
オリオン座とバーナードループ Photo by かんと氏
長い冬の夜、また昔の人の暮らしを想像している。時代はテレビやラジオのまだ普及してない時代、そう、「夜なべ」などという言葉も、日常的に使われていたころだ。
簡素な夕食を済ますと、家族は皆何をして過ごしたのかと当時を想像する。歌にあるように、お父は薄暗い土間で藁打ち仕事をし、お母は目をショボショボさせながらランプの下で繕い物をしている、そんな情景が浮かんでくる。
中学を卒業して、故郷を離れ、紡績工場で働いている娘は、遠い家族を思い出しながらこんな歌詞にも似た気持ちを抱くこともあっただろう。
〽ふる里の冬は淋しい せめてラジオ聞かせたい・・・。
冬の寒さは今より当然酷しかったはずだから、子供たちは眠くなるまでは囲炉裏端から離れることができなかったかも知れない。そんな時に、祖母だか祖父だかが、何か昔話でも聞かせてくれることもあっただろう。
ひっそりと、春の来るのを待ちながら長い冬の暮らしに耐える、そういう時代が地方のどこにもあったし、あの芝平の集落にもあったはずだ。
時が経てば、そういう暮らしも懐かしさに変わる。再び戻ることのできない時代、繰り返すことができない時代であるがゆえに、記憶は過去を飾ろうとするのだろうか。
考えてみれば、家族の団欒を引き継ぐことはなかった。陋屋には不似合いな文明が入り込み、ラジオもテレビも、かつてはあった囲炉裏に代わって便利な暖房もある。しかし住人は一人である。
信州へ帰って以来20年以上、ここに家族と暮らす生活はなかった。だから、連れ合いとか子供とか、自分以外の存在をこの家に想像することは難しい。
それでいて、うっすらと記憶に残る幼いころの暮らし、さらにはもっと遠い時代への、これは何と言えばいいのか、懐かしいような、憧れのような気持が湧いてくる。
今回も、上で見る冬の星座を楽しみにしていた。ところが、なるべくしてなった人生を振り返り、納得しながら酔いを深めていたら、そのことをすっかり忘れてしまっていた。
きょうのかんとさんの写真は確か再録で、その題名はあやふやな記憶に基づき付しました。
本日はこの辺で。