ショージ君

2010-08-24 07:48:35 | 昔話
 ここのところ頻繁にブログの中に登場するショージ君、 その彼の所有する山荘に僕は居候を決め込んでいるのですが、 そんな関係になるまでの経緯を書いてみます。 今から30年近く昔のこと、僕たちの所属する山岳会山行で残雪期の北鎌尾根から槍を目指す計画が実行されました。 不幸な事に、その中の紅一点S子が尾根へ出て翌日の行動開始して直ぐに滑落して骨折、ヘリコプターで救助される事故を起こしてしまった。 その後、彼女は松本市内の病院に搬送され入院生活を送ったのですが、 不思議な縁で松本生まれのショージ君と結婚する運びとなったようです。 退院後暫く経ってから我が家に遊びに来た彼女は結婚することになった経緯や「タナカさん、彼はスキー場の近くに別荘を持っているの、今度遊びに来て!」と嬉しそうに話してくれたものです。

 そんな招待(?)にはすぐに乗る癖のある僕は、早速お正月休みにまだ2歳くらいだった子供を連れて簗場の山荘でスキーを楽しませて貰いました。 その後、ショージ君の家庭でも赤ちゃんが生まれて、我が家の子供の遊び相手にも丁度良く、 それからは年に一度、お正月休みと言えば簗場で過ごす様になりました。 しかし、その頃はあくまでも 「ショージ君の奥さんのお客様」 としての訪問でした。

 ところで今から十数年前に、ショージ君が長野県内各地の赴任先の教員住宅や借家での生活から脱却して、 高瀬川を挟んで西に有明山を望む安曇野の地の一角にマイホームを建設することになったのです。 カナダからの輸入材を使った本格的なログハウスです。 しかも外壁や屋根などの主要構造の組み立ては業者に依頼するものの、 内装の壁、床、階段、ベランダ、手摺、そして塗装などは全部自分自身で手掛けて完成させる、 いささかドンキホーテ的な家作りが始まったようです。

 そんな家作りの話が奥さんから電話で掛かって来た時には、半分は「なかなか完成して住めるようにならないのよ!」といったボヤキ言葉も含まれていました。 そこで面白がり屋の僕は一週間強の夏休み期間を利用して3食付住み込み大工仕事の手伝いに出かけました。 最初の内は壁材を屋根の勾配に合わせて切断するための採寸作業補助程度しかやらせてくれなかったショージ君もだんだんと釘打ち作業もさせてくれるようになりました。 そして2階への階段の組み立て設置の頃には僕は2階に上り、ショージ君が仁王立ちになって持ち上げる階段を上からザイルで確保したりと猫の手以上の働きをするようになりました。 別棟の工具保管庫兼作業小屋への電気配線は地面を掘って、塩ビパイプを埋設して母屋からケーブルを引き込む作業もやりました。(ACコンセントを介しての電気配線でしたから電気工事士の資格は不要でしょう?)、 さらに秋口に入ってからも塗装作業の手伝いにも出かけました。 そんな事が有ってからは「奥さんのお客さん」から「ショージ君のお友達」に一歩近づいたって訳です。 そんなこんながあって、今では夏の暑い時期に一ヶ月近く山荘で居候状態の生活を送らせてもらっています。

 ここ簗場の山荘にやって来てテーブル作りの時に、ルータやチェーンソー、サンダー等々木工工具が贅沢に揃っている訳もお分かり頂けたでしょうか?  これから松本からやって来る他のメンバーの到着を待って、インターネットアクセス不能な湯股に向けて出かけます。

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