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島根の永井隆記念館休館へ 2年後に新装オープン

2018年05月27日 15時43分02秒 | 原子力
島根の永井隆記念館休館へ 2年後に新装オープン
2018年5月24日 (木)配信共同通信社

 長崎で被爆者救護に尽力し、白血病のため43歳で亡くなった医師の永井隆(ながい・たかし)博士が育った島根県雲南市で、平和の大切さを伝えてきた「雲南市三刀屋町永井隆記念館」が28日から、建て替えのため一時休館する。約2年後のリニューアルオープンを目指す。
 記念館は1970年に開館し長崎市の永井隆記念館の姉妹館になった。建物が古くなり、トイレなどが「不浄の場」として備わっていなかったため、建て替えが決まった。建物を現在よりも大きくして、展示する資料や一度に入れる人数を増やす。
 記念館は、永井博士が長崎から島根の旧友に宛てた手紙や自作の紙芝居、被爆した瓦などを展示している。博士が戦後、子どもたちのために長崎の自宅の横に図書室を開設したことにちなんで図書館を併設し、地元小学生らに勉強の場を提供してきた。年間約2千人が訪れ、生誕100周年の2008年度には約4千人が来館した。
 休館中は閉校した地元の小学校などで資料を保管し、一般公開はしない。雲南市主催の「平和」をテーマにした作文コンテスト「永井隆平和賞」は継続するという。
 永井博士は1908年に松江市で生まれ、島根県三刀屋町(現・同県雲南市三刀屋町)で育った。長崎医科大(現・長崎大医学部)に進学。医師として活動中に被爆し、妻を原爆で失いながらも救護活動を続けた。「長崎の鐘」などの著書を残し、白血病のため51年に亡くなった。
 藤原重信(ふじはら・しげのぶ)館長(60)は「記念館は博士の平和を願う精神を広める役割を担ってきた。これからも受け継いでいきたい」と話している。

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