広島の印象

2010-08-06 09:30:07 | タナカ君的偏見
 僕が一番最初に広島の地を訪れたのは日本のあちこちの製鉄所に仕事で出張が有った頃で、昭和40年代が終わろうとしていた時期だったはずだ。 そう言った遠距離の地への出張のついでに、途中にある日本百名山に名を連ねる山々に登り、ついでの観光もしていた。 広島で電車を降りたのは、まさにそう言った「ついでの旅」だった。 

 今から65年前、広島には原爆が投下されて焼け野原となり、巨大なキノコ雲の下で多くの人々が亡くなり、 生き残った人も受けた傷や放射能による後遺症で苦しみの日々を送って来られた。 「其の様な悲惨な記憶が広島の街中には漂って居るのではないか?」そんな内心の想いは駅を降り、賑やかに密集した建物を見て逆転してしまった。
 
「何だ? 原爆を投下されても30年もしないで放射能の影響なんか消え失せ、人間は街を再生させ、そこで生活出来るのか?」

これが35年前に初めて訪れた、広島の地から受けた強烈な印象です。

 原爆ドームを前にしても、「周辺の美しい緑の中に残された壊れかけた建造物」としか見えず、資料館の展示品で歪んだガラス瓶を見て熱線の凄まじさを感じたり、ケロイドを負った人の写真に目を背けたくなったりしたものの、「ああ、この小さな施設の中だけにしか原爆の恐ろしさを伝える物は残っていない」との想いが強かったと記憶しています。

 核廃絶を願い、全国各地の市町村が「核廃絶宣言都市」なんてスローガンを議会で可決して看板を掲げたりする事は随分と前から行われているが、実際の核廃絶あるいは核軍縮に対して殆ど実効性が無い。 米国、ロシア、フランス、中国、イスラエル、インド、パキスタン等の核保有国に本気で「核爆弾を無くそう」と思わせるにはニューヨークやモスクワ、パリ、北京などで小型の奴でいいから誰か爆発させて、その被害の恐ろしさを体験させないと前進しないだろうと思います。 逆にその威力に惚れ直して核軍拡の風潮が広まる恐れ無きにしもあらず...かな?
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