とうとうこの日がきました.
2012年3月29日 木曜日 午後5時半開演
日にちが経ってもまだ、夢のようなステージと、大勢の観客の声援、拍手が耳から離れません。
中学校の3年はあっという間よ・・
本当にあの子たちの演奏を聞くのはこれが最後の最後なのです。
この日のために、家族、親戚総動員、そして地元と言うこともありセントラルのおばさま方も勢ぞろいで
応援に駆けつけてくださいました。
初めての定期演奏会は一昨年、1年生の孫たちは、演奏を聴かせるというよりも、先輩たちの足を引っ張らないように
必死で付いていくのと、一生懸命覚えたダンスを披露してくれました。
この日を最後に引退する3年生を送る場面では、本人たちはもとより観客まで涙、涙のそれは感動的なものでした。
そして、昨年は、未曾有の大災害の後、日本中に祭りごとを封印する風潮が広がり、
歯止めのかからないまま、M中吹奏楽部にもそれはやってきました。
卒業生にとって、3年間の集大成であり、一生に一度の、最初で最後のイベントですから
それができないとなったときの落胆ぶりは、当時2年生だった孫の話から十分伝わってきました。
当時は世の中すべてがそういう流れでしたから、もう半ばあきらめてたところへ
校長の鶴の一声?で学校の体育館で開催されることになったのです。
顧問のT先生のお話には「開催自体が難しかった状況から地域、職員、そして何より保護者の皆様の多大なるご尽力により・・」
と、あります。
観客も少なく、音響も決して満足のいくものではなかったけど、それだけに忘れられない演奏会になりました。
そして、今回、例年通り、ここ神奈川県民ホールで開催されることになりました。
もう何度言ったことでしょう
当たり前のことのありがたさ、尊さ、今回は本当により強く感じました。
始まりました。
3部構成で行われます。
第一部は、吹奏楽の王道ともいうべきクラシカルな曲を
第二部では、それぞれパートごとの演奏と、3年生35人による演奏
さすが3年生です。
受験のブランクを感じさせないすばらしい演奏でした。
二部最後の曲は、昨年のコンクール自由曲<「アルプス交響曲」より>
栄光の先輩たちの伝統を守りながらも必死で全国大会を目指した曲
結果は残念ながらダメ金でしたけど
本当によく頑張りました。
私自身、何度も聴かせてもらった思い出深い曲ですが、これも聴き納め
もうすでに涙ぐんでいる3年生もいます。
不調ながら、やっとの思いで突破した市大会、
T先生の厳しい指導のもと、生まれ変わったように生き生き演奏した県大会
そして、宇都宮で開催された東関東大会・・・結果は前述の通りでしたが
よく頑張りました。すばらしかったです。
M中吹奏楽部の輝かしい実績は、東関東大会17回出場(内、1度は3年連続全国出場のため不出場)金賞は13回
全国大会には5回出場
平成11年からはずっと東関東では当たり前のように金賞に輝いています。
この伝統を守り抜く、それこそが彼らの使命でもあったように思います。
それだけにそのプレッシャーは半端ではなく、とても中学生とは思えないような厳しさにも耐えられたのだと思います。
初めて楽器を持ってからわずか2年でかなりの曲が演奏できるようになります。
中学生くらいの柔軟な脳と体は良き指導者の導きで、信じられないほどの伸びを見せてくれます。
「アルプス交響曲」を聴きながら、様々な思いがよみがえってきました。
そして第三部
がらっと趣向を変えて
ディズニーメドレー~JPOPベストヒッツスペシャルメドレー
そして、私のために?って勝手に思ってしまった、待ちに待った”サザンオールスターズメドレー”
思わずスタンディングで手拍子したくなってしまいました。
M中のコンサートでは必ずアンケート用紙が渡されます。
その中に<今後演奏してほしい曲、ジャンルがありましたらお書きください>という項目があります。
<サザンオールスターズかビートルズをお願いします>と、何度か書き込みました。
それが通じたのかは?ですが
演奏曲目が決まった時
「ばーば、よかったね サザンだよ、サザン」と言って嬉しそうに報告してくれた孫
曲と一緒に周りに一応気遣いながら歌ってしまいました
そして、お別れセレモニー
3年生全員が最前列に並び、下級生が考えた、ひとり、ひとりに送る言葉を司会者の方が読み上げます。
後を追って、T先生がこれまた一人ずつ声をかけて、握手して行きます。
その都度、手で顔を覆う生徒たち
後で孫に「なんて言われたの?」と聞きましたら、忘れた・・と
忘れているわけないけど照れくさいのでしょう。
先生の言葉、しっかり胸に刻んでね いつか教えてください。
全員でスピッツの”空も飛べるはず”を合唱
クライマックスはこれからです。
プログラム終了、と同時にお決まりのアンコール
T先生の挨拶があり、M中吹奏楽部のテーマ曲である”テキーラ”
そして、みんなが大好きな”宝島”
もう、本当にこれが最後と思うと、涙と言うより大きな声を出したいくらい号泣でした
1年の5月、娘の代行で部活説明会に行った日のこと
パートが決まって、楽器を買いに行った日のこと
初めてのコンクール
2年になってA編成に選抜され、先輩たちと挑んだコンクールのこと
大震災で定期演奏会ができないかもしれないと落ち込んでいた日々のこと
3年生になって、今年こそ全国にとの思いで勉強にも部活にも頑張ったこと
もっともっと書ききれないほど、本人も家族みんなも夢中になった3年間でした。
最後のコンクールは結局ダメ金だったけど、伝統の重圧から解かれ、やるだけはやったという
満足げな表情を忘れることはできません
Mちゃん、ほんとにありがとうね
あなたのおかげで家族みんなが強く結束できたような気がします。
残念ながら行くことになった高校にはちゃんとした吹奏楽部が無いから継続は出来ないけど
パパが言ってたよ
「これからも何か楽器を続けさせたい」って
音楽はいいよね。 どんなに苦しい時でも、辛い時でも勇気をもらえるし、希望をもらえます。
寂しいけど、ばーばの追っかけもこれで終了
3年間T先生の厳しい指導をがんばってこれたのだから、これから何かあっても大丈夫
M中吹奏楽部で経験した、苦しさ、悔しさ、楽しさ、嬉しさ そのすべてがこれからのあなたの人生の支えです。
よかったね
よくがんばりました。 もう一度ありがとう
2012年3月29日 木曜日 午後5時半開演
日にちが経ってもまだ、夢のようなステージと、大勢の観客の声援、拍手が耳から離れません。
中学校の3年はあっという間よ・・
本当にあの子たちの演奏を聞くのはこれが最後の最後なのです。
この日のために、家族、親戚総動員、そして地元と言うこともありセントラルのおばさま方も勢ぞろいで
応援に駆けつけてくださいました。
初めての定期演奏会は一昨年、1年生の孫たちは、演奏を聴かせるというよりも、先輩たちの足を引っ張らないように
必死で付いていくのと、一生懸命覚えたダンスを披露してくれました。
この日を最後に引退する3年生を送る場面では、本人たちはもとより観客まで涙、涙のそれは感動的なものでした。
そして、昨年は、未曾有の大災害の後、日本中に祭りごとを封印する風潮が広がり、
歯止めのかからないまま、M中吹奏楽部にもそれはやってきました。
卒業生にとって、3年間の集大成であり、一生に一度の、最初で最後のイベントですから
それができないとなったときの落胆ぶりは、当時2年生だった孫の話から十分伝わってきました。
当時は世の中すべてがそういう流れでしたから、もう半ばあきらめてたところへ
校長の鶴の一声?で学校の体育館で開催されることになったのです。
顧問のT先生のお話には「開催自体が難しかった状況から地域、職員、そして何より保護者の皆様の多大なるご尽力により・・」
と、あります。
観客も少なく、音響も決して満足のいくものではなかったけど、それだけに忘れられない演奏会になりました。
そして、今回、例年通り、ここ神奈川県民ホールで開催されることになりました。
もう何度言ったことでしょう
当たり前のことのありがたさ、尊さ、今回は本当により強く感じました。
始まりました。
3部構成で行われます。
第一部は、吹奏楽の王道ともいうべきクラシカルな曲を
第二部では、それぞれパートごとの演奏と、3年生35人による演奏
さすが3年生です。
受験のブランクを感じさせないすばらしい演奏でした。
二部最後の曲は、昨年のコンクール自由曲<「アルプス交響曲」より>
栄光の先輩たちの伝統を守りながらも必死で全国大会を目指した曲
結果は残念ながらダメ金でしたけど
本当によく頑張りました。
私自身、何度も聴かせてもらった思い出深い曲ですが、これも聴き納め
もうすでに涙ぐんでいる3年生もいます。
不調ながら、やっとの思いで突破した市大会、
T先生の厳しい指導のもと、生まれ変わったように生き生き演奏した県大会
そして、宇都宮で開催された東関東大会・・・結果は前述の通りでしたが
よく頑張りました。すばらしかったです。
M中吹奏楽部の輝かしい実績は、東関東大会17回出場(内、1度は3年連続全国出場のため不出場)金賞は13回
全国大会には5回出場
平成11年からはずっと東関東では当たり前のように金賞に輝いています。
この伝統を守り抜く、それこそが彼らの使命でもあったように思います。
それだけにそのプレッシャーは半端ではなく、とても中学生とは思えないような厳しさにも耐えられたのだと思います。
初めて楽器を持ってからわずか2年でかなりの曲が演奏できるようになります。
中学生くらいの柔軟な脳と体は良き指導者の導きで、信じられないほどの伸びを見せてくれます。
「アルプス交響曲」を聴きながら、様々な思いがよみがえってきました。
そして第三部
がらっと趣向を変えて
ディズニーメドレー~JPOPベストヒッツスペシャルメドレー
そして、私のために?って勝手に思ってしまった、待ちに待った”サザンオールスターズメドレー”
思わずスタンディングで手拍子したくなってしまいました。
M中のコンサートでは必ずアンケート用紙が渡されます。
その中に<今後演奏してほしい曲、ジャンルがありましたらお書きください>という項目があります。
<サザンオールスターズかビートルズをお願いします>と、何度か書き込みました。
それが通じたのかは?ですが
演奏曲目が決まった時
「ばーば、よかったね サザンだよ、サザン」と言って嬉しそうに報告してくれた孫
曲と一緒に周りに一応気遣いながら歌ってしまいました
そして、お別れセレモニー
3年生全員が最前列に並び、下級生が考えた、ひとり、ひとりに送る言葉を司会者の方が読み上げます。
後を追って、T先生がこれまた一人ずつ声をかけて、握手して行きます。
その都度、手で顔を覆う生徒たち
後で孫に「なんて言われたの?」と聞きましたら、忘れた・・と
忘れているわけないけど照れくさいのでしょう。
先生の言葉、しっかり胸に刻んでね いつか教えてください。
全員でスピッツの”空も飛べるはず”を合唱
クライマックスはこれからです。
プログラム終了、と同時にお決まりのアンコール
T先生の挨拶があり、M中吹奏楽部のテーマ曲である”テキーラ”
そして、みんなが大好きな”宝島”
もう、本当にこれが最後と思うと、涙と言うより大きな声を出したいくらい号泣でした
1年の5月、娘の代行で部活説明会に行った日のこと
パートが決まって、楽器を買いに行った日のこと
初めてのコンクール
2年になってA編成に選抜され、先輩たちと挑んだコンクールのこと
大震災で定期演奏会ができないかもしれないと落ち込んでいた日々のこと
3年生になって、今年こそ全国にとの思いで勉強にも部活にも頑張ったこと
もっともっと書ききれないほど、本人も家族みんなも夢中になった3年間でした。
最後のコンクールは結局ダメ金だったけど、伝統の重圧から解かれ、やるだけはやったという
満足げな表情を忘れることはできません
Mちゃん、ほんとにありがとうね
あなたのおかげで家族みんなが強く結束できたような気がします。
残念ながら行くことになった高校にはちゃんとした吹奏楽部が無いから継続は出来ないけど
パパが言ってたよ
「これからも何か楽器を続けさせたい」って
音楽はいいよね。 どんなに苦しい時でも、辛い時でも勇気をもらえるし、希望をもらえます。
寂しいけど、ばーばの追っかけもこれで終了
3年間T先生の厳しい指導をがんばってこれたのだから、これから何かあっても大丈夫
M中吹奏楽部で経験した、苦しさ、悔しさ、楽しさ、嬉しさ そのすべてがこれからのあなたの人生の支えです。
よかったね
よくがんばりました。 もう一度ありがとう
了解しました。
お会いできるのを楽しみにしています
私のブログでも書きましたが ランチ参加したいと思います
まだ実家なので行き方を調べていませんが無事着けるようにしたいと思います
宜しくお願いします
それからチーズ、大好きです(笑)
「ばーばがこんなに自転車にはまるなんて思わなかったよ」
先日孫から言われました。
琵琶湖のことも言葉にはしませんが
きっと、応援してくれていたのではと、思ってます。
次の目標を立てなければと思案中ですが
私も思案中
いまだに迷ってますか?
迷うって、お若い証拠ですよ
ほんとに年とった方はもう迷ったりしないと思います。
いつまでも迷って、何かを見つけたいですね
こんな素敵な経験を実感しているお孫さん、
そして、応援しながらも自分の趣味の
バイクロードもおなじように頑張っている
さくらえびさん、お互いに固い繋がりが
ありましたね、大拍手!!です。
私にはば~ばの経験はありませんが、
いくつになっても子どもたちの成長、
頑張りには心から応援し、
挫折もあるでしょうが、黙って乗り越えて
いるであろう姿には祈りしかありません。
ご家族にとってよい春到来!!ですね。
みんな、みんな、新しい出発ができる春、
桜も待っていてくれました。
私は何にむかって出発するのかしら?
いまだに迷い道です。
残念ですけど、立派な吹奏楽部があっても
もういい、と、入部しない子の方が多いみたいです。
ここまでやるとほんとに燃え尽きてしまうのでしょうか?
別のことをやりたいと思うみたいです。
どうなるかわかりませんが、新しい友達と
新しい何かを見つけてくれればと
今はそれを祈るのみです。
娘たちの時とは違った孫離れは辛いものがありますが
いつかは通る道
こうしておとなに近づいていくのです。
でもまだ可愛いですけどね。
音楽の楽しさも厳しさも学んだことでしょう
これからの人生に活かしてもらいたいです。
子供の部活って子供だけじゃないんですよね。
保護者もいっぱい、いっぱい喜びや辛さを味わって
一緒に感動して…。
本当にありがとうと言いたいですね。
素敵な演奏ができて良かったですね。
また高校で新な部に入っても、きっと頑張ってくれるでしょう。
M中に通えて良かったと思います。
一人でも楽しめるし、仲間とじゃなきゃ感じられない楽しさもある。
高校に行っても音楽に携わっていけたらいいですね。
ちょっと寂しくなるさくらえびさんでしょうけど…
やはり春は「成長の季節」です。それぞれに…(^^)
これだけの実績を残してくれると
応援のし甲斐もあるってものです。・・でした。
私も孫と同じく燃え尽き症候群かも
私は琵琶湖でね
次の目標、孫と一緒に考えます。
部活はもうやらないとか言ってますけど
実際入学すればまた考えも変わるだろうと
期待しているのですが・・
定演が終わってようやく春休みなのに
塾の春期講習だそうです。
可哀そうだけど、先のことを考えるとしかたないのかな
たいへんなことです。
メールしました。
シャムさんにコメ入れました。
一生懸命に応援してる様子がひしひしと
伝わります。
これだけ応援出来る事がある事、
こうした演奏会が当たり前に出来る事、
どれも幸せで有り難い事ですね。
ほんとに大震災後、当たり前の事
普通の生活がどれだけ大切な事か
しみじみと思いますね。
そしてOF会が出来る幸せもです。
中学校生活の中心が吹奏楽だったのでは?
ご家族みんながひとつになって、一喜一憂。
家族関係の希薄な時代に凄い素晴らしい事だと思います。
おめでとうございました。
これからも音楽の楽しさが判り、演奏が出来る人は人生の幅が広がる事と思います。
高校生になっても一生懸命な青春を生きてくださいね。