上はまたこんな風景に戻ってしまったかも知れない
今朝もヤマバトが鳴いている。きょうはまだしも、何もよりによって今年初めて里へ来る日を、昨日のようなあんな霙混じりの寒い日でなくてもよかっただろうに、その判断は、きっかけは、何だったのだろう。
逆にコハクチョウが、また北へ帰っていくようになったらしい。白波の立つ日本海の上空はまだ寒いだろうに、あの鳥たちもその時季をどうやって知るのだろう。
気温は低いが晴れ間が見える。椋鳥ではなく、別のもっと小さい鳥の鳴き声がしている。あのヤマバトに誘われでもして、どこか近くの里山から飛んできたのだろうか。
北信濃の無人の駅で列車を待つ間、同じくらいの年齢の男が思いを歌に託すように歌っていたいたのを思い出した。彼もスキーに一人できていたのだろう、同じく都会へ帰っていくように見えた。
吹きさらしの駅にいたのは歌手の彼と、少し離れた場所に立ち、その歌を聞く二人だけだったが、「別れの朝」という哀調のある歌を上手く歌い、それを聞きながらこっちは、卒業を半ば以上諦めていた。
あのころは、やがて確実に来る春よりか、去っていく冬の方に思いが残り、それを惜しむ気持ちの方が強かった。しかし、いつの間にかそんな未練などなくなってしまったと言っていい。
懐かしむ過去、もちろんいろいろなことがたくさんあるし、その年月の方が遥かに長いのに、今は逆に、残されたあまり長くない未来へと関心が向かう。
いつそんな転換が起こったのか、それほど昔のことではないような気がする。持ち金が少なくなったから、その使い方が気になるようなものだろうか。
今冬も、また「みすみす」スキーに行く機会を逸した。山スキーを別にすれば、もう、3年くらい滑ったことがない。
不思議なもので、3時間以上かけて雪の法華道を登る気にはなるのに、車で行けば30分くらいの市内の人工雪のスキー場にさえ行くのが億劫になってしまう。権兵衛トンネルを抜けていけば、木曽には1時間少々でそこよりももっと本格的なスキー場があり、70歳を過ぎても行った記憶がある。誰かに誘われれば多分行くだろうが、一人で行くには今ひとつ湿った薪のように燃えてこない。
オートバイにスキーを積んで白馬へ向かおうとして、大町の辺りで警官に停められたという経験を持つ彼なども、今ではスキーをやろうと言えばグラスを持ってくるだろう。
本日はこの辺で、明日は沈黙します。