入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「冬」(17)

2020年11月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうも上に行ってきた。すっかりアンバー系の色に統一された冬枯れの山は、じっと何かでも待つように静まり返っていた。そろそろ雪が降ってもおかしくないが、今年はこんな暖かさが続くようではどうだろう、12月まで待つことになるのかも知れない。これでcovid-19 に加えてさらに雪不足となれば、スキー場を抱えた観光地はさぞかし大変だろう。
 この3連休、各地の行楽地は賑わったようだが、新型コロナの勢いも止まることなく、どういうことになるのだろう。この国が仕掛けたキャンペーン「旅に行け」だ「食いに行け」だ、まだ他にもあるようだが、これらによる感染者は少ないと言っている。しかし、無自覚の感染者がそれと知らずにあちこち出歩いて撒き散らせていたら、それには一体どういう対策を取ることができるのだろう。
 現下の観光業の苦境を救うために考えた「旅に行け」キャンペーンも、本当に救済を求めているような弱小の、規模の小さな、宿泊料1万円そこそこの宿でも恩恵を被ることができたのだろうか。一流ホテル、旅館はここぞとばかりに少しばかりの特典を増やし、法外とも思えるような値段設定をして客を呼び込むことができたかも知れないが、旅行者への国の支援金を当て込んだ特別料金であることは間違いないだろう。
 大手旅行会社や名のあるホテルや旅館、人気の高い観光地は一息付けたかも知れないが、それでこの禍々しいウイルスが日本中に、大きな箒で埃を立てられたかのように広がれば・・・、呟く言葉がない。
 
 ただ、この「旅に行け」だ「ナントカに行け」だ、で使われる金はもちろん国民の税金だと言って、恥ずかしながら低所得者の身とあっては支払う税金も当然少額、それについてそんなに大口を叩くことはしない。また、いろいろ頭の良い人が知恵を絞りに絞って考えだした高度な企画だろうから、その内容について洗濯機の使い方も充分に理解できてない頭で、批判的に独り言ちるなど僭越至極と知っている。
 ただし、こんなモノを利用して旅に出ようなどという気は、どこかの佳人にでも誘われない限り起きない。いやいや、だからこういうものを利用することは絶対にありません!ということ。

 冬の日が翳ってきて、また夜が来る。里で暮らせば里が、山で暮らせば山が、住めば都とまではいかぬも、そうなってくる。夕暮れの中でまだ柿の実の一つひとつが見えている。
 本日はこの辺で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’20年「冬」(16)

2020年11月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 山は一日来なかっただけで、冬の様相を一段と深めた。昨日の雨のせいもあってか、今朝上がって来る時に目にしたクヌギやナラなどの広葉樹の葉は大方が散ってしまい、すっかり色彩の乏しくなった山道ではモミ、シダ、赤松の緑の色が、いつになく新鮮に見えたものだ。
 きょうはよく晴れていて、見回りを兼ねて第3牧区へ上がっていくと、雪煙を上げる富士山もよく見えていた。帰りかけたら、車の音を聞き付けたのか、観音岩に落ちていく斜面にいた数え切れえないほどの鹿の群れが、林の中へ逃げていくところだった。
 このところ気温が高かったからからだろう、まだ多くの鹿は牧場内に居残っているようだ。入笠の伊那側は牧場も含め保護区になっている区域が多いから、そんなことを鹿は知るはずもないが、銃声や猟犬の吠える声が聞こえないだけでも安心していられるのだろう。
 
 そう言えば、猟期に入ったというのに、いつもの年と比べたら猟師の姿をあまり見かけない。長谷の戸台へ下る小黒川林道が、目下通行止めになってことも原因しているのだろうか。森林管理署からは戸台へ下る林道の入り口のゲートを施錠するという旨の連絡が来ていたが、その後に恐らく長谷支所だと思うが、もう1個南京錠が追加された。若い男女の姿を見掛けたが、これに関しては何の連絡もない。
 あのゲートは牧場の施設であり、そこに鍵を掛ける以上は一言あってしかるべきだと思うが、いつもこうだ。富士見町でさえ、冬期通行止めの連絡はここへも来るというのに、こういう態度、やり方は釈然としない。それに、森林管理署から貸与されている鍵は年度末には返還しなければならず、来年のいつ頃まで通行止めが続くか知らないが(そういうことも是非聞いて、知っておきたい)、牧場再開後もそうであるなら諾々としているわけにはいかない。
 事情も分かっているし、必ずしも施錠に反対するわけではない。しかし、こうなると鍵さえなければたとえ通行止めにしても、馴れっこの彼らは「お通りください」と判断する可能性が高い、ということが分かっているだろうか。彼らとはオフロードバイク愛好者たちで、管理署の担当者も彼らに対する処置だと明言していた。彼らがあの美しい渓を見ながら未舗装路を走ってみたい気持ちは分かるし、事故を起こせばこれからも助に行くが、一部の者の無軌道ぶりには多くの人が憤っている。特に作業を中断させられる林業や工事関係者は無理もない、気の毒だ。

 考えてみれば、用事が済めばいつまでもここにいる必要はない。弁当も食べたし、初冬の山の雰囲気を味わいながらゆっくりと帰ろう。明日は沈黙します。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’20年「冬」(15)

2020年11月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 さて、何をするかだ。7か月働き、契約の切れた初日ぐらいは時間を持て余しつつ、行方の定まらない旅人になっていようか。
 予定通り、朝風呂に入った。その中で、読みかけの「おやじは荒野をめざす」を読了した。同書の著者井上氏67歳(?)は、当牧場キャンプ場の古くからの常連で、自然を対象にした魚釣り、登山、チョウなど多彩な趣味の持ち主である。客人であり、友人であり、後輩でもある。その彼が病膏肓に至ったのか荒野も荒野、極北のアラスカを長らく旅し、各地を訪ね、多くの人、自然、動物と出会い、それらの体験を1冊の本にまとめたのが本書だ。これは自費出版のようだが、取次店を通した販売も後日行われるやに聞いている。
 いろいろと興味深い旅のことが綴られているが、その中でフランク安田のことをきちんと押さえていたのには感心した。新田次郎の「アラスカ物語」の主人公のことである。
 彼フランク安田がかつて関係した交易所跡はすっかり荒廃し、一部はビニールシートで雨風をしのいでいるようなありさまとか。それも長年の間に相当痛んでしまったいるらしい。これを目にした井上氏はとても見過ごし放置するわけにはいかないと、何とかすることを決意して帰ってきたと記している。そう本人からも直接聞いた。
 
 最後にアラスカへ行ったのはもういつのことになるのか、そう思ってわざわざ古いノートを調べてみれば1992年とある。もう28年も昔のことだ。入笠にも「アラスカの森」と名付けた場所があり、それくらいだからアラスカはずっと頭の中から消えることはなかった。苦い思い出を伴うが、初めての海外もアラスカだった。行ってみたい国、場所は他にもないわけではないが、それでもあと一回、最後となる海外への旅なら、もう一度彼の地にしてもいいとずっと考えていた。あそこへ行けばきっと、空腹を抱えて貧乏な旅を続けていた遊子、今よりか若かった切ない自分に会えるだろうという気がする、是非会ってみたい。
 井上氏には、同行する用意があると伝えてある。ただ、牧場の仕事の決着が済んでからにして欲しいとも。あそこも、アラスカに負けない、かけがえのない、かけがえのない土地なのだから。



 たくさんの柿の実が、小雨の中あるかないかくらいの風に揺れている。これからこの柿の実が落ちつくすまで椋鳥の跳梁を許しつつ、責められるように眺めているしかない。
 本日はこの辺で。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’20年「冬」(14)

2020年11月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 残すところ1ヶ月、いやもう1週間、後3日と数えてきて、そしてきょうをもって今年の7か月の契約が終わる。14年の牛守稼業が過ぎた。早かったとも、遅かったとも思わない。確かにその間、年を追うごとに年齢から来る重圧は強まったし、それに伴う諸々の想いや感慨も味わってきたが、こうして牧を閉じる日を迎えてみれば淡々と受け入れることができる。
 偶々こういう自然の山の中で牛を相手に過ごし、いつの間にかそれなりの年月が過ぎていったが、詰まる所この仕事が性に合っていたのだと思う。そう言えば若かったころも、本当に自分は山が好きなのかと自問しながら、それでも続けた。そしていつのころからか、ながいことかかってそういう疑問が消えた。
 牛を相手に山の中の牧場で働くと決めた時、もっと他にすることがないのかと心配してくれる人もいた。自分でもそれまでと全く違った未経験の仕事を、人生最後の仕事としてよいのかという迷いが少しはあった。しかしこれを運命だと受け入れるのに、それほどの年月を要することはなかった。しかもそれに比例するようにして、この牧場ばかりか、この辺りの山域への思いが強まっていった。強まり過ぎたかも知れない、野生化も含めて。
 


 牧を閉じる日に殺生。こんな仔牛並みの野生動物が、付近の森には当たり前のように生息している。雌だと思っていた1頭も雄で、結局6頭とも雄という今回は極めて珍しい捕獲だったことになる。誰かが笑えというからそうしようとしたが、果たしてそれができただろうか。

 今週末は3連休になるから、そうなれば登山者ばかりか狩猟期間が始まったばかりで鉄砲撃ちも来る。何かあってもいけないから、まだしばらくは自主的に上がってくるつもりでいる。
 畜産課長にきょうが契約の最終日であることを電話で告げると、そんなことなど頭の端にもなかったようだった。野生動物と同じくらいに考えているのかも知れない。今度会ったら、・・・分かっているな。
 ともかく少しばかりの安堵感と感謝を背負ってきょうは静かに山を下る。
 本日はこの辺で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’20年「冬」(13)

2020年11月18日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

        Photo by Ume氏

 落葉した樹々やその枝の間を冬鳥が巧みに飛び交っている。あの速さで、よくも木やその枝に衝突もせず狭い空間を素早く飛翔するものだと感心する。特にコナシの木の枝のように煩雑に徒長した枝の間をすり抜けるのは、相当に危険ではないかと思うのだが、人や車の立てる物音の方が脅威らしく、そちらを優先して飛び去っていく。何かの本で読んだ曖昧な記憶だが、野鳥が成鳥にまで育つ確率は2割とか3割くらいしかないとあった。天敵なども考えられるが、危険で難しい飛行のせいかも知れない。
 野鳥ばかりか鹿もかなり急な斜面を上下するし、藪の中にも逃げ込む。足を挫いたり、あの大きな目を小枝の先で突き刺すようなことはないのだろうか。今も囲いの中にいる雄鹿たち、まだ立派な角を誇示するように保持している。いずれ冬の間に落角することは間違いないが、それにしても行動するには相当の不自由もあろうに、進化の過程でもう少しその大きさを調整することができなかったのだろうか。いつだったか御所平の夕闇の中で2頭の雄鹿が角を突き合わせて闘っているところに出くわしたことがあるが、子孫繁栄のためには見るからに邪魔そうなあの角も、必要なのかも分からない。
 それにしても、罠の中の5頭の雄鹿に1頭の雌鹿というのはどういうことだろうか。これが雄雌の割合が逆なら納得できるが、その雄鹿の数からすれば、かなりの大きな群れだったことが考えられる。複数の群れだったかも分からない。
 これは単なる空想だが、もしかすればこの雄鹿が引き連れていた雌鹿たちは、囲い罠の危険性についてある程度の学習ができていた、ということが考えられないだろうか。9日に12頭捕獲して、11日に殺処分している。15日には雌雄2頭の鹿が入っていた。ここの牧区を縄張りにしている鹿たち、その多くは雌鹿だから、いくら好物の塩で誘引されていても入るのを躊躇していた、そのわずかの間に雄鹿の行動で罠が作動してしまった、という可能性である。

 好天が続く。澄んだ青空と一段と渋さを深めた林や森に、さらに冬の足音が迫る。昨日で露天風呂の養生は済ませた。追い上げ坂の草刈りに行ったら、幾箇所かにまとめておいた草の山は鹿の褥になっていた。富士見のゴンドラは15日から点検休業に入ったらしい。そのうち、今は規制の解かれた道路も、すぐに通行止めになるだろう。山や牧は今が一番静かで、本来の自然を取り戻したような気がする。
 本日はこの辺で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする