てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

肩凝りと漱石

2006-12-08 17:41:49 | 健康と医学
 昨夜は波状的に迫りくる痛みから睡眠が取れず、今朝は痛みが更に増す。とうとう朝一でりゅうそうクリニック(整形外科)へ。
 骨のレントゲンでは異常が認められず、診察の結果、病名は頚椎椎間板症(筋筋膜症)。当方の希望により痛み止め注射の上、首の牽引を受けた。続いて理学療法士による頚、肩甲骨のストレッチ指導があった。ここまで3時間ほどかかったが、注射効果か痛みはひとまず治まった。

 親父も酷い肩凝りで、小さい頃からよく揉まされたものだ。親子は似なくていいところほど似るものだが、明らかに父→私→長男と“肩凝り”のDNAだけは受け継いでいるようだ。(どうやら三男にまで伝播したようだ。このブログをみてカキコミあり。)
 『俺に似よ俺に似るなと子を思ひ 麻生路郎』の句を思い出した。

 ところで、わが国で「肩が凝る」という言葉を初めて使ったのは、夏目漱石とされている。
 『指で圧してみると、頸と肩の継目の少し脊中へ寄った局部が、石のように凝っていた。御米(およね)は男の力一杯にそれを抑えて呉れと頼んだ。宗助の額からは汗が煮染み出した。それでも御米の満足する程は力が出なかった。』《1910年(明治43年)夏目漱石「門」》

 つまり夏目漱石こそは“肩凝りの元祖”で、孫の手に玉をつけたり、英国の学会で紹介、ストレッチを日本に伝えたのも漱石だそう。
 夏目家の場合はどうなのか?孫で漫画コラムニストの夏目房之介さんあたりについて、ネットで調べてみよう。

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二次災害

2006-12-07 10:24:57 | 健康と医学
 倅と孫の病気が快方に向かい安堵した途端に、取り巻く周囲へ“二次災害”と思しき症状が出始めた。

 かみさんは日誌をつける習慣がないので、子供達が病に倒れていた頃の記憶がまだらにしか残っていない。家計簿なども付け落ちや日付け不明が目立つ。

 付き添っていた嫁は、年末調整などに必要な手続き他を、本人はしていたつもりが未済であったり…。

 私は買出しの手伝いで必需品の「水」など重いものを持ち続けたためか、左肩のスジを痛めたようだ。2、3日来断続的かつ波状的に神経に障る痛みが走る。昨日は思い余って近くの「O川整骨院」へ。
 同整骨院へは年初にかかった。その時は長時間のパソコン作業からの筋肉疲労が原因する「筋違い」で10回ほどの通院で治まった。
 その治療効果はまだ持続しているものの、今回は肩がパンパンに張り、首筋にコリコリがあるといわれ、30分ほど施術を受けた。
 今日は9時前に整骨院へ出向くと、既に先客が10数名おり椅子から溢れている。3時間半待ちといわれたので、諦めて引き返した。これほどの時間があれば新幹線で岡山から東京まで行けるのにといつも思う。
 今日のところは肩をカイロで温めて、マッサージチェアーで癒すことにした。

 先生二人のこの医院はいつも大盛況で、2~3時間待ちは茶飯事なのだが、傍目にはさして悪い症状にも思えぬ、時間を持て余したような“年寄りのサロン”と化している。その姦しさといったら、耳を覆いたくなる話題が声高に続き、騒がしくていたたまれないほど。ましてや当方のように、神経に障る痛みを抱えた者には、これだけで悪化に拍車をかけそうだ。

 これでは本当に治療を受けたい者を阻害することになる。せめて予約制にするなど一工夫欲しいところ。或いは他のいい整骨院を探すしかない。
 それと相変わらず、パソコンにさばる時間が長くウオーク以外に体を動かすことが少ないので適宜、ストレッチを心がけよう。
 併せて、いい音楽を聴き・弾くなど内面から解したらどうかと思う。
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電力送電シートの開発なる

2006-12-06 09:20:16 | ビジネスと社会
 毅クンでかした!心より賛辞を贈る。
 二男の義弟毅クンの所属する『染谷研究室が「電力送電シート」なるものを開発した』と、4日夜のNHKのニュースで報じられ、5日付の讀賣新聞には顔写真付記事まで掲載されたそうだ。早速に讀賣新聞岡山版を取り寄せたが、これには未掲載だった。

 ニュースの内容は、
 『電気製品を置くだけで、電源コードを使わずに電力を供給できるシートを、東京大の 研究チームが開発した。数年以内の実用化を目指す。

 この「ワイヤレス電力伝送シート」は、電流が流れているコイルに別のコイルを近づけると、 そのコイルにも電気が流れる「電磁誘導」の原理を応用している。厚さ1㎜で床や壁、卓上など に張ることもできる。

 東大大学院工学系研究科の染谷隆夫助教授、同国際・産学共同研究センターの桜井貴康教授らによれば、前もって電力受信用のコイルを付けた電気製品をシートの上に置くと、シート内 のトランジスターが位置を把握して、送信用コイルから電気を送る。

 受信用コイルがなければ電気が流れないので、手でシートに触れても感電しないという。

 トランジスターはプラスチックのフィルム上に印刷して作るため、20cm四方のシート1枚で 厚さ1㎜、重さは50g。1㎝四方あたり1円で作るのが目標。

 最大29ワットの電力を送れるが、将来的には100ワット以上の伝送も可能。コードがない方が 便利な電気掃除機やノート型パソコン、研究開発が進む家庭用ロボットなどの電力供給に有望。

 あらかじめ、家電製品に受信用コイルを付けておく必要があるが、染谷助教授は「技術的には 難しくない」と話している。』
 というものだ。

 電源コードはもういらない-。電子機器を近づけるだけで、接触していなくても 電力を送れる電力伝送シートの開発は画期的なことだ。一刻も早い実用化を望む。
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“清福”の色紙

2006-12-05 20:50:00 | ビジネスと社会
 昭和40年代後半のある日のこと。親父とかみさんが我が家の橋に立っていると、前屈みでヒョコヒョコと通りがかった小柄な紳士に道を尋ねられた。
 心もとない記憶を頼りに、恩師の住まい或いはお墓を探しておられる様子。お話を伺って直ぐに岡山第一中学校(現岡山朝日高校)で数学の教鞭をとり、最後は同教頭を務められた中村伊勢次氏(昭和23年没、行年65歳)とわかった。そこで当時既に空き家となっていたお住まいと中村氏の眠るお墓をご案内した。

 これが縁で、道案内のお礼に代えて後日、一枚の色紙が届いた。色紙には優しさ溢れる達筆で二文字「清福」とだけ記されていた。書の主こそは岡山県知事に就任してほどない長野士郎氏であった。

 岡山県知事、全国知事会長などを務めた長野士郎氏が5日午前9時半、膵臓がんのため岡山市伊福町、岡山済生会総合病院で死去された。89歳。
 氏の6期24年にわたる業績など詳報については、明日の新聞報道に譲る。
 石井正弘岡山県知事は『まさに「巨星落つ」の感を禁じ得ません。「人間尊重、福祉優先」の理念と高い見識のもとに、県発展の基礎となる各種事業を実施された。「地方自治の権威」であり、先見性と決断力、行動力は全国的にも不世出の指導者でした。』と称える。

 余談ながら、後年になってこの色紙がもとで、親父の従姉妹の旦那が長野氏の従兄弟にあたることが判明した。世間とは狭いもので、何処かで繋がっているという思いを強くしたものだ。

 また私は、中村伊勢次氏とは面識がないが、近所の古老の話では「中村伊勢次氏は教育に熱心で、今で言う塾の様なものを開いておられた。当時、一中の秀才の生徒の高等学校、大学を目差しての補習授業をされていた。夕方になると生徒の自転車が列をなしていた。趣味は投網で玄人はだしだった。」と振り返る。
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家族団欒の幸せ

2006-12-04 11:01:21 | ファミリー
 倅、孫と相次いで倒れ、取込み中の合間の11月24日、かねてから二男家族と計画していた京都一泊旅行に、日帰りで合流してきた。

 車で駆けつけたのだが、紅葉シーズン真っ只中とあって、どこも大渋滞。孫が風邪っ気なため、人ごみの中は避け、府立植物園でゆっくり紅葉狩りを楽しんだ。今年は暖冬のため、この時季にも拘らず至る処で、まぶしいほどの鮮やかな紅葉がみられた。

 夕方には二男のマンションへ帰り、近くのレストランで一足早く、嫁の誕生日(12月3日)を祝った。ささやかな宴ながら、家族が団欒できる幸せをしみじみと噛み締めた。

 この度の旅行は、一旦は断念したものの、二男が折角何カ月も前から計画してくれていたこともあり、長男の容態が落ち着いたのを見計らい、短縮して敢行したもの。
 心待ちにしていた孫にも一目会えたし、芦屋に住む弟と義弟宅などへ新米を届けることができ、慌しいながらも有意義な束の間の憩いとなった。

-京都府立植物園内の鮮やかな紅葉-













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