■北朝鮮の金正日総書記が死去したというニュースは12月19日(月)の正午に朝鮮中央テレビで、2カ月ぶりに姿を現した看板アナウンサーのおばさんとして知られるリ・チュンヒ氏が「偉大なる領導者、金正日同志が2011年12月17日午前8時39分に現地指導の途中、急病により逝去されたということを悲痛な気持ちでお知らせします」と涙にむせびながら、原稿を読み始めて、世界が知ったとされています。また、正午から重大ニュースが発表されるという予告が12月19日の午前10時にあったようです。
一方、実際に金総書記が死去した日時とされる12月17日(土)午前8時39分からニュース発表まで約51時間半、丸2日以上を要したことについて、いろいろ憶測が飛び交っています。
■北朝鮮の隣国の韓国では、国家情報院の元世勲(ウォン・セフン)院長が12月20日、国会情報委員会に出席し、「北朝鮮が金総書記死去の時間と発表した12月17日午前8時30分に金総書記の専用列車は平壌(ピョンヤン)竜城(ヨンソン)駅に停車中だった。金総書記は12月15日に現地指導をはじめ色々な行事があり、列車の動線を確認したが16~17日の2日間は動かなかったものと把握している」と説明しました。
北朝鮮当局が、「金総書記は走る野戦列車の中で重症急性心筋梗塞により死去した」という公式発表とは違い、「待機中の列車」もしくは「第3の場所」で死去したということを意味しています。ただし元院長は、「金総書記がどこかに行こうと列車に乗ってすぐに死去した可能性はある」と付け加えたそうです。
また、与党情報委員が、「金総書記が12月16日夜に自宅で死去したという話もあったが聞いているか」と尋ねたところ、元院長は「情報水準ではなく、そのような話も報告は受けたが真偽を確認することはできない」とも述べ、北朝鮮護衛司令部出身のイ・ユンゴル北朝鮮戦略情報サービスセンター所長も12月20日、「中国を通じて北朝鮮高位消息筋と接触した結果、金総書記は12月16日午後8時ごろに死去しており、死去した場所も列車ではなく平壌の官邸だと明らかになった」と主張しました。
■実は、筆者の知人が12月18日(日)の10:00インチョン空港発、14:45ウラジオストク着の大韓航空KE981便を予約していたところ、12月16日(金)午後3時37分に、旅行代理店から「ロシア政府の緊急通告により、12月18日のインチョンとウラジオストク間を飛行する全てのフライトが飛行禁止となった」と連絡があり、やむなく1日遅れのフライトに変更せざるを得なかったのでした。
明らかに、ロシア政府は、12月16日(金)の午後の時点で、北朝鮮に異変が起きたことを察知していました。タイミング的にみても金総書記の死去となんらかの関係があったに違いありません。ロシアは北朝鮮の中枢で何が起きていたのかを即座に知り得るネットワークを持っていると思われます。
■筆者も金総書記の死去が公式発表された3日後の12月22日(水)に、4日前に飛行が取りやめとなった大韓航空機KE981便で、インチョンからウラジオストクに向かいました。フライト情報によると、10:00インチョン発、14:45ウラジオストク着で、飛行時間は2時間45分とあります。
↑インチョン空港で出発間近の大韓航空KE981便ウラジオストク行き。↑
地図を見ると、インチョンとウラジオストクの直線距離は、成田とウラジオストクとの直線距離より相当短い感じがします。しかも、インチョンからウラジオストクには東に向かって飛行するわけで、西から東へののジェット気流の関係で、時間的には、成田からウラジオストクに向かう場合より追い風を受けやすい為、飛行時間は短縮されるはずです。
実際に、成田とインチョン間では、毎日運行されている13:55成田発、16:35インチョン着の大韓航空機KE705便の飛行時間が2時間40分であるのに対して、18:35インチョン発、20:45成田着のKE705の飛行時間は2時間10分です。実際にジェット気流を受けて、大晦日のKE705便の対地速度は音速並みでした。
にもかかわらず、なぜ2時間45分もかかるのだろうかと不思議に思っていたところ、ウラジオストクに着陸する直前に、KE981便エアバス330-300型機の座席の前にある飛行情報のディスプレーを見て、合点が行きました。大韓航空機は、インチョンを離陸して、黄海に出て、北に向かい、中国大陸に入り、内陸部を迂回して、ウラジオストクに到着するルートを飛行していたのでした。明らかに北朝鮮の国境から一定の距離を確保しつつ、飛行していることがわかります。
↑北朝鮮を大きく迂回して中国大陸を回り道して飛ぶ大韓航空機KE981便の飛行ルート。↑
■一方、21月31日に日本に帰国した際には、ロシアのウラジオストク航空のエアバス320型機に搭乗しました。14:35ウラジオストク発、14:55インチョン着で、飛行時間は2時間20分とあります。これは中古のエアバスのため、飛行情報のディスプレーは座席の前には付いていません。従って、飛行機と太陽の位置方向で、飛行コースを推測しつつ、ルートを確認しました。
ウラジオストク航空XF743便は、ウラジオストク空港を東に向かって離陸後、次第に南に進路を変え、日本海を南下します。やがて徐々に西に進路を変えて、やがて朝鮮半島の上空に入り、38度線の少し南を真西に機首を向けて、韓国の中央山脈の峰々が雲海の上に頭を出しているのを下に見ながら次第に高度を下げ、インチョン空港に到着しました。
↑朝鮮半島の中央山脈を越えるウラジオストク航空XF743便。このあとインチョンに無事着陸すると機内でロシア人旅行団から大きな拍手が起きた。彼らの習慣らしい。↑
こうして、ウラジオストク航空機XF743便の場合、経度的には明らかにジェット気流に逆らって飛行するにもかかわらず、中国大陸を大きく迂回するとはいえジェット気流の追い風を受ける大韓航空機KE981便に比べ、25分も早く到着できるのです。
■では、なぜ大韓航空機もウラジオストク航空機と同じルートを飛ばないのでしょうか。それはやはり、北朝鮮がいつもミサイルを発射している日本海側の飛行ルートには抵抗があるに違いありません。
ロシアは北朝鮮との関係について、とくに問題視をしていませんから、日本海上空を飛行するのに抵抗がないのだと思われます。「そんなに好関係であれば、いっそ、北朝鮮の上空を飛行すればよいのに、なぜ飛ばないの?」と不思議に思う向きもありかもしれません。やはり、北朝鮮の上空飛行はリスクがあり、さすがにロシア政府も躊躇するでしょう。もっとも北朝鮮が認めるはずもありませんが。
■さて、前述の飛行情報のディスプレーの写真を見て、気付いた方もいらっしゃるかとおもいます。大韓航空機KE981便の飛行ルートの載った地図に、日本海の中に「Dokdo」と記された地名が目立っています。
これが、韓国が不法占拠している日本の竹島のことです。
■1905年(明治38年)1月28日、日本政府は閣議で「竹島」を島根県隠岐島司の所管と決定して以降、竹島は行政区画では島根県隠岐郡隠岐の島町竹島官有無番地であり、正式に日本の領土でした。その後、第二次大戦を経て、戦後韓国が「日本が放棄する地域に竹島を入れるように」と連合国に要求しましたが、拒否されました。
日本領であることを決定したサンフランシスコ講和条約発効直前の1952年(昭和27年)1月18日、韓国の李承晩が「李承晩ライン」と称して、公海上に一方的に線引きして竹島を取り込み占領してしまいました。そのため1965年(昭和40年)の日韓基本条約締結までに、韓国が勝手に線引きしたこのラインを越えたとして、韓国は日本漁船328隻を拿捕し、その過程で日本人44人が殺傷、3,929人が抑留されました。韓国は、日本の海上保安庁の巡視船に発砲し、その銃撃等の事件は15件、16隻に及びました。
■現在も韓国側が武力で占領しています。国際法を順守しようという気持ちを持たないところは、北朝鮮を彷彿とさせます。
日本政府は、竹島問題についての日本の立場を次のように公表しています。
<竹島の領有権に関する我が国の一貫した立場>
1.竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土です。
2.韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。
※韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立した以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。
■韓国と言えば、もうひとつ、とんでもない言いがかりを国際社会にしています。それは国際的な呼称として認められている「日本海」を、なんと「東海」と呼び変えようとしていることです。
日本に帰国する際、このことが気になったため、大晦日の18:35インチョン発20:45成田着の大韓航空KE705便エアバス総2階建て380型機の座席にある飛行情報のディスプレーで確認してみました。その結果、案の定、「Sea of Japan」であるべき日本海のことを、「East Sea」などという無機質な言葉に置き換えています。
↑「Dokdo」や「East Sea」などと記載している大韓航空とJALの共同運航便。日本人には到底、正視に堪えない。
さらに驚いたのは大韓航空KE705便は、なんと日本航空JLJL5206便とのコードシェア便だったのです。日本航空の幹部は、大韓航空機の機内に、このように日本国民の気持ちを逆なでる爆弾が仕掛けられていることを知った上で、大韓航空と共同運航便の契約を結んだのでしょうか。日本政府から支援を受けて再建中の日本航空は、事実上日本政府の管理下にあるわけですが、その会社が、竹島を勝手に占拠したり、日本海の呼称を勝手に呼び変えようとする韓国とコードシェア便を飛ばし、その飛行情報の地図に、国際的に無効な地名が載っていることに目をつぶるのは、どうしても理解できません。
↑正視に堪えない飛行ルートの地図。しかもJALコードシェア便の機内。↑
↑大韓航空機KE705便が、JALとの共同運航便を示すサインボード表示。↑
■日本航空には、せめてコードシェア便の場合くらいは大韓航空に、国際的に認められる地名の記載を使うことを要求し、あるいは日本航空の機体に搭載する飛行情報の地図には、我が国が認め国際的にも認められている地名を記載したものを使って、大韓航空との共同運航便に使用するよう、強く求めたいと思います。
また、日本政府も、おひざ元の日本航空がこの体たらくなのですから、きちんと指導して、こうした屈辱的なことを黙認した幹部を直ちに更迭すべきでしょう。
【ひらく会情報部・国際問題研究班】
一方、実際に金総書記が死去した日時とされる12月17日(土)午前8時39分からニュース発表まで約51時間半、丸2日以上を要したことについて、いろいろ憶測が飛び交っています。
■北朝鮮の隣国の韓国では、国家情報院の元世勲(ウォン・セフン)院長が12月20日、国会情報委員会に出席し、「北朝鮮が金総書記死去の時間と発表した12月17日午前8時30分に金総書記の専用列車は平壌(ピョンヤン)竜城(ヨンソン)駅に停車中だった。金総書記は12月15日に現地指導をはじめ色々な行事があり、列車の動線を確認したが16~17日の2日間は動かなかったものと把握している」と説明しました。
北朝鮮当局が、「金総書記は走る野戦列車の中で重症急性心筋梗塞により死去した」という公式発表とは違い、「待機中の列車」もしくは「第3の場所」で死去したということを意味しています。ただし元院長は、「金総書記がどこかに行こうと列車に乗ってすぐに死去した可能性はある」と付け加えたそうです。
また、与党情報委員が、「金総書記が12月16日夜に自宅で死去したという話もあったが聞いているか」と尋ねたところ、元院長は「情報水準ではなく、そのような話も報告は受けたが真偽を確認することはできない」とも述べ、北朝鮮護衛司令部出身のイ・ユンゴル北朝鮮戦略情報サービスセンター所長も12月20日、「中国を通じて北朝鮮高位消息筋と接触した結果、金総書記は12月16日午後8時ごろに死去しており、死去した場所も列車ではなく平壌の官邸だと明らかになった」と主張しました。
■実は、筆者の知人が12月18日(日)の10:00インチョン空港発、14:45ウラジオストク着の大韓航空KE981便を予約していたところ、12月16日(金)午後3時37分に、旅行代理店から「ロシア政府の緊急通告により、12月18日のインチョンとウラジオストク間を飛行する全てのフライトが飛行禁止となった」と連絡があり、やむなく1日遅れのフライトに変更せざるを得なかったのでした。
明らかに、ロシア政府は、12月16日(金)の午後の時点で、北朝鮮に異変が起きたことを察知していました。タイミング的にみても金総書記の死去となんらかの関係があったに違いありません。ロシアは北朝鮮の中枢で何が起きていたのかを即座に知り得るネットワークを持っていると思われます。
■筆者も金総書記の死去が公式発表された3日後の12月22日(水)に、4日前に飛行が取りやめとなった大韓航空機KE981便で、インチョンからウラジオストクに向かいました。フライト情報によると、10:00インチョン発、14:45ウラジオストク着で、飛行時間は2時間45分とあります。
↑インチョン空港で出発間近の大韓航空KE981便ウラジオストク行き。↑
地図を見ると、インチョンとウラジオストクの直線距離は、成田とウラジオストクとの直線距離より相当短い感じがします。しかも、インチョンからウラジオストクには東に向かって飛行するわけで、西から東へののジェット気流の関係で、時間的には、成田からウラジオストクに向かう場合より追い風を受けやすい為、飛行時間は短縮されるはずです。
実際に、成田とインチョン間では、毎日運行されている13:55成田発、16:35インチョン着の大韓航空機KE705便の飛行時間が2時間40分であるのに対して、18:35インチョン発、20:45成田着のKE705の飛行時間は2時間10分です。実際にジェット気流を受けて、大晦日のKE705便の対地速度は音速並みでした。
にもかかわらず、なぜ2時間45分もかかるのだろうかと不思議に思っていたところ、ウラジオストクに着陸する直前に、KE981便エアバス330-300型機の座席の前にある飛行情報のディスプレーを見て、合点が行きました。大韓航空機は、インチョンを離陸して、黄海に出て、北に向かい、中国大陸に入り、内陸部を迂回して、ウラジオストクに到着するルートを飛行していたのでした。明らかに北朝鮮の国境から一定の距離を確保しつつ、飛行していることがわかります。
↑北朝鮮を大きく迂回して中国大陸を回り道して飛ぶ大韓航空機KE981便の飛行ルート。↑
■一方、21月31日に日本に帰国した際には、ロシアのウラジオストク航空のエアバス320型機に搭乗しました。14:35ウラジオストク発、14:55インチョン着で、飛行時間は2時間20分とあります。これは中古のエアバスのため、飛行情報のディスプレーは座席の前には付いていません。従って、飛行機と太陽の位置方向で、飛行コースを推測しつつ、ルートを確認しました。
ウラジオストク航空XF743便は、ウラジオストク空港を東に向かって離陸後、次第に南に進路を変え、日本海を南下します。やがて徐々に西に進路を変えて、やがて朝鮮半島の上空に入り、38度線の少し南を真西に機首を向けて、韓国の中央山脈の峰々が雲海の上に頭を出しているのを下に見ながら次第に高度を下げ、インチョン空港に到着しました。
↑朝鮮半島の中央山脈を越えるウラジオストク航空XF743便。このあとインチョンに無事着陸すると機内でロシア人旅行団から大きな拍手が起きた。彼らの習慣らしい。↑
こうして、ウラジオストク航空機XF743便の場合、経度的には明らかにジェット気流に逆らって飛行するにもかかわらず、中国大陸を大きく迂回するとはいえジェット気流の追い風を受ける大韓航空機KE981便に比べ、25分も早く到着できるのです。
■では、なぜ大韓航空機もウラジオストク航空機と同じルートを飛ばないのでしょうか。それはやはり、北朝鮮がいつもミサイルを発射している日本海側の飛行ルートには抵抗があるに違いありません。
ロシアは北朝鮮との関係について、とくに問題視をしていませんから、日本海上空を飛行するのに抵抗がないのだと思われます。「そんなに好関係であれば、いっそ、北朝鮮の上空を飛行すればよいのに、なぜ飛ばないの?」と不思議に思う向きもありかもしれません。やはり、北朝鮮の上空飛行はリスクがあり、さすがにロシア政府も躊躇するでしょう。もっとも北朝鮮が認めるはずもありませんが。
■さて、前述の飛行情報のディスプレーの写真を見て、気付いた方もいらっしゃるかとおもいます。大韓航空機KE981便の飛行ルートの載った地図に、日本海の中に「Dokdo」と記された地名が目立っています。
これが、韓国が不法占拠している日本の竹島のことです。
■1905年(明治38年)1月28日、日本政府は閣議で「竹島」を島根県隠岐島司の所管と決定して以降、竹島は行政区画では島根県隠岐郡隠岐の島町竹島官有無番地であり、正式に日本の領土でした。その後、第二次大戦を経て、戦後韓国が「日本が放棄する地域に竹島を入れるように」と連合国に要求しましたが、拒否されました。
日本領であることを決定したサンフランシスコ講和条約発効直前の1952年(昭和27年)1月18日、韓国の李承晩が「李承晩ライン」と称して、公海上に一方的に線引きして竹島を取り込み占領してしまいました。そのため1965年(昭和40年)の日韓基本条約締結までに、韓国が勝手に線引きしたこのラインを越えたとして、韓国は日本漁船328隻を拿捕し、その過程で日本人44人が殺傷、3,929人が抑留されました。韓国は、日本の海上保安庁の巡視船に発砲し、その銃撃等の事件は15件、16隻に及びました。
■現在も韓国側が武力で占領しています。国際法を順守しようという気持ちを持たないところは、北朝鮮を彷彿とさせます。
日本政府は、竹島問題についての日本の立場を次のように公表しています。
<竹島の領有権に関する我が国の一貫した立場>
1.竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土です。
2.韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。
※韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立した以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。
■韓国と言えば、もうひとつ、とんでもない言いがかりを国際社会にしています。それは国際的な呼称として認められている「日本海」を、なんと「東海」と呼び変えようとしていることです。
日本に帰国する際、このことが気になったため、大晦日の18:35インチョン発20:45成田着の大韓航空KE705便エアバス総2階建て380型機の座席にある飛行情報のディスプレーで確認してみました。その結果、案の定、「Sea of Japan」であるべき日本海のことを、「East Sea」などという無機質な言葉に置き換えています。
↑「Dokdo」や「East Sea」などと記載している大韓航空とJALの共同運航便。日本人には到底、正視に堪えない。
さらに驚いたのは大韓航空KE705便は、なんと日本航空JLJL5206便とのコードシェア便だったのです。日本航空の幹部は、大韓航空機の機内に、このように日本国民の気持ちを逆なでる爆弾が仕掛けられていることを知った上で、大韓航空と共同運航便の契約を結んだのでしょうか。日本政府から支援を受けて再建中の日本航空は、事実上日本政府の管理下にあるわけですが、その会社が、竹島を勝手に占拠したり、日本海の呼称を勝手に呼び変えようとする韓国とコードシェア便を飛ばし、その飛行情報の地図に、国際的に無効な地名が載っていることに目をつぶるのは、どうしても理解できません。
↑正視に堪えない飛行ルートの地図。しかもJALコードシェア便の機内。↑
↑大韓航空機KE705便が、JALとの共同運航便を示すサインボード表示。↑
■日本航空には、せめてコードシェア便の場合くらいは大韓航空に、国際的に認められる地名の記載を使うことを要求し、あるいは日本航空の機体に搭載する飛行情報の地図には、我が国が認め国際的にも認められている地名を記載したものを使って、大韓航空との共同運航便に使用するよう、強く求めたいと思います。
また、日本政府も、おひざ元の日本航空がこの体たらくなのですから、きちんと指導して、こうした屈辱的なことを黙認した幹部を直ちに更迭すべきでしょう。
【ひらく会情報部・国際問題研究班】