重文の女神像、不明の天衣先端が突如見つかる…数世紀ぶりかもしれない奇跡に深まる謎
大津市の三井寺・護法善神堂で2019年9月、細長い木片1点(長さ約50センチ)が見つかった。堂内に 祀 る重要文化財「護法善神立像」(平安時代)が、肩から羽織る長い布・ 天衣 の先端部を造形した部材だった。像の左右両側に付いていたが、いつしか双方ともに亡失。ただ、左側だけは明治時代の古写真に写っていた。誰もが「明治以降に失われた左側だ」と思ったが、実は右側だと判明。関係者は数百年ぶりかもしれない右側の発見を喜びつつも「では、左側はどこへ?」と、謎めいた展開に頭をひねっている。(渡辺征庸)
像は、寺ゆかりの高僧・ 円珍 (智証大師、814~891年)の守護神という等身大の女神像(高さ約1・6メートル)。腰の辺りに接着剤として使われた 麦漆 や木材をつなぎとめる 釘 ( 鎹 )の跡が残り、元々は天衣の部材が付いていたことは想定されていた。
19年7月。明治30年代頃に写された像の古写真が東京芸術大にあることを知った福家俊彦・同寺長吏と寺島典人・大津市歴史博物館学芸員が調査。左の袖下に天衣の部材が写っていることを確認した。一方の右側は写っておらず、明治以前に失われたと考えられた。
後日、部材の形状などを聞いた小林慶吾・同寺執事は「似た物を堂内で見た記憶がある」とひらめいた。
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