電気,ガス、水道、電話の企業のルールが どうもすっきりしたルールになっていない気がしてなりません。どこがすっきりしないのか わからぬうちに ルールーに追いつかれないよう あらたな事業を展開していて 総じて把握している人間がいるのかと そんなきがしています。
政治の世界も 税金がどうしても公共事業に使われて 日本列島改造論どおり 未だに同じ仕組みで税金がつかわれ やめられませんしゃぶりつくすまでというルールで政治が動いているような気がしてなりません。
党が違っていても 政策の 税金のルールが既存のままなら 大した違いがおきません。
一方 日々 暮らしの中で車窓を眺めていると 伝統的な日本家屋はなくなり どの街に出かけても 同じような企業が軒を並べて 特色が消え失せてゆく気がしています。
百分で名著の番組で 紹介されたのですが。 生きがいという言葉は 外国語で単語では存在しないそうです。 その生きがいに当たる自分らしさがどこの町で育ってもほぼほぼ同じでは 自分の人生に自分らしさを発揮できてゆかない気がしています。自然の細やかな特色をいかしてゆくことこそが 個性的な生きがいを生むと思うのです。
何処の街も同じ土木工事で 同じような基準の公園で育てば 自分らしさを発揮することはできません。
小さな国土に多種多様な生き物と 多種多様な暮らしをはぐくんできた日本が 将来は規格品の安物文化に変貌してゆくようなさみしさを 感じるようになりました。
食べ物も すべて規格品 でこぼこも げじげじもしていなければ 毎日同じでは 工夫もいりません。
公共事業は 必要ですが 規格でがんじがらめにせず 昔からの知恵も盛り込んだ
事業にしてもらえるといいのになあ なんて 思っています。
そして 国が安っぽくなる前に 税金で首が回らなくなっていることを自覚して
あらたなスマートルールを考えてくれる人物があらわれると いいのになあ。