車窓からの電車の写真は なかなか運転しながらでは難しく
あー いいのになあ。と
そのうち 電車写真撮影日を 設けたいです。
それにしても 写真を撮ると
自分は随分見えているものを 広げて記憶の中の
イメージ世界を作っていることに 驚きます。
たとえば 両サイドパノラマで前方に 山が広がり
アップダウンをしながら 田畑をぬけ 鉄橋を何本も横目にはしる
そんな道路を 車で通過しているとき
そのアイテムを前面にすべて見ているかのような
記憶をしています。
観覧車がみえる長い坂道を降りて行くとき
車窓に見える 鳥たちや 畑やソーラーパネル
すべてが 位置関係をつめて
一枚のパノラマに記憶しているようです。
なので 写真を撮ると がっかりするのです。
一枚にはいるアイテムは わずかだと。
この癖は 役立つこともあります。
冷蔵庫の中や食品庫
仕事の手順など
絵として記憶し感触のように見ます。
なにが足りなくて 何が欲しいか
何をして 何がこれから必要か
それらを 思いだしたい時 頭の中で冷蔵庫をあけて
見てるような感覚で 買い物をし
仕事をしているかのように復習をすることです。
この感覚は 人それぞれ違って 違うことで
互いを補うように 働いている気がします。
それにしても 電車の写真がなぜ撮りたいんだろう。
あー いいのになあ。と
そのうち 電車写真撮影日を 設けたいです。
それにしても 写真を撮ると
自分は随分見えているものを 広げて記憶の中の
イメージ世界を作っていることに 驚きます。
たとえば 両サイドパノラマで前方に 山が広がり
アップダウンをしながら 田畑をぬけ 鉄橋を何本も横目にはしる
そんな道路を 車で通過しているとき
そのアイテムを前面にすべて見ているかのような
記憶をしています。
観覧車がみえる長い坂道を降りて行くとき
車窓に見える 鳥たちや 畑やソーラーパネル
すべてが 位置関係をつめて
一枚のパノラマに記憶しているようです。
なので 写真を撮ると がっかりするのです。
一枚にはいるアイテムは わずかだと。
この癖は 役立つこともあります。
冷蔵庫の中や食品庫
仕事の手順など
絵として記憶し感触のように見ます。
なにが足りなくて 何が欲しいか
何をして 何がこれから必要か
それらを 思いだしたい時 頭の中で冷蔵庫をあけて
見てるような感覚で 買い物をし
仕事をしているかのように復習をすることです。
この感覚は 人それぞれ違って 違うことで
互いを補うように 働いている気がします。
それにしても 電車の写真がなぜ撮りたいんだろう。