てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

20,000回アクセスに思う

2006-12-13 10:15:44 | パソコンとインターネット
 後で気が付くテンカン病とはこのこと。迂闊にも何時の間にか拙ブログへのアクセス数が20,000回を達成していました。多分12月6日ごろのことだと思います。
 本日、ブログご近所のエンピロさんから御祝詞をいただき気付いた次第です。
 辛抱にお付合いいただいております皆様のご支援に改めて深謝申し上げます。

 2005年4月20日にブログを開設以来、ここまで1年8カ月を要しております。御案内の通りマイナーなブログで、最近でこそ一日平均70回ほどアクセスをいただいておりますが、開設から1年間以上は、知る人ぞ知る存在でした。
 小欄「2006/9/6必然の産物」でも触れましたが、ある方の偶然のご来訪が転機となり、次から次へ「ブログご近所」の輪が広がり、今日に至っております。

 あくまで日誌ということで、徒然なるままに“一日一題”(皮肉にも昨日は一日とんだ)をモットーに書き留めてきました。たわいない生活の一コマや雑感を認めた「てすさび日誌」ではありますが、どうか今後とも宜しくお願いいたします。
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十王信仰

2006-12-11 22:50:47 | 暮らしと生活
 我が家の西隣の美代ばあさんの一周忌法要を、後見人と町内会長始めごく近親者で営んだ。
 法要に先立ち、脇田山安養寺の今田賢信住職が「一周忌」と「三回忌」の意味を一言で説かれた。

 『人が死ぬと7日目毎に49日まで7回、それから100か日・1年・3年とそれぞれの忌日に死んだ人が「あの世」の裁判官から10ケ出所まわり、生前のその人のおこないについて、10人の裁判官から厳しい審判をうけ、3年かかって最終の判決が決まる事になっている。』
 つまり十王信仰のことで、人間は死後10人の王官により生前の善悪行為が裁かれ、その軽重で死者の行き先(極楽・地獄など)が三回忌で決まるというもの。
○初七日 不動明王(秦広王)
○二七日 釈迦如来(初江王)
○三七日 文殊菩薩(宋帝王)
○四七日 普賢菩薩(五官王)
○五七日 地蔵菩薩(閻魔王)
○六七日 弥勒菩薩(変成王)
○七七日 薬師菩薩(太山王)
○百か日 観音菩薩(平等王)
○一周忌 勢至菩薩(都市王)
○三回忌 阿弥陀如来(五道転輪王)

 無事法要を終えてから場所を移して会食した。小欄「2006/1/11天寿を全う」でふれたように、美代ばあさんには身寄りがない。故人の遺言により、残された土地と家屋の1/3は安養寺に寄進され、永代供養も済ませてある。故人の威徳を偲んで話が弾んだ。
 住職と幼馴染の町内会長が揃って難関の高校受験を突破したことや、学生時代の秘話?などの披瀝もあった。気さくで人間味あふれる住職(元教師)で、自らの恩給などの話もされた。
 最後に、「今日集まった近親者だけでも、三回忌まではしてあげような」ということになり、その場で住職に来年の12月11日を予約した。


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公会堂竣工

2006-12-10 12:34:17 | 暮らしと生活
 

 町民が長年待ち焦がれていた中井公会堂が完成した。今夜、落成記念の役員会が予定されている。

 会に先駆けて、「同公会堂が住民から広く親しまれ、交流のサロンとして末永く活躍するように」願いを込めて同公会堂の愛称を公募したらどうかと提案をしておいた。

 さてどんな名前がつき、息吹が与えられるか楽しみだ。


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肩こり体操

2006-12-10 09:04:42 | 健康と医学
 りゅうそうクリニックの理学療法士に指導いただいた「肩こり体操マニュアル」です。肩こりが持病の方にはうってつけです。手軽に出来るので、ぜひお試しください。

↓活字が小さくて読みづらい時は、クリックして拡大画像でご覧ください。

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もったいない!の精神

2006-12-09 21:02:37 | 暮らしと生活
 最近「もったいない!」という言葉がもてはやされている。
 これはケニア出身の環境保護活動家であり、ノーベル平和賞受賞経験者であるワンガリ・マータイさんが、昨年2月に京都議定書関連行事のため来日した時にこの言葉を知り、日本人が昔持っていた「もったいない」の考え方こそ、環境問題を考えるにふさわしい精神として感銘を受けて披露されたものである。

■残り湯を洗濯に使う
 過日、倅の看病について新発見。倅の家庭では風呂の残り湯を洗濯に使っていた。残り湯は雑菌が多くて不潔だと考えていたが、雑菌は洗濯物が乾いてしまうとほぼ死滅するそうだ。 また、我が家は井戸水なものだから、つい水道を出しっ放しにしようものなら、すかさず孫が水栓を締めに来る。負うた孫子に教えられた一件である。
 香川県は川が少なくて、ため池に依存している。そのため水は豊富でなく、水道料金が高い。そこで自ずと「一滴の水も無駄にしない」と生まれた生活の知恵である。

■大根大量廃棄
 先日、収穫期を控えた大量の大根が廃棄されている様子が報道されていた。いわゆる豊作貧乏の懸念から価格安定のためにとられた、止むに止まれぬ処置なのだが、どうも釈然としない。まさしくもったいない限りだ。
 オーストラリアのように、史上最悪の干ばつで小麦の収穫量が半分以下の国もあるというのに。同じ地球上で何たる皮肉。
 飽食暖衣にあぐらをかく日本人を見るにつけ、発展途上国や難民キャンプで栄養失調の上、碌な医療も受けられないまま横たえた子供たちの姿が目に焼きついている。

 上記二題は卑近な例だが、本当に「もったいない!」と思われることが、身辺でいくらでも見受けられる。
 地球上の資源は無尽蔵ではない。農産物や海産物はいうに及ばず水、空気しかり。いずれ枯渇するときが来る。常に「もったいない!」の精神を肝に銘じて、限りある資源を子々孫々へとバトンタッチしたいものだ。
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