坂の下集落は、合併前までは温海町と接する鶴岡市の一番南側に位置する集落だった。
眼下の道は国道345号の旧道で、現在は通行止め。
国道345号はこの先温海町の中山間地域を走り、県境の鼠ヶ関で国道7号と合流する。
新潟方面へは日本海沿いを走る国道7号の方が道もいいし時間的にも早い。
この先、道は狭隘だし時間もかかるけど、今日はのんびりこの道を走る。
関川地区。山の向こうは新潟県。
戊辰戦争の際、ここ関川で侵攻する新政府軍と迎え撃つ庄内軍との間で攻防戦があった。
今では同じ佐幕派の会津蕃ほど知名度はないが、鶴岡には今もその時代にこだわる人が多い。
庄内鶴岡の殿様は親藩だったとか、朝敵にあってもあの西郷が庄内藩には一目置いたんだとか。
町おこしにも、いまだに「殿様なんとか」が付いてまわる・・・、あっ、ボク、毒吐いてる?
雷峠で待ち受けていた庄内藩は、尾根づたいに侵攻してきた政府軍の奇襲を受けたと記してある。
あの山の尾根をそうっと進軍してきたんだろうか。山の向こうは新潟県旧山北町(村上市)だ。
道は、ここからが難所・・・というほどでもないか。
幅員2mを超える車両は通行注意という道路標識があった。
左の法面下を鼠ヶ関川が流れているけど、転落防止の施設はずーっと皆無。
設置するスペースがないからか。それとも、沿道の杉木立が転落防止の役を担うから?
奥入瀬ならぬ、鼠ヶ関川版「銚子の大滝」ってとこですかね。
冬期間は通行止めになるし、豪雨時にもよく止まる。
急峻な山間部が多い温海町は、災害の少ない庄内にあっても豪雨災害の多い地域だ。
坂の下集落から30kmほど、国道7号への合流を知らせる表示板が見えた。
日本海東北道の鼠ヶ関ICがこの辺りに予定されているけど、県境区間はいつのことやら。
鼠ヶ関港はこの辺では酒田港に次いで大きい港で、避難港に指定されている。
ボクが通った小学校では、わざわざここまで来て、二泊三日の海浜学校が開かれた。
防波堤に囲まれているので波は静かだったけど、岩礁が点在し、ケガも多かった。
こんなところにといっては失礼だけど、県が整備したマリーナもある。
お前なんかの来るところじゃない・・感の圧を感じるなあ。
関係者以外立ち入り禁止の看板があった。悪かったなあ。二度と来るかあ!
92年の山形国体の時、ここがヨット競技の会場になった。
息子が小さかった頃、ヨットをやってみたいと少しばかりその気になったことがある。
ディンギーやその上クラスならボクにも・・・と思ったんだけど、今に至るです。
県境を越えた移動自粛の解除は明日からだし、今日のところは引き返そう。
帰りは海を眺めながら国道7号をのんびり走ろうか。
日本海に浮かんでいるかのように見える雄大な景観は、鳥海山の売りだ。
何となく、いつもより近く大きく見えるように感じる。
新潟の方から白い雲が伸びてきて、上空の半分を覆ってきた。
鳥海山がくっきり大きく見えたのは大気中の水蒸気のせいだろうか。
三瀬の鯵ヶ沢トンネル付近で見かけたお人。どこから・・・? どこまで歩くんだろ。
ボクはといえば、走行距離100キロを三時間半かけてぶらついた。
足ならしは出来たけど梅雨にも入ったし・・・、また、ヤスの世話になろうかなあ。
ちなみにこの御仁を6時間後、ここから18キロ先の鶴岡駅近くの通りで再び見かけた。