今までの都市計画は 企業による収益のための都市計画だったように感じています。
家を売りたい 大企業の収益が上がるようにしたい 商業活動が活発な町にしたい。
山奥まで農業生産をしてきた村は街での生活の便利さに負けて 過疎化が起き 車による社会活動で鉄道を利用しなくなったために 駅前商店街はシャッター通りになりました。
本当に魅力的な町は 徐々に再生を果たしていますが 取り残されたり どう考えても50年ン後は未来がないと感じる街もあります。
高いビルが立ち並んでも 魅力的な施設が代々手を変え品を変え そのビルが 繰り返し未来でも 建て替えられ 変わり続けていなければ
今は素敵に見えてもいずれ負債となり 維持管理もできなくうなることが予想されます。森や山でも変化するのですから ましてや人の建造物など あっという間です。
人間が生きてゆくうえで 必要なのは 良い水と空気と 食であることを忘れることはできません。そのために 生まれて 育つ段階に必要な空間や 働く世代に必要な生産の場 老いても自分で自分の生活の維持ができ 輝いて活躍して豊かな人生を全うできる機会などを盛り込んだ
トータルで提案できる都市を 計画的に考えて行けると いいのになあ。
そう考えるようになっています。
つい70年前まで 国が個人を支配する時代でしたから そんなトータルで人生を考えて住まう 町を計画することなど まったくできませんでした。
でも 他人の想念を互いに譲り合い理解しああって暮らせる状況に やっとなりつうあるとおもっています。ところが 実は草木も動物も 人間が簡単に絶滅させることができるほど 地球は狭いこともわかってきました。
そう考えると 経済も大事ですが それ以上に当たり前にあるはずの 地面 空気 水は 当たり前ではなく ある日突然なくなることがありそうです。
それも人間だけが生き延びても 地面も空気も ましてや食は維持していけないことも わかってきました。そんな絶滅回避を 念頭にした 都市計画を立てないとなあ。そんなことも考えてしまいます。
公共交通網の近くに 老人施設をおいて 人生の経験豊かな知恵を発揮してもらって
歩いて1キロ圏内で 買い物も 生活も音楽や絵画 庭や演劇を楽しめる施設も徒歩で行き来できるように計画し お金をかけずとも豊かに暮らせるようにし
郊外に 若い人の生産活動や 商業施設をおいて 子育て世代がダイナミックに人生を生き抜けるようにし
本来 日本の神仏の教えが大切にしてきた 自然の恵みや怖れを踏まえたうえでの知恵ある国土の利用を 考えてもらえるといいのになあ。
とにかく ゴルゴサーティーン気取りの政治家や 言い訳すり替え答弁の政府に 日本の先行きや 将来を見据える計画は どうもありそうにない感じがしています。
大河ドラマをみているのですが 西郷どんが感じたことと 井伊直弼が感じたことの差は 現代の庶民が感じているとと 政府がやっていることとの差に 似ているかもしれませんよ。