■我らが群馬県の誇る大勲位の生家で、創業1879(明治12)年の老舗の材木問屋である「古久松木材株式会社」(370-0071群馬県高崎市小八木町310、電話: 027-362-5311)が、とうとう倒産したと、報じられました。
**********2012年8月2日(木)上毛新聞朝刊社会面
古久松木材が事業停止 高崎 明治創業の老舗 130年の歴史に幕
明治初期創業の高崎の老舗材木商、古久松木材(高崎市小八木町、中曽根敏雄社長)が事業停止していたことが分かった。住宅市場の不振に伴い、木材需要が落ち込んで収支が悪化し、130年余りの歴史に幕を閉じた。
民間信用調査会社や元社員によると、同社は1879(明治12)年創業。一戸建て住宅向けに加工材の卸売りを手掛けており、一時は都内に営業所を構えるなど好調に推移していたが、他社との競合や市場の冷え込みで売上高が年々減少、昨年12月に事業停止していた。昨夏時点の負債(借入金)は11億円程度。
中曽根社長は中曽根康弘元首相のおいで、先代で父の吉太郎氏は全国木材組合連合会副会長を務めた。同社が加盟していた高崎材木商組合は「さまざまな要因が重なり、事業停止となったと聞いている」としている。
**********2012年8月3日毎日新聞朝刊群馬版
古久松木材:事業停止 中曽根元首相生家、メーンの木材部門 /群馬
中曽根康弘元首相(94)の生家、老舗材木問屋「古久松木材」(高崎市、中曽根敏雄社長)が、メーンの木材事業を停止していたことが2日、明らかになった。民間信用会社によると、債務額は約11億円(11年7月)で、金融機関からの借り入れが中心、事業停止の事実も確認しているという。同社が東京都内の建材販売会社から売買代金の支払いを求められた民事訴訟の判決公判が同日、前橋地裁高崎支部であり、松丸伸一郎裁判官は、同社が一度も出廷しないことを理由に、訴え通りの支払いを命じた。【増田勝彦】
民間信用会社や関係者の話によると、同社は1879(明治12)年創業。関東有数の材木商といわれ、中曽根元首相の子ども時代は、同市末広町の約3万平方メートルの敷地に工場と居宅があったという。
**********2012年8月3日上毛新聞社会面
古久松木材に代金支払い命令 地裁高崎支部
建材加工販売業者の共和商事(東京)が、古久松木材(高崎市小八木町、中曽根敏雄社長)を相手に未払いの売買代金支払いを求めた民事訴訟の判決が2日、前橋地裁高崎支部であった。松丸伸一郎裁判官は売買代金約320万円を支払うよう命じた。
原告側は「相手方には争う意思がなく、請求が全て認められた」としている。古久松木材は、昨年12月に事業を停止している。
**********
同社の創設者は、中曽根松五郎(明治22年(1889年)1月20日- 昭和44年(1969年)7月)で、元上信電鉄社長であり、大勲位の父親です。群馬県碓氷郡里見村(現高崎市)で、同名の中曾根松五郎の長男として生まれ、明治40年(1907年)に同名を襲名し、関東有数の材木問屋「古久松」を営みました。敷地は3ヘクタール(3万平方メートル)もあって、大勲位の学生時代には、働いている職人150人、住み込みの女中が20人ぐらいは常時いたそうです。
長男が中曽根吉太郎で、次男が大勲位、その他、三男、四男と長女がいましたが、三男は戦死、四男は病死したとされています。
長男の中曽根吉太郎が、後継者として、古久松木材社長となり、全国木材組合連合副会長を務めたこともあります。
その後、古久松木材は、中曽根吉太郎の息子の中曽根敏雄が引き継ぎ、社長として、昨年(平成23年)6月16日の時点では高崎市倫理法人会の会員企業名簿にも名を連ねていましたが、平成23年12月13日の日刊木材新聞社には「古久松木材、プレカット工場閉鎖へ」という記事が掲載され、このころ、事実上、業務停止に追い込まれた模様です。
高崎市産業政策課のホームページ
http://www.npogunma.net/madein-takasaki/02oyagi/02031/02031.xml によれば、現在の大八木工業団地の用地1万平方メートルを取得して、工場を建設し、操業を始めたのが1965年で、最近の資本金は1800万円、従業員規模は20〜29人とあります。
■昭和30年代には、大勲位の実家の古久松木材が扱う木材の輸送は、高崎北部運送が担当していました。この会社は、現在ホクブトランスポート株式会社という名前で、社長一家は、大勲位とは家族ぐるみの付き合いのようですが、4年前に、下請けの多胡運輸所有のアポロマークのタンクローリーが首都高5号線の熊野町ジャンクション付近で横転炎上事故を起こし、首都高史上最大の甚大な物損を与えた為、荷主の出光興産とともに、首都高から損害賠償請求を受けて、昨年10月から東京地裁で係争していることでも知られています。
かつて、ホクブトランスポートの躍進の原動力となった古久松木材が、昨年末、ホクブトランスポートが首都高から提訴された時期と同じくして、事実上、業務停止に陥ってしまい、なんだか、歴史の因縁を感じさせます。
古久松も、東京の会社から未払いの売買代金約320万円の請求訴訟を受けて、8月2日に支払い命令の判決を受けたり、昨夏時点の負債(借入金)は11億円程度あったと報じられたりしています。これらの負債はきちんと返済されるのかどうかは、まったく分かりませんが、大勲位の威光が、依然として機能しているのかどうかは、定かではありません。
なお、最後に蛇足ながら、大勲位の兄の中曽根吉太郎の孫娘は、平成10年に、福田赳夫の孫と婚姻したため、上州戦争といわれた福田・中曽根対決は、両家が姻戚関係となったことから、その後、協調体制に変化していることはご賢察のとおりです。
【ひらく会情報部】
**********2012年8月2日(木)上毛新聞朝刊社会面
古久松木材が事業停止 高崎 明治創業の老舗 130年の歴史に幕
明治初期創業の高崎の老舗材木商、古久松木材(高崎市小八木町、中曽根敏雄社長)が事業停止していたことが分かった。住宅市場の不振に伴い、木材需要が落ち込んで収支が悪化し、130年余りの歴史に幕を閉じた。
民間信用調査会社や元社員によると、同社は1879(明治12)年創業。一戸建て住宅向けに加工材の卸売りを手掛けており、一時は都内に営業所を構えるなど好調に推移していたが、他社との競合や市場の冷え込みで売上高が年々減少、昨年12月に事業停止していた。昨夏時点の負債(借入金)は11億円程度。
中曽根社長は中曽根康弘元首相のおいで、先代で父の吉太郎氏は全国木材組合連合会副会長を務めた。同社が加盟していた高崎材木商組合は「さまざまな要因が重なり、事業停止となったと聞いている」としている。
**********2012年8月3日毎日新聞朝刊群馬版
古久松木材:事業停止 中曽根元首相生家、メーンの木材部門 /群馬
中曽根康弘元首相(94)の生家、老舗材木問屋「古久松木材」(高崎市、中曽根敏雄社長)が、メーンの木材事業を停止していたことが2日、明らかになった。民間信用会社によると、債務額は約11億円(11年7月)で、金融機関からの借り入れが中心、事業停止の事実も確認しているという。同社が東京都内の建材販売会社から売買代金の支払いを求められた民事訴訟の判決公判が同日、前橋地裁高崎支部であり、松丸伸一郎裁判官は、同社が一度も出廷しないことを理由に、訴え通りの支払いを命じた。【増田勝彦】
民間信用会社や関係者の話によると、同社は1879(明治12)年創業。関東有数の材木商といわれ、中曽根元首相の子ども時代は、同市末広町の約3万平方メートルの敷地に工場と居宅があったという。
**********2012年8月3日上毛新聞社会面
古久松木材に代金支払い命令 地裁高崎支部
建材加工販売業者の共和商事(東京)が、古久松木材(高崎市小八木町、中曽根敏雄社長)を相手に未払いの売買代金支払いを求めた民事訴訟の判決が2日、前橋地裁高崎支部であった。松丸伸一郎裁判官は売買代金約320万円を支払うよう命じた。
原告側は「相手方には争う意思がなく、請求が全て認められた」としている。古久松木材は、昨年12月に事業を停止している。
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同社の創設者は、中曽根松五郎(明治22年(1889年)1月20日- 昭和44年(1969年)7月)で、元上信電鉄社長であり、大勲位の父親です。群馬県碓氷郡里見村(現高崎市)で、同名の中曾根松五郎の長男として生まれ、明治40年(1907年)に同名を襲名し、関東有数の材木問屋「古久松」を営みました。敷地は3ヘクタール(3万平方メートル)もあって、大勲位の学生時代には、働いている職人150人、住み込みの女中が20人ぐらいは常時いたそうです。
長男が中曽根吉太郎で、次男が大勲位、その他、三男、四男と長女がいましたが、三男は戦死、四男は病死したとされています。
長男の中曽根吉太郎が、後継者として、古久松木材社長となり、全国木材組合連合副会長を務めたこともあります。
その後、古久松木材は、中曽根吉太郎の息子の中曽根敏雄が引き継ぎ、社長として、昨年(平成23年)6月16日の時点では高崎市倫理法人会の会員企業名簿にも名を連ねていましたが、平成23年12月13日の日刊木材新聞社には「古久松木材、プレカット工場閉鎖へ」という記事が掲載され、このころ、事実上、業務停止に追い込まれた模様です。
高崎市産業政策課のホームページ
http://www.npogunma.net/madein-takasaki/02oyagi/02031/02031.xml によれば、現在の大八木工業団地の用地1万平方メートルを取得して、工場を建設し、操業を始めたのが1965年で、最近の資本金は1800万円、従業員規模は20〜29人とあります。
■昭和30年代には、大勲位の実家の古久松木材が扱う木材の輸送は、高崎北部運送が担当していました。この会社は、現在ホクブトランスポート株式会社という名前で、社長一家は、大勲位とは家族ぐるみの付き合いのようですが、4年前に、下請けの多胡運輸所有のアポロマークのタンクローリーが首都高5号線の熊野町ジャンクション付近で横転炎上事故を起こし、首都高史上最大の甚大な物損を与えた為、荷主の出光興産とともに、首都高から損害賠償請求を受けて、昨年10月から東京地裁で係争していることでも知られています。
かつて、ホクブトランスポートの躍進の原動力となった古久松木材が、昨年末、ホクブトランスポートが首都高から提訴された時期と同じくして、事実上、業務停止に陥ってしまい、なんだか、歴史の因縁を感じさせます。
古久松も、東京の会社から未払いの売買代金約320万円の請求訴訟を受けて、8月2日に支払い命令の判決を受けたり、昨夏時点の負債(借入金)は11億円程度あったと報じられたりしています。これらの負債はきちんと返済されるのかどうかは、まったく分かりませんが、大勲位の威光が、依然として機能しているのかどうかは、定かではありません。
なお、最後に蛇足ながら、大勲位の兄の中曽根吉太郎の孫娘は、平成10年に、福田赳夫の孫と婚姻したため、上州戦争といわれた福田・中曽根対決は、両家が姻戚関係となったことから、その後、協調体制に変化していることはご賢察のとおりです。
【ひらく会情報部】