岐阜/医大生が指導する明光義塾長良教室&芥見教室 Akamonゼミナール

医大生が個別指導する全国でも珍しい塾が明光義塾長良地区、芥見地区に登場。山県市、美濃市、関市からも通塾されています

★思うがままに・・・

2013年04月14日 23時00分53秒 | 日記

★青春時代・・・

 入学式も終わり桜も散りました。新学年になって少しは落ち着いてきたことでしょうか。桜と云えば私には思い出す事は父親がなくなったことでしょうか・・・。4月11日それは親父の命日です。心不全で四国の片田舎で寂しく一人で亡くなりました。前日の夜には嫁さんと電話で話をしていたのですが何か感じたのでしょうか・・・。翌朝電話をしたら誰も出なかったったのです。四国まで約550キロ、ノンストップで車で帰りましたが一言も話はしませんでした。

 その年は例年になく寒く桜の花が咲くのが遅かったのです。葬儀の時は桜の花が満開でした。昨年墓地を岐阜市に移転しましたがやはり桜が満開で何となく桜を見ると寂しさがこみ上げて来ます。

 例年年末には岐阜新聞、岐阜放送主催の絵画、陶芸、書画のチャリティーがあります。私は昔親父が亡くなった翌年日本美術会員の市田美佐子女史の『垂井の春』という油絵を買わせてもらいました。この絵はそう云った悲しい季節を思うとともに何となく垂井の風景が田舎に似ていたということでもあり買ったのでした。その後市川女史にお手紙を出しましたらわざわざご丁寧にお礼のお電話まで頂きまして恐縮でした。その後果たしてお元気でしょうか・・・。不義理を致しています。 

 また桜の花が散る頃大学受験に失敗した私は何とか滑り込みで入った某名古屋の大学で当時夜行列車で友達と二人で旅立ったのです。当時名古屋は電車が走っていましたが電車賃が一律にも拘らず名古屋駅からいくらですか・・・?なって聞いたのでくすくすと失笑を買ったことを覚えています。それでも私は友人と散る桜の中を一歩一歩進んでいったのです。

 以前にも書きましたが私は大学の入学式も卒業式も出席していません。でる気がなかったのです。そんなことより出席しないことを文章に書いて残しておきたかった。その気持ちを大事にしておきたかったわけです。部活動は最初は応援団の吹奏学部に属しましたがすぐに止め文芸部にやはり属しました。ここで2・26事件の将校に大いに影響を与えた思想家北一輝のお孫さんと仲良くなり今もお付き合いをしています。当時知り合った友は大阪の四天王寺大学の教授やキリスト協会の牧師、労組の幹部、学生運動を取り仕切ったM君など・・・。今も懐かしくお付き合いをしていますがやはり桜の花が似合いそうです。

 今日は桜の話を主にするのではなかったのですが書き出しから変な方向に話が進んでいます(笑)。まあ今日は思うがままに・・・ということですのでご勘弁ください。

 私が小説家を諦めたのは雑誌『文学界』の同人誌評で当時解説者の小松伸六氏が

『中間小説のツボを心得た見事な作品だ』

 この一文が私を文学界から去る決心をさせてしまったのです。私は当時の第三の新人と云われた吉行淳之介、遠藤周作、三浦朱門、そして岐阜の小嶋信夫などの私小説が好きでした。ですから私が目指したのは郷里の大江健三郎の小説にも影響を受けましたが私小説の世界にとっぷりとつかり

『俺は中間小説を目指してはいない・・・。純文学をめざしているんだ・・・』

激しく小松市に手紙を出して筆を結局折ったのです。当時は四国の瀬戸内文学に属していたのですがとうとう不義理をしていまいました。多くの恥を一杯書いて来ました。それが人生と云えばそうですがそのごもうやることは仕事一本で転勤転勤で18回のポストを経験し何時しか気が付けばまた中部圏に戻っていたのです。なんとこの中部圏に縁があることでしょうか・・・。

 社会人になっても高松、丸亀、徳島、彦根、岐阜、名古屋と転々とし毎日接待で疲れ酒とゴルフと麻雀でよくもまあやったもんだと思います。お陰で無理をして体を壊したのですがどうして銀行の方は麻雀が好きなんでしょうか・・・(笑)。

 当時はバブル時代ですから想像を絶するほど景気が良かったです。しかしそこに大きな落とし穴があって誰も気が付かなかった。素晴らしい成績を上げて自慢している人が多かったですがそれは誰しも時代がそう押し上げていたことで実力ではなかった訳です。そのことに気が付かなかった人は大きな怪我をした訳ですが私は元来潔癖症なために会社と喧嘩をして止めたのですが実際は体がもうボロボロになっていたのです。そして会議中に倒れ東京女子医大に救急車で運ばれましたが原因不明で分かりませんでした。そんなことが何年か続きましたが結局会社を辞めてのんびりしようとしたのですが人生とは不思議なもので今の仕事をするようになったのです。

 当時『個別指導』なんて初めて授業を見たときには驚きでした。感動しました・・・。あれが集団塾ならまあこんなものか・・・と思ったことでしょう。

 個別指導を見た時これからはこう云った塾の時代が来る!・・・確かにそう思いました。ですから私は当時800教室しかなかったですが15年前に芥見に店を開くことが出来たのです。それから消費税の問題などがあり2年後長良に教室を出したということなのです。本来はもう少し店を拡大してもよかったのですがFCの欠点が見えてきたために店を広げることは致しませんでした。強がりをここでは云わせて下さい(笑)。

 実際その通りでして今でも沢山教室を抱えている立派な方も見えますが私にはその能力はありません。自分の教室を地元の中でどう活かしていくか・・・。細く長く・・・ということでしょうか。
 そう云えば私の会社のDOZANは創業100年は越えています。元々は『銅山屋』として四国八十ハカ所巡りのお遍路さんを泊める旅館でした。銅山と云えば足尾銅山を思い浮かべる方が多いですが私が育った別子銅山は住友財閥の発祥の地です。創業100年祭はこの別子銅山の新居浜市で行われました。

 どちらにしても古くていいのは酒と骨董品位ですが細く長く続くのが我が家の伝統かもしれません。それだけ大者ではないということでしょうか(笑)。

 そんなことで大学に行った時や今の学習塾を立ち上げ生徒が最初集まらなくてどうしようかと悩んで一人涙したことも懐かしいです。そんな時いつも私には桜の花が節目節目に出てくるのです。ですから桜の花は散ってこそ哀愁があるのですが咲く前が私は好きです。蕾の頃の桜の花は夢があります。夢なくして希望がないです。我が人生に悔いはなし・・・なんて歌もありましたが私は一杯悔いを残しそうです。ですからいまから少しずやりたいことをしようと考えています。

 5月には九州の宮崎に飫肥城(おびじょう)と云う城があります。これが我が家のルーツなのですが元は伊豆半島まで遡りますが取り敢えずは薩摩藩と戦った先祖の霊を弔っていこうと考えています。

 教室の方はお陰さまで後継者が育ってきましたので少なくとも今よりは自由が利きそうです。ぼんやりと酒でも友と昔を語りながら酌み交わしてみたいと考えています。

 とうとう塾のお話はせずに終わりましたが4月28日(日)から5月3日(金)まではお休みです。従って6連休になりますが実際に授業をしましても生徒の振替や講師の休みなどが合って正直休んだ方が中間テスト対策には丁度いいのです。ですから今月4月度は高校1年生&中学1年生の入会金無料のキャンペーンになっています。期日は4月27日までとなっています。プレゼントはいつでも使える無料券4回分を教室特典としています。詳細か下記のアドレスまで・・・

今日のYoutubeは映画『鉄道員/ギターソロ』です。よく弾いたものです。
http://www.youtube.com/watch?v=49CeJg9fLvI

<今週の言葉>
『青春の夢に忠実であれ』
        フリードリヒ・フォン・シラー

新高校1年生&新中学1年生特別企画
長良教室&芥見教室
<詳細>
http://mm.visia.jp/dozan/

長良教室 058-210-1730
芥見教室 058-2440170





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