センチメンタル・ジャーニー

2009-07-10 21:57:02 | タナカ君的日常
 40年以上も前、新入社員の僕を富士登山に連れて行ってくれ、今に続く山歩きのキッカケを作って呉れた先輩がいます。 その先輩はラジコン飛行機の製作や操縦も趣味にしていました。 昨日は、その先輩の家を訪ねる「センチメンタル・ジャーニー」を自転車に乗ってして来ました。 行き先は清瀬駅近く。 そこへは在籍中に一度遊びに伺った事はありますが、今も住まいがあるかどうかも全く判りません。 5年間在籍したその会社を退職した僕は、その後は一度も訪ねて言ったことも無ければ、年賀状のやり取りもしていませんでしたから。

 僕の家からは五日市街道を東に走り、交差する府中街道を北に向かい津田塾大学の脇を通過して青梅街道に出ました。青梅街道を今度はまた東に向かいます。 小金井街道と交差したら清瀬方向へ北に向かいます。 途中には2度目の会社での別の先輩が起業したY電子があります。 「忙しい仕事中に悪いかな? 」とも思ったのだけれど、お茶でもご馳走になれるかもと、自分の勝手な思惑でちょっと立ち寄って見ました。 「おおっ、良く来たね、 2階の打ち合わせの場所判ってるだろ、ちょっと上がっててよ!」と招じ入れられました。 女性社員の持ってきてくれたコーヒーを戴きながら、「高圧電源を小型化・モールドする場合の電子部品は熱の逃げが悪いから、部品の定格に対して1/10程度のレーティングで使うんだ」なんて話や「真空やってた吉村さん居るだろう、技術師の資格と取って、あちこちでコンサルタントしてるって話だよ」 てな類の話しを聞きながら、30分程も休憩させてもらっちゃいました。

 再度、清瀬に向かって北上、 駅前に交番でも有ったら、そこで先輩の家の場所を教えてもらえるかも、と考えていたのですが、清瀬駅の南口には交番がありませんでした。 先輩の家は都営住宅だったと思うのだけれど、当時は木造の平屋建てでした。 駅前の不動産屋さんで暇そうな店に入り込み「駅の南口側にあった都営住宅」をキーワードに質問して見ました。 駅の近くの都営住宅は今では平屋は無くなり、高層住宅化されてしまったそうです。 住宅の所有者や居住者名も入った住宅地図を見せてくれました。 店内のテーブルを借りて地図帳に記載された都営住宅の居住者名を追って見ましたが、見つかりませんでした。 お礼を言って不動産屋さんを辞去。 駅構内に公衆電話があって、電話番号帳も有ったので名前で検索して見ました。 素晴らしい!!名前と住所が載ってました。 先ほどの不動産屋さんに戻り、地図帳を見せてもらいました。 バッチリ記載されています。 駅から500m以内の距離でした、早速行って見ました。 家は2階建ての結構な大きさでした。 南の軒下には洗濯物が下がってました。 しかし玄関のピンポンを押しても誰も出てきません。 そんなわけで家を見つけた事だけで満足して戻り道につきました。  夜に電話を入れたら奥さんが出てくれて「数日家を空けているんですよー」との話でした。 センチメンタル・ジャーニーはこれでお終い。
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