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パラリンピックに思うこと

2021-09-06 | スポーツ
パラリンピックが終了しました。

パラリンピックに関心を持ったのは、自分の体に不具合がわかり、
手術をしたころかと思います。

もちろんそれまでも、水泳の成田さんとか一部のパラアスリートのことは
報道などで知ってはいましたが・・

オリンピックの放送はあれほどやるのに、パラになったとたん
ごく一部の競技とニュースくらいでしか情報がありませんでした。

放映権の問題もあったかもしれないけど、個人的には見たいものが見れないと
毎回ひとり憤慨していたのです。

オリパラに関して、開催前には散々な言われ方をしてましたけど
もちろんすべてはコロナのせいです。

実際始まってみれば、アスリートたちの熱い戦いに、
テレビの前で熱狂的に応援した人も少なくはないはず

特にパラリンピックは、自国開催ならではのほぼ全競技放送ということで
国民の関心も高かったでしょう。

若い方々には初めて見たと言う人たちも大勢いそうで、改めて関心が持てたと
これだけでも開催できてよかったと思うのです。

失ったものを数えるな、残されたものを最大限生かせ


“パラリンピックの父”と呼ばれるイギリスの病院の医師、ルードウィヒ・グットマン博士(1899~1980)が残しました。

この言葉は私自身の指標でもあります。

股関節が悪いと知ったとき、それまで当たり前にできていたことができなくなりました。

当時は絶望感と喪失感でいっぱいになり、この先どうなってしまうのだろうと
不安でなりませんでした。

今思えば、悪い部分を入れ替えるだけ・・という、別に命に係わるわけでもない
障害と言っても、ごくごく初歩的な症状なのに、です。

生きがいだったバレーボールができなくなったり、
思い切り走るということもできなくなって、自分なりに落ち込んでいたのです。

それでも、手術のおかげですべてではないけど、自由は帰ってきました。

失うものもあったけど、見えてきたものもたくさんありました。

もとより、パラアスリートの喪失感、そこからの復活に比較することなど到底できませんが・・

パラリンピックの観戦で障害者の皆さんの多様性を目の当たりにして
多くの観戦者が尊敬と驚嘆の想いを抱いたことでしょう。

その思いが、これからの共生社会を築くもとになっていけたらいいなと思っています。


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