入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「冬」(12)

2020年11月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 山室川の上流、芝平の集落のさらに川上へと行くと、きょうの写真の第1堰堤がある。ここの風景も四季折々に変化し、その様子を時折ここでも紹介してきた。特に桜の季節はこの渓がとりわけ華やかに装い、その枝垂桜「八重紅枝垂れ桜」の由来について詮索したこともある(’20年「春」(56,57.)5月14,15)。
 今この渓は冬の眠りに備えて白樺の樹々は葉を落とし、樹幹ばかりがやたら目立つ寒々しい風景に変わっている。清流の流れは変わらずも過疎化は進み、自然災害も追い打ちとなって1978年にはついに集団離村が決行され、元からの人はいなくなってすでに久しい。今朝も来る時も、静まり返った芝平の谷の取り残された主なき家々が、もの言いたげに見えていた。
 こういう風景を毎日のように目にするのもきょうを入れて残り3日となった。7か月の契約が19日で終わる。そうなってからも、見回りを兼ねてしばらくは不定期ながら通うことになり、今冬も入笠や牧場ばかりか山室川の谷との縁は切れそうにない。
 
 今朝上に着いて、囲い罠を見たら、ゲートが落ちていた。11日に12頭の殺処分をしたばかりなのに、一昨日の15日、猟の解禁日には、ゲートが開いたまま雄1匹、雌1匹が入っていた。この2頭の為に罠を閉じるのもどうしたものかと迷いながら道具を取りに罠の外へ出ている間に、2頭はようやく入った場所の記憶を取り戻したのか、解放されたままのゲートから何かに怯えるように、あるいは信じられないのか、慎重にも慎重に出ていった。
 そしてきょう、まだはっきりしないがどうやら6頭の鹿を捕獲した。驚いたことに、そのうち5頭は大型の雄鹿のようである。これは今までにない珍しい組み合わせで、一体この鹿たちの間に何があったのだろう。鹿の世界で彼女は、雄鹿5頭も虜にする魅力があるのだろうか。
 ともかく、有害動物の駆除という観点からすれば雄鹿5頭は、雌鹿の10頭分、20頭分以上の価値があるだろうと思う。
 
 牧をとじるまでにもうそれほどやり残した仕事はないが、きょうは山奥氏が大幅修理、改修してくれた露天風呂の冬対策や、牧場の各ゲートを見回り、必要な入り口は閉鎖して施錠する。各牧区の見回りは最後の日まで続ける。
 そう言えば、昨日女性職員1名を伴い管理棟内の不要物を片付けに来てくれた東部の所長から、クマの出没には注意するように言われた。「三沢さんはいくら友達と思っていても、相手はそうじゃないかも知れませんよ」と。確かに、片思いということもある。
 本日はこの辺で。
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     ’20年「冬」(11)

2020年11月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 朝焼けの「権兵衛山」。この山のことは四季を通じて取り上げ、その際は山名を権兵衛山で通しているが、正式な名前ではないということはすでに述べてある。伊那からも、ここからも、入笠山よりか権兵衛山の方が余程馴染みが深いが、にもかかわらずこの山ばかりか東に続く峰々、六兵衛、七兵衛、八兵衛にも山名はない。どれも仮称に過ぎない。山名などというものは必要なければ軽々に付けるようなものではなく、一部の人の間では呼ばれた名前が仮にあったとしても、これまで広く伝わることがなかったのだろう。
 入笠山は恐らく諏訪側の人たちが付けた名前で、明治のころまではこの山を伊那側の人たちの一部は「雨乞い岳」と呼んでいたという資料はあるが、それもどこまで一般の人たちの口に膾炙されていたかは不明でしかない。事実、芝平出身の北原のお師匠はそのことを知らなかった。ただ、「雷電様」と呼ばれている牧場の高台であるころまで雨乞いが行われていたこと、また江戸の時代を刻した縁の古い祠が存在することについては師から教えられたから、雨乞いの伝統については少なくも芝平の人たちには伝えられていただろう。
 最近入手した「三義村誌」の復刻版にも、雨乞い岳や雷電様、雨乞いに関する記述は何もなさそうだ(三義村とは、明治22年に山室、荊口、芝平が一緒になってできた新しい村の名であるが、今でもこの村名よりか古い時代の名前の方を多くの場合は耳にする)。「芝平誌」にも、このことに関しての記述を読んだ記憶はない。
 そればかりか、テイ沢についても、ヒルデエラ(大阿原)に関しても、その名の由来など詳しいことは伝わっていない。「夫婦岩」と言う名は三義村史の名勝古跡にはあるが、テイ沢のそれとは違う場所であった。
 にもかかわらず、あのテイ沢に残る多くの石塔や、「石堂越え」、「御所平」、「法華道」といった古くから残る名前は、それぞれが単なる沢や草原や、古道ではなかったのだと考えたくなるし、興味が湧く。恐らく古い物語が、眠ったままであるだろう。

 通行止めを無視する車輛のため、牧場の東ゲートは先週より施錠され、徒歩以外では小黒川林道を一般車が通行することはできなくなった。
 本日はこの辺で。
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     ’20年「冬」(10)

2020年11月14日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 好天がきょうも続いている。厳しい季節の到来を思わせる真っ青な空、その下に拡がる幾重もの山並み、落葉をかろうじてこらえている木々もあれば、すでに葉を落とし尽くした広葉樹もあり、森や林はめいめいが冬に向かって慌ただしくその様相を変えつつあるようだ。
 昨日、恐らくそれが今年最後の機会となるであろう小入笠へ久しぶりに登った。冬対策を施した電気牧柵の最終の点検の為だったが、幸い鹿による断線などの被害は殆どなかった。雪による支柱の折損を避けるため、急な斜面に打ち込んだ支柱は抜いておいたが、それらを何本かにまとめ、保管しながら登っていく。来春には目印にしてあった杭や木の枝を除き、またそれらを1本づつ打ち込み、アルミ線を張っていく。そんな毎年の仕事のことが、何だかそんな日が来るのがいつになく遠いことのように思えた。もう今から、冬を飛び越し、春を待つ心境にでもなっているのかも知れない。
 小入笠の頭で一息を入れ、そこからの眺望を目にしながらしばらく、次々と頭の中を擦過する記憶を相手にした。風はなく、鳥の声もせず、無音である。その静けさが却って音のように聞こえていた。遥かな北アの名峰や、目の前の広大な空間、とりわけ山肌の複雑な色模様を目にしていると、他人の知らない秘密でも弄んでいるような気分になって、事実そんな記憶も釣られて甦ってきた。それほど昔のことではない、しかし最近のことでもない。一度目にしただけでも忘れられない風景、そんな思い出が誰にでもある。
 下りかけて、諏訪湖が見えた。その周囲を取り巻く人口的な街の密集を別世界のように感じ、それは山から帰ってきて、新宿や上野の駅に列車が到着する時に決まって味わった重い退嬰的な気分と似ていた。あのころはそれでも、その帰っていきたくない都会で生きていくしかなかったが、しかしもう、そんな必要はない。入笠牧場があって、それで得ることのできた今の生活である。ここの環境と自然と、それに誰にというわけではなかったが思い付く幾人かの人に感謝した。

 かんとさんが一昨日から来ている。来るのを1週間思い違いしていたせいか、信じられないような好天だった。珍しい限り。これで彼も雨男を返上すると信じたい。
 こんな素晴らしい天気だというのに、それに土曜日だというのに、通る人は一人もいない。ムー。
 本日はこの辺で。明日は沈黙する日です。

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     ’20年「冬」(9)

2020年11月13日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 山から少しづつ里の暮らしに移行しつつある。そんな中で分かったことは、片道38キロ、1時間15分の通勤はやはり、今の生活にとってはかなり重要な部分を占めていたということだった。合計にすれば2時間半から時には3時間、この非生産的に思える時間が、存外タンパク質やビタミンのような栄養食物に似た物だったと知った。
 牧にも素晴らしい自然がある。それは充分過ぎるほど感じている。それでも、特に山室川に沿って上がってくる際、季節とともにゆっくりと変化する美しい自然に触れることは、何にも勝る栄養剤だと、愚かにもそれが切れかけて知った。
 もっとも、道中で感じたり、思ったりすることなど他愛ないことばかりで仕方なく、句も歌も詩も生まれたためしがない。作る気さえしない。それでいて決してその間が無益ではなく、むしろ必要だと感ずるのは、それこそこうして自然の実力を再認識したからだろう。
 この通勤の時間が無くなれば、余裕はできる。できるが、さりとてせいぜいできることといったらそれを持て余すくらいのことで、瞑想でもすればよいと思うのだが、なかなかそこまで人間度が熟し切れていない。であれば、今年はもうすぐ牧を閉じるが、残された日々を愚直に通うだけだ。
 今は落葉が進んで、深い谷や遠くの景色がこれまでと違った風貌を見せるようになってきた。いよいよ山は厳しい季節に入っていく。ただ、絢爛が終息し、大気が張りつめた今こそが見逃せない貴重な時ではある。きょうも素晴らしい好天になった。



 昨日帰る途中の山室の集落で久しぶりに馬耕に励むY君に会った。何かの話から柿が話題になって、彼は今年は不作だと言う。それで、我が家の放ったらかしたままの柿の実のことを話した。欲しければ採りに来いとも。彼はすっかりその気になった。
 ところが今朝見てみると、葉の落ちつくした木に残る柿の実は熟し、干し柿にするにはすでに遅かった。折角たわわに実った柿の実は、また椋鳥の餌になるか、ぼたぼたと落ちて辺りを汚すだけで終わるだろう。この柿の実は大きくて干し柿にはうってつけだが、こういう結果にしかならないなら冬の間に伐ってしまった方がいいかも知れない。
 本日はこの辺で。K山君、それは大変に残念だが、お大事に。



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     ’20年「冬」(8)

2020年11月11日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今朝も初冬の今の季節に相応しく、好天が続いている。朝7時ごろの気温はマイナス5度だった。この気温にまで下がると霜も降りて、普段の行動にも大きく影響してくる。

 昨日ここでも呟いた通り、水道の水を落とした。取水場へ行けば水は充分に得ることができるが、今までのように気楽に湯を沸かして茶を飲むとか、汚した食器をふんだんに水を使って洗うというわけにはいかなくなった。水の利用方法が変わっただけで、生活が一挙に50年、いやもっと昔に戻ってしまった。子供のころに訪ねたある家では水道の設備がなく、大きな水瓶から柄杓で水を汲んでいたことを覚えている。これからはそんな生活に耐えなければならない。ただしこれで、水道管の破裂の心配はしなくて済むようになった。
 今年も19日で契約は切れるが、21日から23日までが3連休になるので、それまでは必要があれば上がってくる。冬期の自主営業にも、できるだけ応じたいと思っているが、それも今年は新型コロナ次第で、まだはっきりとした予定は立たずにいる。



 ある知人から「鹿など相手にせず、クマとでも闘ってはどうか」と言われたことがある。その人は女性で、きっと弱い者いじめと同じように思ったのだろう。鹿に対する一般の人の気持ちはそんなところだ。
 だからこんな写真を見れば、目を背けたくなるかも知れないが、鹿は有害獣である。クマはそうではない。多くの人にとっては納得しにくいと思うが、鹿に比べればクマによる被害はまだ大したことはない。確かにこのごろ、クマによる人の生活圏への出没や、その被害が報じられているが、それはニュース性が高いからで、鹿による被害とは比較にならないはずだ。何にしても、生息頭数が違い過ぎる。
 今回捕獲した12頭の鹿の中には3頭の雄鹿がいた。中にはかなり珍しい5尖の角をした仔牛のような鹿もいて、この3頭の雄鹿が現在の鹿の頭数増加にどれほどの貢献をしたかと思えば、正直言って同情心など湧いてこない。それよりもまだ、鉄砲に撃たれて腹ばいになった子熊の方に痛々しさを感ずる。
 牧畜が主要な産業になっている国の人々がなぜか捕鯨には反対するように、やれステーキだ焼き肉だ、バーベキューだと言いながら、こうした鹿の捕獲、殺処分を非難する人々を、真剣に相手することも、とやかく言う気もない。優しい心は美徳だが、肥満を他所に、殆ど魚が好きか肉が好きか程度の話で終わるからだ。
 それとも、この際肉食を止めて菜食主義者になりますか。

 本日はこの辺で。
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