても不思議ではない。
よく問題になる鉄拳制裁をしたからといって、あるいはしなかったからといって、それが子供にどれほどの悪しき影響を及ぼすのか。無論、無い方がいいが、それで教育者の首が飛ぶなどと言うことは行き過ぎだろう。
飲酒運転と、生徒への性的暴行は庇いようがないが、情状の余地のある問題については全力で教師を守る、と言った気概のある校長もいたことを知っている。
宗教法人を所管する役所、そこの一番偉い人が起こした問題については、その本人にも呆れるが、任命した総理大臣は相も変わらず塩気も熱もない言葉を音に出しただけ、それで終わらせようとする。教育行政のみならず、社会までおかしくしてしまったと、なぜ国民に詫びないのか。
高校球児さえ不祥事を起こした場合、そんな必要は全くないと思うけれど、「汗と涙で戦ってきた」甲子園出場を辞退しているというのにだ。
もう止める。懐かしい時代を思い出しているうちに今の世の中が、段々と冷えた、塩気のない料理にでもなるような気がして、つい脱線した。
今朝も良く晴れて、雪は表面が凍っている。もし土曜日もこういう状態なら、スノーシューズは潜らず、快適に進むだろう。
森閑とした雪の古道、一息付ける厩の平の辺りではあれだけ雪が降ったのだから、その上にきっと、ウサギや鹿たちの奔放に立ち回る足跡をたくさん目にするに違いない。山椒小屋跡から先の落葉松の林の中は雰囲気はいいが、早く林道へ出ようとして気の急く登りが続く所でもある。
御所が池へ下る手前、毎冬、雪の重みでたわんで、道を塞ぐ厄介なツルとコナシの木は、昨年のうちに伐ってあって問題はない。御所平峠のオタマジャクシの池から先の短い旧道は、やはりクマササを刈って歩けるようにしておいた。そっちを選んで行ってみてもいい。
ウーン、呼ばれているぞ。
本日はこの辺で。