明日の今ごろは上か、と思って上に来て、上に来たと思えばまた、明日は里かと・・・。
よく知っているつもりでも雪道の3時間、平らな道を歩いたわけではないし、歩いているその間は短かったわけではない。単調な尾根筋を、ひたすら登って来ることに専念したはずだ。
小屋に着き、しばらくはその入り口に椅子を出し、昨日もそこにいたような錯覚をしながらビールを飲む。その後、スノーシューズの踵を固定するバンドが切れたのを修理した以外は、ここにも無為な時間が流れ、そういう時間を求めてきたつもりだったが、呆気なかった。
幸い、スノーシューズのバンドが切れたのは御所平峠を下りかけた時で、右足の方だった。もう、長い登りはなかったから、サンダルをつっかけるようにして下れば何とかなった。
以前、スノーシューズなどないころは、ツボ足が当たり前であった。Kさんと初めて法華道を登った時だって登りも下りもツボ足で、おまけに、下りでは道を失い2キロも下方に降りてしまった。
初めての冬山は阿弥陀の南鐐だったと思うが、その時も、アイゼンの世話にはなったが、ワカンは使ってない。夕暮れの中を3人で、立場川の川床を帰ってきた写真なら、多分まだあるはずだ。
もう、現役ではないから、できるだけ楽をして歩く。冬山の過酷さなど、今更知らなくてもいい。ただ、登攀の、登山の、あの濃縮された時間を思い出すには、やはり身体を使って雪道を歩いてみないと、とは思う。
日が昇ってきた。今朝7時45分の気温は零下12度。(2月10,11記)
里に帰って、さて登行中に考えた諸々を思い出そうとするのだが、衣服に付いていた雪のように融けてしまったのか、見事なくらいに消えてしまった。いや、もともと山を歩いていて考えたことなど、そんなもので今回に限ったことではない。
帰路は素晴らしい天気に恵まれ、登山道を離れ、以前に脱柵した牛を探して歩き回った森の中を通ってきた。そんなことをして、応急処置で済ませたスノーシューズが外れはしないかという不安と、気儘な森の中の雪中行の楽しさとを交互に抱き、味わった。
雪は充分な浮力があり、そこかしこに残る動物たちの足跡にも後れを取らずに歩けたような気がして、大分気分を良くした。ただ、鹿は足跡だけで、その姿を目にすることはなかった。
本日はこの辺で。